炎の虫

天城らん

1、薬師の娘カヤ


 蚊も虻も、人間の血を吸います。


 けれど……。


 どうか!


 どうか、後生ですから、


 許してあげてください……。



 *


「薬草を採りに山へ行ってきます」


 薬師を父に持つカヤは、村でも評判の器量良しで働き者の娘だ。


「気をつけるんだよ。近頃、山で鬼を見かけたという話を聞くからな」


 カヤの父親は薬師という、薬草に精通した医師のようなことをしており、山すその小さな村では、村人に頼りにされている。


「こんな場所で鬼、どうして?」


「都で鬼退治をしたそうだ。その生き残りが鬼ヶ島を目指してこの山を越えているとか……。噂話だとは思うが、気をつけたほうがいいだろう」


 カヤは、人食い鬼が集まる島を想像し、しばしの間青ざめた顔をしていたがすぐに気を取り直した。


「薬草を採りに行かないと村人も困るわ。怖がっていても始まらないし行ってきます。父さん、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫よ。鬼に出会ったときは、一目散に逃げて帰ってくるわ」


 カヤは、元気に返事をすると背負子を担いで出て行った。

 父親は、娘の背を見送りながら言い知れぬ不安が襲ってくるのを感じていた。


 *


「南天の葉に、藤袴、女郎花おみなえし……。血止草もよく茂っているところが見つかってよかったわ」


 天気がよく薬草が思いのほか収穫でき、カヤは満足する。


「あと、甘いクマイチゴもいっぱい摘めたし。村の子供たちもよろこぶわ」


 しかし、日はすでに傾き、山の木々は、山道に濃い影を落とし夜の訪れを告げていた。


「早く帰らないと。きっと父さんが心配するわね」


 足早に、帰路に着こうとするカヤ。

 その耳に、梢のざわめきの中から人間とも動物とも分からないうめき声が聞こえた。


 *


 カヤは、ビクリとし、恐ろしさのあまり自分の両肘を抱きかかえた。


(藪の向こうに何かいる……) 


 けれど、もしも人が助けを求めている声だったら……と思うと、薬師の娘として確かめずに帰ることはできなかった。

 彼女は、ごくりと唾を飲むと意を決し藪の中を覗き込んだ。


 山道から少し離れた下草の中にうずくまっていたのは、人間でも動物でもなかった。


 岩のような大きな体、浅黒い肌、牛のような二本の角。


 ―――― 人間を食らう鬼だ。


 はじめて見る異形の者の姿に、カヤは早くここを離れなければならないと分かっていたが恐怖で言葉を失い立ち尽くした。


 しばらく鬼を見ていて、彼女はそのただならぬ様子に気づいてしまった。

 鬼は、ぐったりと木に背を預け苦しそうに喘いでいる。

 鬼の片腕は二の腕あたりから切り落されており、その傷からは今も赤黒い血が流れ下草を染め上げていた。


 鬼の生命力がどのくらいなのかは彼女には分からなかったが、人間ならば命を落としかねない傷にカヤの心は揺れた。


 カヤは薬師である父に学び、彼女自身も立派に薬師としてやっていけるだけの知識を持っていた。


 そして、気持ちの上でも一人前の『薬師』であった。


 傷ついた者を見殺しになどできない。


 例え、それが鬼であっても。


 むろん、頭では鬼の手当てなどすれば間違えなく周りの者から責められるだろうことは分かっていた。

 助けた鬼が、人を喰らうかもしれない。


 それ以前に、傷の手当中やその直後に自分自身が喰われてしまうことも十分考えられる。


(けれど、助けられる命なら救いたい!)


 それは一人の『薬師』としてカヤが選んだ道だった。


 

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