「第十二話」飢えた獣

月の光に照らされた旧校舎にて、二人の『剣聖』は対峙していた。


一方はスルト・ニンベルグ。『聖剣』を失いニンベルグ家の名誉を地に叩き伏せ、その果てに卑劣な手段に手を汚した哀れな『剣聖』。もう一方はソラ・アーレント・イーラ。理由は異なるが、スルトと同じく『聖剣』を失ったイーラ家の『剣聖』である。


「……何してるの、あなた」


堂々と、明確な大義名分を握りしめたソラが言う。その目には怒りと、困惑と、それらを大きく包み込んだ軽蔑の意が込められていた。『四公』としての地位をほぼ失ったソラだが、その胸に誇りだけは失われていなかった。


「お前をおびき寄せるために、この女には協力してもらった」


対して、スルトの声色は弱かった。はっきりと耳に残る声ではあるが、その中に明確な意志や信念は込められていない。彼は自分自身の信念に背いていることを分かっていたし、それがどれだけ自分自身の生き様を醜いものにしているかを知っていた。──それでも、彼はこうするしか無かった。


「協力……? ふざけたこと言わないで! 部屋の中がどうなってるか分かる? その人が本当に自分の意志でここにいるなら、あんなに滅茶苦茶になってなんかないよ!」


ソラの叫びは怒りによるものではあったが、それは彼の蛮行に対するものではなかった。彼自身が、彼自身の貫いてきた生き様を押し曲げ、外道に手を染めたことに対して憤っていたのだ。

スルトは、瓦解する何かを寂しげに眺めているような、はたまた少しだけほくそ笑んだような。とにかく目線の先にいるのは、自らの戦歴に泥を塗りたくったソラだった。


「俺はお喋りをするためにお前を呼んだわけではない。決闘でお前に負け、俺はすべてを失った……地位も名誉も、あまつさえこの命さえも奪われそうになっている!」

「──」


眼を大きく開き、間抜けに空いた口が震えている。ソラのそんな表情を見て、スルトは己の奥歯を潰すような力で噛み締めた。自分が今からやろうとしていることは復讐でも殺人でもない……相手の信念を、誇りを、貫いてきた全てを踏みにじろうとしているのだ。


「……剣を抜け、イーラの『剣聖』。例え呪いに侵され、恥辱の泥を啜ろうとも、俺はただで死ぬつもりはない。──貴様に勝利し、俺はニンベルグ家の人間として死ぬ」


すまない。と、そう言ってしまえば自分が折れることをスルトは分かっていた。

だから、自分を追い込んだ。『剣聖』でもない女に『聖剣』を叩き折られ、剣士でもない女性に暴力を振るい、自らのくだらない名誉のために他人の名誉を否定しようとしている。そんなことをしてまで自分は生き延びるつもりは、ない。


だが、ソラはきっぱりと言った。


「降参します!」


両手を上げ、その場に座り込むソラ。あまりにも突然の行動に、構えていたスルトの剣先が揺れる。──戦いもせずに負けを認める。平民の戦士でも苦渋の決断であるそれを、イーラ家の当主であるソラは躊躇いもせずにやってみせたのだから。


「……どこまでも、俺を馬鹿にするのか」

「違う! 私は今剣を持っていないし、それに……」

「お前もそうなんだろう!? 兄さんを一番近くで見てきたお前が、一番良く分かってるだろう!? 俺はジーク・ニンベルグとは違う……俺は、あの男の劣等品だということを!」

「違うって言ってるでしょ!」


感情を表に出したスルトは、ソラの見たことがない激しい一面に硬直した。戦いもせずに肩を上下させながら、ソラはスルトをきつく睨みつけた。


「いっつもそうだったよね、スルトは。ジークが何か凄いことをする度に不機嫌になって、自分は駄目だ劣等品だとか、そんなことばっかり言ってたよね。──言っとくけど、そんな風に君を馬鹿にしてるのは君だけだよ」

「……」

「だから、馬鹿になんてしてないよ。私はただ、あなたとは戦いたくないだけ」

「……ははっ、ははは。そうか」


スルトの手から、鉄の剣が滑り落ちる。彼は肩の荷が下りたような緩んだ顔で、その場に崩れ落ちた。その後の彼は、剥き出しの本音を垂れ流していた。


「……全て、兄に奪われたと思ってた。父からの信頼や愛情も、俺の未来も……初恋の相手だったお前も」

「えっ」


ソラの間抜けな声。二人は黙っていたが、やがてスルトが話を続けた。


「兄が死んで、少しは変わると思ってたんだ。でも父は俺を見なかった。暗いことしか考えられなかった。お前はいつまでも兄の話ばかりしてるし、一緒に居てもずっと遠くばかり見ていた」

「……」

「全部、どうにかしようと思ってたんだ。まぁもう、無理だな……俺はもうすぐ死ぬからさ。──最後にお前に会えて、俺は」

「死なせないよ」


え? スルトの間抜けな声を貫くかのごとく、ソラはその華奢でしなやかな手を差し伸べた。それは懺悔する咎人に対し、赦しを与える女神のように。


「人が目の前で死ぬのは、もう嫌なの」

「……あ」


──兄さん。そう言いかけたスルトの目に写っていたのは、他の誰でもないソラだった。しかしその雰囲気、真っ直ぐな目が見据えるものが、余りにも兄と似ていて……いいや、違う。


(これは、生き様だ)


どれだけ強くても、どれだけ権力があったとしても、其処だけは決して揺らがなかった。実力の有無、豊かなのか貧しいのかなど関係なく、ジーク・ニンベルグとは真っ当な人間だった。誇りあるニンベルグ家の一員である前に、善良でありたいと思う人間だったのだ。


(いつから、忘れてたんだろう)


そんな真っ直ぐな信念だけを胸に生きる人たちの、言い表しようのない格好良さを。自分もこうありたいと、こんな人間として生きていきたいという当たり前の願いを。そういうキラキラした願いが、結果だけを求める父によって塗り潰されていったのは。


「……そうだな」


スルトは差し伸べられた手を握り、立ち上がった。希望に満ちた目をしてはいるが、彼がしたことは変わらないし、これからもそれを咎められて当然である。──それでも、彼の目は輝いていた。


「俺まで、死にたくないからな」

「……ほんとにね」


ソラの滑らかな笑みは、スルトの燻った何かを完全に収めた。代わりに燻っていたそれは、かけがえのない……これから十数年は消えることがないであろうものへと変わっていた。


──痣が、広がる。

──痛みが、雷の如く走る。


「……離れろ」

「え? どうしたの……」

「離れろぉッッ!」


突然、スルトによってソラが突き飛ばされる。何事かと声を発しかけたソラだったが、彼女は確かに見ていた……空を舞う一匹の鴉、そのクチバシから発せられる人間の声、呪文を。


「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


苦しげな叫び声とともに、スルトの右腕が膨れ上がっていく。ベチャベチャと音を立てながら、彼の身体が壊れて作り直され……その姿は瞬く間に別の何かへと変貌していく。腕は裂けて増えて、膨れ上がった額や背中には新たな眼が浮き出る。肥大化した筋肉は最早人間のものではなく、まるで、まるで……!


「──悪魔」


目覚めたばかりのそれは飢えていた。……そして、飢えた獣が取る行動は唯一つ。

目の前の獲物を、生きるために殺し、骨も残らず喰らい尽くすことである。

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