「第五話」刀匠令嬢、同盟を結ぶ

「……」


その言葉を受け、一番衝撃を受けていたのは他の誰でもないスルトだった。彼は野次馬が放つ根拠のない風評被害など気にも留めず、ただ一人……目の前のソラだけを見つめていた。


「……丁度いい。活人剣を使うお前とは、いつか決着をつけなければいけないと思っていたからな」


スルトは握りしめていた粗末な短剣を捨て、きつくなった表情で拳を握りしめ、振るう。その直後、真横に振るわれた拳は虚空であるはずの『何か』を叩き割った。アイアスはそれが魔法による超常現象であることとか、高位の魔法であることはどうでもよかった。──問題は、その亀裂から伝わってくる途轍もない気配だった。


「──フンッ!」


あろうことか、スルトは空間に刻まれた亀裂に手を突っ込んだ。スルトはそのまま何かを掴み……力いっぱいにそれを亀裂から引きずり出した。その全貌が大衆に晒される頃には、空間に空いた亀裂は音を立てながら元に戻っていた。


(……すげぇ)


アイアスは、その手に握られた至高の一振りに戦慄し、同時に感動さえしていた。黄金の如き光を纏った鋼、古めかしさの中にある確固たる威厳。長さはスルトの身の丈ほどあるその大剣は、神々しさという鉄をそのまま打って造ったのかと見まごうほどの代物だった。


「別れは寂しく悲しいが、受け入れなければならない。──せめてもの餞だ。俺はお前に最大限の敬意を示す、その印にニンベルグ家の誇りであり秘奥である『聖剣』を使うこととする」

「聖剣、バルムンク……!」


その気迫、覇気、威圧感。圧迫された気に支配されたその場は、半端な気持ちで立ち会うことすらままならない。その証拠に野次馬の大半は背を向けて逃げていき、残ったのは僅か数人であった。


「さぁ、お前もイーラ家の誇る『聖剣』を抜くが良い。かつてこの地を蝕んでいた邪王を退けたとされる、選定の剣カリバーンを!」

「……ッ!」


ソラは黙っていた。黙って、己の拳を握りしめたまま……スルトを睨みつけていたのである。正確には、彼が握る邪竜殺しの『聖剣』バルムンクを。彼女はやがて腰に差していた剣を抜くが、それは単なる剣に過ぎず……『聖剣』と呼べるような代物ではなかった。

スルトは暫く眉を顰めていたが、やがて事の真意を察したのか……苦虫を噛み潰したような顔のまま、哀れみと怒りの狭間に居るような声色で言った。


「アキレスは、本当にダルクリースの……いいや、『四公』の恥だな」


スルトは呼びかけに応じなかったソラを糾弾することもなく、握りしめた『聖剣』バルムンクを振るった。有り余る威力に粉塵が舞い散り、その中から低い姿勢のソラが現れる。彼女は次の一撃が来る前に距離を詰め、そのまま持っていた剣を振り下ろした。


「でぇりゃあっ!」


重く、しかし響く金属音が鈍く広がる。両者の威力は暫し拮抗し、刃と刃が離れる間でさえ、両者は次の攻撃を練り上げていた。──先手を打ったのは、ソラの剣だった。


右から下に一撃、切り上げでもう一撃。ダメ押しに渾身の振り下ろしを叩き込む。一撃一撃の威力が高いわけではなかったが、それでもソラの剣の速度は凄まじかった。目にも止まらぬ四方八方からの連撃に、スルトは防戦一方を強いられていた。


(……駄目だ、完全に見切られてる)


しかしその場に居る誰もが、剣による殺し合いをしたことがないアイアスでさえもが分かってしまっていた。──この決闘は、確実にスルトの方が有利だということを。


「はぁっ、はぁっ……はあぁぁっっ!!!」

「……」


それはまるで、走り続けた馬のようだった。あんなにも手数と速度を誇った剣が、徐々にアイアスでも目で追えるほどの物になっていく。それに相反してソラの息は上がり、踏み込みの甘さや身体の動かし方に粗が出てくる。──何より、彼女の腕が先程よりも上がっていないことを、アイアスは見逃していなかった。


(体力が無い訳じゃない、あの剣が重すぎるんだ。ああいう剣の重さは大体三斤……男ならともかく、女であんな振り回し方をして長く戦えるわけがねぇ)


重さ2kg弱の鉄剣を振るうソラの腕は、やがて思うように動かなくなっていく。足取りはふらつき、息は上がるところまで上がりきり……満身創痍という言葉が、あまりにも合っていた。──無論、その隙を見逃してしまうほど、スルトは甘い男ではない。


「──ぬうううっんっっ!!!」

「ぐ、ぅっ……あああっ!」


バルムンクによる一撃を剣で受けたソラだったが、余りにも強大すぎる威力を押し殺すことは出来ず、ソラの華奢な体ごと吹き飛ばしたのである。彼女は為す術なく地面を転がりながら、門の柱にぶつかってようやくその回転を止めた。


「……ううっ」


かろうじて動いたソラの手が握っていたのは、根本から叩き折れた剣の柄だった。彼女の口から言い表しようのないほど小さく、背筋が凍るような息が音を立てた。徐々に近づいてくるスルトを見るが、彼をどうこうする手段は彼女に残されていない。


──絶望、その言葉がよく似合う表情だった。正義のために振るった剣は叩き折れ、場から浮いたソラを刈り取るべく、竜を刻んだ死神が迫りくる。


「ここまでだ、イーラの『剣聖』。殺意が無い、確固とした敵意もない貴様の剣は……実に不愉快極まり無かった!」


振るわれた『聖剣』、不可避の一撃。勇猛なソラは最後までそれから目を逸らさなかった。自分が取った行動、発言……それら全ての責任を自覚し、報いを受け入れると腹を括っていたのだ。


「そうかい? 俺は案外、ああいう甘っちょろい剣が好きだけどな」

──人の体など簡単に肉塊に変えてしまうような一撃の間に、煌めく滑らかな白刃が割って入る。周囲の誰もが目を丸くした、スルトの強張った顔を至近距離で笑ってみせたのは……頭部から血を滴らせたアイアスだった。


「んどぉりゃあっ!」

「っ!?」


受け止めたスルトの『聖剣』バルムンクを、そのまま力任せに押し返す。体格差もあり、性別という壁もある……にも拘わらず、このアイアスという存在はやってのけた。真正面から力比べに押し勝ち、そのまま遠くへふっ飛ばしたのである。


「畜生め、こんなところでお披露目たぁ俺も焼きが回ったか?」


アイアスの右手。其処に握られた剣は、その場に居た全員の目線を集中させた。

金や宝石を使ったわけではない、ただの漆黒、どこまでも深い黒。そこにほんの少しの輝きを加えただけのデザイン。──しかし、派手な色や装飾が常態化した彼らの目には、そういった素朴な美しさやシンプルなデザインは全く未知のもので、彼らの世界を大きく広げていた。


「──なんだ、その剣は」


しかし、スルトやソラのような剣士は違った。美しさに目を取られるのはほんの一瞬で、その内側に隠された……いいや、隠しきれず溢れ出す危うさと強靭さに目を見張り、見抜いていたのだ。──アイアスはそれを、とても嬉しく誇らしく思った。


「お目が高いな、御二方。こいつぁ俺の最高傑作、刀匠として生きてきた俺の集大成だ。刃は乱れ刃、長さは二尺三寸十七毛! 折れず曲がらず、全てを断ち切る天下無双の一振り! 刻んだ名は、『蛍』!」

「まさか……お前は新たなダルクリースの『剣聖』だとでも言いたいのか!?」

「違うね、そいつァ違う」


そう言って、アイアスは戦慄するスルトの問いを蹴り飛ばした。しかしアイアスの構えは武人のそれで、剣の道を志した者ならば即座にその手強さを理解するはずだ。

そんな実力を持ち、尚自覚しながら……皮肉でも嫌味でもなく、ダルクリース公爵令嬢は言い放った。──反り曲がった、美しき異貌の太刀筋とともに。


「俺ぁただの刀鍛冶だ。剣を振るわず槌を振るう、しかし外道には誅を下す……そんな節介焼きの糞爺に過ぎねぇんだよ」

「──かはっ」


鍔迫り合い、刀身の斬り合いなど不要。その一撃は『聖剣』と謳われたバルムンクを叩き切り、それに留まらずスルトの右腕を切り裂いたのである。血を吸った切っ先はそのまま線を描き、残心とともに振り払われ、鞘にするすると収められていった。


「……一撃」


思わずソラの口から、そんな間抜けがこぼれ出る。いいや、ソラだけではない……呆けた阿呆面を、その場に居た全員が浮かべていたのだ。──『剣聖』でもないただの女が、『聖剣』でもない鉄の剣で『聖剣』を叩き折る。これは異常事態、非常に由々しき事態だった。


「おい、そこの嬢ちゃん」

「……へっ!? 私!?」


痛む身体を抑えながら、かろうじてソラは立ち上がる。そんなソラの方へとアイアスは歩いていく。その様子には気品もあり、獣の如き力強さも、焔の如き荒々しさもあった。


「本当に感謝の言葉しかねぇ、アンタが助けてくれなきゃ……俺ぁ今頃死んでた。本当にかたじけねぇ」


困惑するソラ。二人を遠目に眺める者の中には、更に由々しき事態へと駒を進めているということに気づく者もしばしばいた。


「だからよぉ、ソラの大将」

「大将!?」


不敵な笑み。アイアスの顔は晴れやかだった。


「さかず……いいや、同盟結ばねぇか!?」


そして彼女の目線の先に居たのは、驚いた表情のソラ。周囲にはその発言に度肝を抜かれた者がちらほら、大きく笑うものもいれば、訝しげに眉を顰め、危機感を露わにする者もいた。──そんな中、ソラの回答は至ってシンプルなものだった。


「……はい! 喜んで!」


この一言の後、ダルクリースとイーラ、強き刀匠と若き『剣聖』は固い握手を結んだ。固く、熱く……決して断ち切られることのない、友愛にも忠誠にも思える握手を。


しかしこれは、単なる始まりに過ぎなかった。


片や、人を殺すではなく活かすための活人剣の夢。

片や、自らが造り上げた刀が最たるものだと信じる刀匠の夢。


この二つの夢幻が現実だと、不可能ではない極地だという証明の。

始まりに過ぎなかったのだった。 








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