偽りの楽園

『ほらっ、見てごらん!? 由紀があんなに楽しそうにしているよっ!!』

 夢見るような瞳で、父が無邪気に笑う。異常なまでに熱の帯びた視線の先には、妹の由紀ではない少女が両手で雪をすくって、宙へと投げている。

 真一郎と父に気づくと、ぱぁぁぁと破顔一笑し、二人に手を振った。

『おじさん、ユキちゃん! 見て見てー、作ったよっ』

『おやおや、なんだろうな……なんだい、由紀! 僕にも見せてくれよ!!』

 父は雪の中、子供のように走り出す。不用意に走ったせいで、つるっと滑って転ぶ。その姿を見て少女が笑うのを、真一郎はぼんやりと眺める。

 自宅から車で三時間のところにある雪山のコテージ。

 刑事が家に訪れて以来、真一郎は父が少女を自宅にはつれてこないように誘導していた。誰にも邪魔されず、思い切り雪遊びがしたいと言うと、父は疑い一つ抱かず、この場所を用意した。

 けれど……

 いつまで、こんなことを繰り返す。いつまで、こんな仮初の中にいられる?

真一郎はずきずきと痛む頭を抱え込む。

 誘拐をしているときは一睡もできないでいた。貸しコテージには暖かな暖炉があって、ベッドにはふかふかの布団。自宅のマンションよりもずっとずっと暖かいのに、幼い真一郎はここでの一夜を固まるようにして過ごす。

 いつ、『彼女』たちが気を変えても対応できるように、耳をそばだてている。

 少女たちは家に帰りたくなくて父についてきても、駄々をこねたり、奇声をあげる。不安定で、誰かにかまってほしくて我が儘だ。そんな子供の相手をするのが父は嬉しいらしく、にこにこと子供の話を聞いている。見知らぬ子供ではなく、由紀だと思い込んでいるから、それができる。

 しかし、真一郎にとっては、いつ爆発するかわからぬ少女。

 少女がこちらの隙をついて逃げ出し、自分たちのことを話したら全てが終わるのだ。

『疲れた……』

 ……誘拐なんて、こんな馬鹿げたこと。

 真一郎は赤いコートの前を掻き合わせて、その場にへたり込む。全てを投げ出して、消えてしまいたかった……

『ユキちゃん、大丈夫?』

 ふいに頭上から降ってきた心配そうな声に、真一郎はハッとする。

『……だ、大丈夫っ。ちょっと疲れて座ってるだけよ』

 すぐに立とうとするが、うまく力が入らなかった。そのことに真一郎があせっていると

『んー、じゃあ、私も座ろう!』

 少女が真一郎の前にしゃがみこむ。

 純粋で穢れのない瞳がすぐ前にあった。その一対の瞳が、真一郎をじっと見つめている。

『な、なに? 私の顔になにかついてる?』

『んーん、別に?』

 少女の名は、本宮莉花という。

 莉花は今まで誘拐した少女たちと少し違うように、真一郎は感じていた。

 妙に大人びていて、落ち着いている。車でコテージに連れてきても不安な顔一つ見せず、無邪気なのに賢い部分もあった。

『あのね、ユキちゃん。おじさん、変なのよ』

『な、なにが?』

『私のこと、ユキって呼ぶの。ユキちゃんはユキちゃんで、私はリカなのに……』

 ……父は、本当に狂ってきていた。

 誘拐してきた少女を、由紀と呼んだり、本名を呼んだりする。由紀のコートを着る真一郎のことを、由紀と呼んだり、真一郎と呼ぶ。由紀が二人に見えているときもあるようだが、それを不審に思わない。

 人間はどこまで自分勝手に、都合よく、妄想の世界を生きられるのだろう?

 内心、恐怖すら抱きながら、真一郎はなんでもないように返答する。

『おじさんは少し目が悪いみたい。あんまり気にしないで大丈夫だよ』と。

 微笑みさえ浮かべて、答えたはずだった。しかし……

『大丈夫? 泣いてもいいのよ?』

『……私、笑ってるよ? なんでそんなこと言う、の?』

 少女はぎゅうぅぅと、真一郎の手を握りしめた。

 暖かい、小さな手だった。

『なんとなく、かなぁ? ……私は誘拐されて幸せなの。変かもしれないけど、楽しくて仕方がないのっ。でもね……ユキちゃんはどこかに帰りたそうに、見える?』

『はは、そっか……』

『おじさんと遊ぶの楽しいのに、帰りたいの?』

『……うん、帰りたいな』

 思わず本音が零れて、視界がぼやりと歪んだ。

『四人で暮らしていた頃に、帰りたいよ……』

 後悔が喉へとせり上がり、真一郎は由紀がいなくなってからはじめて、はじめてむせび泣いたのだった。



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