莉花の非凡な日常

 莉花の一日は、非常に規則正しい。

 朝五時に目覚め、六時に家を出る。七時には空手部の後輩に活を入れ、九時からは事件の情報収集。十二時にカフェテラスで昼食をとり、部室で仮眠を少しばかり。

 ちなみに、莉花の情報源は二つだ。

 一つは友人達からのメールで、その中には遊びの誘いや恋愛相談など関係ないものも多く、玉石混合。読んで返信する労力と情報に釣り合いが取れないが、稀に貴重な話を聞けるので、おろそかにもできない。

 そして、もう一つは腐れ縁の友人。彼女に会えば、ほぼ百パーセント有益な情報を得られる。彼女の父は現職の刑事なのだ。

 莉花は予定を変更し、渋々、生徒会室に向かった。


 ◇◆◇


「きゃあ、やだやだやだぁぁん。莉花ちゃん、来てくれたのぉぉぉ!」

 生徒会室に一歩踏み込むなり響いた奇声に、莉花は帰りたくなった。

 声の主は莉花とは小学校からの同級生で、去年引退した元生徒会長である。

 倉科美月(くらしなみつき)。

 口元のほくろが色っぽい和風美人は、非常にメリハリのある魅惑的な体つきのため、ひとたび微笑めば、たいていの男は落ちる。夏場に木を揺らせば落ちてくる昆虫のように、ボトボトと。

 ただし、彼女は変わっていた。

「はあ、はあ、はあ……今日も、とっても可愛い! 莉花ちゃん、こっちを向いてちょうだい!!」

 見なくても音でわかる。変態は携帯のカメラ機能で連写中だ。

「……美月ちゃん、お話したいから、カメラはやめようよ?」

「いいえっ、今この瞬間にも時は失われていくのっ。莉花ちゃんの可愛い制服姿を、データに残しておかない……はあはあ」

「えー、やめてくれないなら、帰っちゃうよ?」

 背を向けると、ぎゃあああと悲鳴。

 莉花は両耳をふさぐ。生徒会室は防音になっているため、授業の邪魔にはならないはずだ。

「あのね。聞きたいこと二つあるの」

 莉花はそばの椅子に座ると、サクサク話を始める。

 一つ目は、最近、八年前の誘拐事件について誰かに話していないか、ということ。

美月は子供のころから莉花を非常に大事にしており、情報を漏らさないと想像はしていたが、予想通り、答えは否。

 小学校時代の同級生に同じ質問をメールでしたが、該当者はいなかった。


 では、真一郎はどこで莉花の過去を知ったのか?


 一つ仮説があったが、今は置いておく。

 さて、次。二つ目。

「美月ちゃん、事件に何か動きがあったか知らない?」

「うふ、ただで口を割るとでも?」

「そっかぁ、なんにもないんだね」

「………………」

 もし何かいいネタがあったら、美月から粘着なメールが来ているはずだった。

 美月は残念そうに唇を尖らせ、流し目を寄越す。

 その仕草は女性的で色香があり、莉花は何かの参考にならないかと思ったが、自分と美月の体型もろもろの差を鑑みて諦めた。宝の持ち腐れだなと、いつも思う。

「莉花ちゃん、がっかりしないで? なんにもないわけじゃないのよ?」

「……別にがっかりしてないよ? それより、わざわざ近づいてこなくても、お話できると思うなぁ」

 気を抜くと、美月は抱きついてくる。美月は165センチ、莉花は143センチ。その身長差で豊満な胸に押しつぶされるのはご勘弁願いたい。

 痴漢を何度も撃退している莉花だが、女子への暴力は禁じているので、美月が近づいた分、しっかり距離を取る。

 その警戒ぶりに、美月は苦笑した。

 ふいに声のトーンが低くなる。

「捜査本部は、今起きている事件の犯人は、八年前の犯人とは別という見方で、捜査方針を完全に変えたそうよ」

「あ、そうなんだ……」

 何気なく返したが、莉花は内心、冷や汗をかいた。

 ……セクハラより、まずいかも。

「理由は幾つかあるようだけど、一番の理由は、莉花ちゃんのほうがわかってるわよね?」

「……そうだね。被害者が解放されない点、かな」

 八年前の事件は、誘拐された子供のほとんどは数日で無傷で帰ってきた。

 例外は一番初めの被害者だが、死因に関して事故とも他殺とも判断がついていない。誘拐の被害者として数えられているが、家出した子供という可能性も考えられていた。

 少なくとも警察の見方は、そのようなものらしい。

 一方で、現在進行形で起こっている今回の事件は、六人の少女が一人も帰ってきていない。


『八年前の犯人と、今回の犯人が同一人物とは限りませんよね?』


 真一郎に指摘されるずっと前から、気づいていた。気づかないふりをしていたのは、八年前の事件の手掛かりが他になかったからだ。

あの時点までは……

 あのときの、あの感覚。

 あれが思い違いではなかったら、私は何らかのピースを手にしているのかもしれない。

 莉花は拳を握りしめて、険しい視線の美月にとびきりの笑みを投げた。

「美月ちゃん、お顔コワい。美人が台無しだよ~?」

「犯人が八年前と別なら、あなたが追いかける必要はないわよね?」

 やっぱり、そうきた。

 美月は莉花が誘拐された当時のことを知っていて、おそらく両親以上に、莉花の気持ちをわかっている。目的は知られていよう。

 逆に言えば知っているからこそ、彼女は父から仕入れた情報を流してくれるのだが……

「莉花。危険なことからは、手を引きなさい?」

「うーん、でも、私、強いよ? 美月ちゃんの言いつけを守って、ナイトくんまで連れてるし」

「杉崎真一郎か。私は空手部の男子に頼むと思っていたのだけど?」

 美月のいうナイトとは、いざというときの盾を意味する。関心もないが何の恨みもない部活の男子を、ひどい目にあわせたらダメだろう。

「私としては、一番適した人をナイトに選んだつもりなんだよ?」

「とても、そう思えないのだけど」

 顔を顰める美月の前で、莉花は両手をあわせて上目使いで見上げた。

「ねえ、お願い、美月ちゃん。もう少し見守ってて? ついでに親父様にお酒でも呑ませて、捜査情報を吐かせてきて? 私、まだ納得していないの」

「納得なさい。だって、もし莉花が期待する通り、犯人が同一だった場合は……」


 誘拐された六人の少女が、いまだ解放されない。

 一番目の被害者が誘拐されたのは一か月前だ。

 それが意味するところは?


「つらい、想いをするわ」

「言ったよ? 私は強いから、大丈夫」

 美月は目をつぶって首を振った。それは莉花の言葉を否定しているようにも、言って聞く友人ではないと諦めているようでもあり。

 莉花はそのどちらでも構わないので、礼を言って話を終わらせる。

「もうっ、本当に莉花ちゃんは頑固なんだからっ」

「ごめんね~? 美月ちゃん」

「本当よ! せっかく受験から解放されたんだから、私と遊んでくれればいいのに。可愛いお洋服を買いに行ったり、ご飯作ってあーんってしたり、遊園地で言えないような、あんなこととか、こんなこと……うふふふふ」

 一つボタンを外した襟元や、ブレザーのスカートから覗く膝に、美月の視線を感じる。美月は面倒見がよくて親切だが、ねっとりとした気持ちの悪さに莉花は身を震わせた。

 どうして、同性の痴漢行為は許されているんだろう。

 顔が引きつりそうになるのを我慢して、莉花は微笑みを維持する。

「あのね。美月ちゃん、今度? 今度遊ぼうね。今は真一郎くんとのデートで忙しいんだ」

「……真一郎くん? デート?」

「うんっ。彼、優しいよ。やっぱり頭もいいし。ナイトくんにはぴったりだったよ?」

 我ながら舌が腐りそうだと思いながら小首を傾げると、美月は盛大に眉をひそめた。

「ナイト役には……もっと他にいたと思うけど。どうして、よりにもよって」

 ぶつぶつと文句をこぼす友人は、今思えばはじめから真一郎をナイトに選んだことに難色を示していた。その理由を、莉花は知りたかった。

「美月ちゃんは彼が嫌い?」

「大嫌いよ。だって、莉花ちゃんを見る目がちょっと……あれは変質者の目だわ」

「それだけじゃないでしょ? 隠さないでいいよ。私ね、真一郎くんから聞いちゃったんだ」


 なぜ真一郎が莉花の過去を知るのか?

 それはきっと。


「彼も、事件関係者だから近づけたくなかったんだよね?」

「…………」

 どういうふうに関係しているかはわからない。

 本人に聞く気もない。だから、美月に語らせる。莉花のためを想って隠していた心優しい友人は、あっさりと騙されてくれたが……

 知らされたのは、莉花が予想していたものとはまったく違うもの。

 ……あのときの、あの感覚はどうやら勘違いだったらしい。

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