第7話 女の子卒業

 僕はかつて、小田原ゆきさんに助けてもらったことがある。きっと、本人はクラスも異なる僕なんかのことを助けたことなんて、記憶にないのかもしれないけれど。

 それは去年の十一月のことだ。

「ない・・・・・・ない・・・・・・嘘だろ」

 僕は二日ほど前から重めの風邪を引いていた。熱のせいで頭はぼうっとするし、咳が止まらず喉も痛かった。花粉シーズンでもなければ受験生でもない僕が、その小さな顔に不釣り合いな大きなマスクを着用して登校したのを見て、クラスのみんなの気持ちが統一されているのを、僕は視線で感じ取っていた。

 ――ああ。

 ――楡木はああやって地獄のマラソンを逃れようとしているんだな。

 断じて違う!

 ・・・・・・と言ってやりたかったが、言われてもいない嫌疑を晴らそうとやっきになるほど怪しいものもない。僕は自らの潔白を、今日のマラソン大会に出走することによって主張しようと決意した。

 そうでなくても、僕にはこのマラソン大会を、どうしても完走しなければならない事情があった。昨日の夜、同じクラスの柳生邦彦に啖呵を切ったのだった。

<柳生の分からず屋め! ああ分かったよ。走ってやるよ。勝手に僕が風邪引いてるだなんて決めつけるな。マラソンなんてできないだなんて判断するな! 余裕だよ上等だよっ! なんならこの池にだって飛び込んだっていいね!>

 どうしてそんなことになったのかの説明は、割愛させてもらう。

「まじかよ・・・・・・そんな」

 僕たちの高校のマラソン大会には、タイムアップという概念は存在しない。20キロという男子の距離だって、午前8時から開始するマラソンにおいては、歩き続けたってお昼過ぎには終えることができるからだ。だから僕は最低のコンディションではあったけれど、とりあえずよーいドンさえできれば、あとは這ってでも前に進み続ければ、なんとかなるというなんとも情けない算段を持っていた。

 しかし十一月も下旬で、明け方なんかは雪がちらついてもおかしくないほどの寒空の下、走行が困難なコンディションとあれば、適切なウェアリングをしなければ体温を維持することは難しい――にも関わらず、僕は適切なウェアを、忘れリングしていた。

「・・・・・・どうしてこんな日に限って」

 吐き捨てるように言う。もうクラスのみんなは校庭に向かったらしい。教室には僕一人しか残っていなかった。

 僕は自らのカバンをどれだけ漁っても、目当ての長袖長ズボンのジャージを見つけられないのだった。こんな日に限って、とは言ったものの、こんな風邪を引いていた日だからこそ、頭が働かず忘れ物を生んでしまったのだと思うと、それは道理だった。

 まさかジャージを忘れているとは露知らず、僕はすでに半袖半ズボンの体操服には着替えていた。その恰好では教室の中といえど肌寒くて身震いする。今日は秋晴れとは到底言えない空模様で、日差しによる暖も取れそうにない。こんな中、外を半袖半ズボンで、それも走ることなくダラダラと歩くなど、もはやある種の変態だろう。真冬にも半袖半ズボンで過ごす児童が、小学生の頃には一クラスに一人くらいはいたものだけれど、高校では一学校に一人とていない・・・・・・しかし現在、僕はその最有力候補にまで昇り詰めている。

 こんな状態では、20キロのマラソンなど到底無理だ。頭の中に浮かんだけんがくの四文字を、僕はぶんぶんと振って払う。もう少し頭がはっきりとすれば、それを見学の二文字にまで縮めることは可能だったのだが、今はそんな余裕すらない。

 でも、風邪だからとか、ジャージが無かったからだとか、そんな理由で欠席するわけにはいかない。ここでもしも僕がイモを引いてしまっては、柳生の奴に見せる顔がなかった。頭の中に昨晩の彼の顔が浮かんだ。自らの中の決めつけに縛られているあの男を解放するためにも、僕は20キロを走るしかなかった――しかし、彼のために一肌脱ぐことを決めたとはいえ、まさか本当に服を脱ぐ羽目になるとは思わなかった。つくづく、柄にもないことはするものではないなと、ぼやける思考の中で反省する・・・・・・やばい、だんだん視界も曇ってきた。

「なにしてんの?」

 不意に聴こえたその声に、おもむろに振り返る。意識が朦朧としていたせいか、近くまでその女子生徒が来ていることにも気づかなかった。彼女は僕と、そして僕が必死の形相で掴んでいるスクールバックを見比べてから、息を呑んだ。

「もしかして、女子の脱いだばかりの制服漁ってんの?」

 !

 まさか服を着るよりも先に、変態の汚名を着させられることになるとは思わず、僕の中のなけなしの元気が顔を出した。

「ち、ちがうよ!」

 叫んだ。

 僕は直接にかけられた嫌疑には、はっきりと異を唱えるタイプだった。

「なんだ。おっきなマスクで顔隠して、ハアハア言ってるから、てっきり変態なのかと・・・・・・って大丈夫? めっちゃフラフラじゃん!」

 叫んだことにより、僕の元気はまた鳴りを潜めてしまう。彼女の言葉を聞いてるうちに、また意識が薄れていく。そんな僕を見て驚いた彼女のその声で、僕はまた意識をはっきりとさせた。

「大丈夫・・・・・・だよ」

「本当に? 絶対ダメだと思うんだけど・・・・・・てかなんで体操服着てんの? 見学するんでしょ」

「見学? どうして僕がそうすると思ったの」

「いや、見りゃわかるし! 明らかにマラソンなんてできる感じじゃないじゃん」

 僕を心配するその言葉を聞いて、まあそりゃそうだよな、と納得する。

 けれど、僕はそれを否定した。

「見ただけじゃわからないよ・・・・・・僕が走れないだなんて、勝手に・・・・・・げほっげほっ、決めつけないで」

 咳き込みながらでは説得力に欠けるだろうが、それでも目の前の女子生徒は僕の言っていることを、怪訝そうな顔をしながらも聞いてくれていた。

「友達にさ、昨日言っちゃったんだよ・・・・・・変な決めつけをするなって、げほっ・・・・・・なんなら風邪だからって走れないとかも決めつけるなって・・・・・・女だか、げほっげほっ!」

「ちょ、ちょっと。一旦喋るのやめなって」

 と言って、女子生徒は僕の傍にかけより背中をさすってくれる。瞬間、彼女の側から柔らかな感触とその体温が伝わった。視界が霞んでいるせいで分からなかったのだけれど、どうやら彼女は、随分とふくよかな体系をしているらしい。

 僕を喋らせないようにするためか、彼女は先んじるようにして、質問をしてきた。優しい子だった。

「じゃあなに? あなたはその友達からの、決めつけを超えてやりたいってこと?」

「ごほっ・・・・・・超えてやりたいってほど格好いいものじゃないよ。ただ、性別とか見た目とかそういうものだけで、その人柄まで判断されちゃうのが、悔しいってだけ、げほっげほっ・・・・・・負けず嫌いなだけさ」

 そんな話をしたって、柳生のことを知らない彼女には何の話だか分からないはずだろうに、僕は熱っぽくなった頭から、自分が思っていることをそのまま吐き出していく。

 すると、「ふうん」と言う彼女の吐息が、僕の耳朶をくすぐった。

「そんな細っちょろい見かけの割に、けっこーガッツあるんだね」

「だから・・・・・・見かけの割にって、そもそもそんなのじゃ人は判断できないって、げほっげほっ! 何度言ったら・・・・・・」

 何度言ったらって、そもそも彼女自体にはそんなことは言っていない。身体がだるすぎて、自分が何をどこまで話したのかすら不明になってきていた。

 気遣いをする余裕がなかった。相手がどこの誰かも、どころか学年すら分からない女子生徒だというのに、僕は彼女の発言に突っかかってしまっている。

 女子生徒は、またも「ふうん」と息を吐いた。続けて、

「マジックある?」

 と、こちらに手を出した。

「マジック・・・・・・?」

「あるなら、貸してみ」

 こんな時に何だろう。あ、もしかして彼女はマジックを忘れてしまって、それを貸してくれる人を探して、この教室まで来たのか。そうなんだろうな。熱っぽい頭でも、それくらいの論理的思考はできる。

 僕は筆箱から黒のマジックを取り出して、女子生徒に手渡した。それを持った彼女はきゅぽんっと極太の方のキャップを外すと、自らのジャージを脱いだ。

「・・・・・・暑かった?」

「はぁ? んなわけないじゃん。むしろ寒すぎだって」

 うぅさむ、と言いながら、彼女は脱いだばかりのジャージの名札を、がりがりと黒く塗りつぶしていく。どうしてそんなことをしているのだろうか?

 変な人だな。

 もしかして、僕はいま夢を見ているのだろうか。

 女子生徒は「これでよし」と満足気に呟いてから、そのジャージをぐいと僕の胸に押し付けた。

「はい、貸したげる。これなら誰のかバレないっしょ」

「え、なに、どういうこと・・・・・・? というか、寒すぎって言ってたのに、えと」

 ぼやける視界の中で、彼女が着用している、白い体操着の胸元に目を落とす。やたらと形を歪ませたそこには<小田原>と書かれていた。その縁の色は、彼女が僕と同じ学年だということを表していた。

「お、小田原さんは?」

「だいじょーぶ。あたしは、えーと・・・・・・そう、代謝えぐいからさ、走りだしたらすぐに暑くなって脱いじゃうだろうから、それ要らないのよ」

 走り出したら暑くなるというのは分かるけれど、それでもじっとしていてはさすがに寒いらしい。彼女は露出された二の腕から先をさすると「うわ寒っ。よくこんな格好でいられたね」と歯をガチガチを鳴らしてから、僕に背を向けた。

「終わったら、あたし二組だから、適当に教室にぶん投げといて・・・・・・あ、あとあたしってそういうキャラじゃないからさ、ここでのことは内緒ね。誰かにチクったら許さないから」

 言って、僕からの返事を待つことなく、小田原さんは廊下を駆けだした。

 よくは見られなかったけれど、彼女はやっぱりちょっと太めの体格をしていたのか、借りたジャージは男子の僕が来てもワンサイズ大きかった。けれどその分、いつも着ているジャージよりも温かい気がした。

 僕は結局、当日のお昼過ぎに校庭に帰還し、半ば倒れるようにしてゴールテープを切った。というか、そのあと普通にぶっ倒れた。保健室に担ぎ込まれるまでの間、耳に入る<マラソンぱいぱい>という景気のよさそうな単語は、病を患う僕の幻聴かと思ったが、そうではないことを後から知った。

 小田原ゆきさん・・・・・・。

 それから週の開けた月曜日、彼女から借りたジャージを持って、僕は一年二組の教室に向かった。ぶん投げといて、とは言われたものの、まさか本当にそうするわけには行かず、僕は教室に誰もいないタイミングを見計らって、彼女の椅子の上にジャージを返却した。

 それまでは、胸の大きなところばかりが明に暗に噂されていたらしい小田原さんだったけれど(岩槻談)、あのマラソン大会の日以降、そこに<ビッチ>だとか<淫乱>だとかの印象も加わることになってしまった――全て、僕のせいだった。

 彼女から口止めされているとはいえ、僕はそのことが情けなくて、やるせなくて、悔しかった。小田原さんはそんな人じゃないのに、どうしてみんな本当の本人のことを知ろうともせずに、そうやって無責任な噂話ができるんだ。

 二年生に上がってから、僕は一度も小田原さんと口を利いていない。人当たりも良く、コミュニケーション能力に長けた彼女は、クラスの誰とでも仲が良い。それなのに、どうして僕と彼女とが喋れていないかというと、それは単純に僕が彼女のことを避けているからだった。

 好きな人を相手に緊張しているから――なんて綺麗な理由ではない。

 僕は彼女の悪い噂に一役買ってしまったという罪悪感から、彼女と接することができないでいたのだ。

 小田原さんは僕の事を恨んではいないだろう。人を恨むとか、そういう性格をしている子ではないというのもあるけれど、単純に、あの日マスクをしていたせいで僕の顔を確認できていなかったのだと思う。

 そんな僕だから、烏山さんから<あいつを攻略してあげる>と言われたときに、あまり良くないやり方だとは思っていたのに、ついその案に縋ってしまったのだ。

 僕だけの力では、絶対に小田原さんに近づくことはできなかったからだ。


 ■


 マラソン大会当日の夕方、保健室で僕が目を覚ますと、傍の椅子に腰かけていた邦彦が僕を見て、一度だけ大きく目を見開き、それからその瞳からぼろぼろと涙を溢したのだけれど、そんなことまでは、目の前にいる烏山さんに話す必要はないだろう。

 僕の話を聞いて、烏山さんは驚いた顔を浮かべていた。

「・・・・・・あの日、そんなことがあって・・・・・・それで」

 次いで、一つの思いに至ったのだろう、彼女ははっとして、僕を見た。

「ごめんなさい。今まで楡木くんのこと、おっぱい目当ての性欲エロエロモンスターとか言っちゃってて」

 !

「そこまでは言ってなかったよね!?」

 え、心の中ではそんな風に言ってたってこと?

 しかし、そんな僕のツッコミにもそれ以上乗っかることはなく、烏山さんはしゅんと項垂れている。後悔の滲んでいる顔だ。彼女にそんな顔をさせたくなくて、今まで話していなかったという理由もあったのだけれど、この様子では、むしろもっと早めに話しておいた方が良かったような気もしてくる。

 僕は烏山さんに向けて、柔らかくほほ笑んだ。

「まあ、分かってくれたならよかったよ」

「うん。本当にごめんなさい。その・・・・・・ちゃんと誠実な気持ちだったんだね」

「そうだよ、まったく。最初から言ってただろ、胸目当てじゃないって・・・・・・だからさ、烏山さんもこれからは、男子なんてどうせー、とかそんなひどいこと、あんまり言っちゃダメだからね」

 烏山さんがしおらしくしている今がチャンスとばかりに、僕は彼女の歪んだ観念を矯正しにかかる。そしてその作戦は上首尾に運んだようで、彼女は「うん」と素直に首肯した。

 よかった。これでこの世の中から一つ、誤解の芽を摘むことができた。

 ――それならば。

 この世の中に誤解をひとつ生み出したとて、僕は世間から恨まれはしないだろう。


 ■


「入れ替わりを解除するのって、僕は何か手伝った方がいいのかな?」

 帰り道。僕は烏山さんに尋ねた。ひと月前のあの夜、旧校舎で彼女が行っていた儀式というか、展開した魔法陣のことを思い出す。何かしらの準備もなしに、魔術はできないのだろうと案じた。

 しかし、それは杞憂だったようで、烏山さんは「ううん、大丈夫」と手を振った。

「この魔術は解くのは簡単なのよ。本来の身体とは、魂の結び付きも深いからね。あたしの方でちゃちゃっとやっちゃえば、勝手に元の身体に戻るわ。魂のリンクを結ぶのに、気を失うこともない」

 気を失う、という言葉を聞いて、僕はあの日の夜のことに納得がいく。どうやら僕はあのとき、魔術の影響というか、副作用によって、気を失ってあの場に倒れたらしい。転倒して頭を打ったから、気を失ったわけではなかったのだ。

 ・・・・・・だからあの時、烏山さんはぺたんとしゃがみ込んでいたのか。あの体勢からなら、気を失っても頭を打つことはないはずだ。しかし、それならそうと先に言ってくれればよかったのに。

 いや、まさかあの時に<身体借りるね>なんて言われても、うんとは言わなかったはずだから、烏山さんの判断は間違っていなかったのかもしれない・・・・・・つくづく恐ろしい子だ。

 まあ、それはそれとして、烏山さんの言うことが本当だというのなら安心だ。日曜日が新月だと言っていたから、何もせずに暮らしていけば、三日後の朝には、僕は久しぶりに男の身体で息をすることができるということだ。

「ていうか楡木くん。一応聞いておくけど、その身体でおかしなことはしてないでしょうね」

「へ? うん。怪我とか病気とかは気を付けてたから大丈夫だよ。ちゃんと毎日手洗いうがいもしたし、ご飯も残さず食べてるよ。一応毎朝体温も測ってるんだけど、大きな変動は無いよ」

「・・・・・・ならいいのよ」

 そうして、僕たちはそれぞれの家の分帰路に立った。傾いた夕日が、僕たちの影を東へと長く伸ばしている。このT字路を西側に進むのは、おそらくこれが最後だ。烏山さんの住むマンションになど、僕はもうこれからは、足を踏み入れてはいけないはずだ。

「繰り返し言うようだけれど、身体が戻ってからは、もうあたしに話しかけたりとかしないでよ」

「うん。分かってるよ」

 邦彦との関係が見込めないと分かった以上、烏山さんは邦彦はもちろん、その友人の僕とだって関係を築く必要はないのだ。もともと、魔術師であるという自らの正体を隠すために、友人の一人すら作らずに高校生活を送っていたほどに徹底した秘密主義を持つ烏山さんだ。邦彦への恋愛感情がその一線を超えてしまったというだけで、そのことさえなければ、彼女はまたあのぼっち少女に戻るのが本分といったところだ。

「それじゃ、また・・・・・・じゃなかった。えっと・・・・・・バイバイ」

 と言って、烏山さんが僕に手を振った。

 けれど、これからはもう、こうして烏山さんと話をすることもできないというのは、分かっていたことだけれど、やっぱり寂しい。

 僕は烏山さんを引き留めるように口を開いた。

「あのさ・・・・・・僕は、一か月間だけだったけれど、烏山さんと友達になれてよかったよ」

「なっ、なによ急に」

「最後くらい良いじゃん。言わせてよ。君と仲良くなれて良かった。君を励ますために言ってるんじゃないよ。これは本当の気持ちだ。君とこうやって話すまでは分からなかったけど、烏山さんって面倒見が良いし、頭も良いし、人の事をよく見てるし、冗談も上手だし、機転も利くし、表情も豊かだし――そして、優しくて可愛くて格好よくて、とっても素敵な女の子だ」

「・・・・・・」

 彼女の顔がみるみる赤くなっていくが、それはこの夕焼けのせいだけではないだろう。僕はそれに気づかないふりをして、続けた。

「烏山さんはさ、小田原さんのことを毛嫌いしているというか、苦手意識を持っているようだけど、それはきっと、同族嫌悪してるだけなんだと思うよ。多分二人はちゃんと話をすれば、親友にだってなれるはずだよ」

 それを聞いた烏山さんが「親友ってねぇ・・・・・・」と苦笑した。

「なにを根拠に・・・・・・」

「だって小田原さんも、格好良くて可愛くて優しくてとっても素敵な女の子だからね。そんな女の子だから、僕はあの子に恋をしているんだもん」

「もんって」

 と言いながら、烏山さんが手で顔を覆う。西日が眩しいわけではあるまい。しかし、これでは僕は烏山さんにも告白をしているみたいだな、と今頃になって気が付く・・・・・・まあ、いいか。

 烏山さんは自己評価が高いわりに、人から褒められることに不慣れな女の子だ。照れ隠しなのだろう、彼女はわざとらしく肩をすくめた。

「楡木くんって、ほんとあのビッ・・・・・・じゃなくて、小田原、さんのことが好きだよね」

「好きなんじゃない。大好きなんだよ」

 いつかの烏山さんのセリフを真似て言ってやった。そのことに彼女が気づいたのかは、分からない――が、彼女は口角をにぃっと吊り上げた。

「マラソン大会の日に、あれに凄いお世話になったってのは分かったけど、それはただのきっかけでしょう?」

「というと?」

「だから、他にあいつの好きなところとか、無いの? あんな品が無いおちゃらけた女子のどこがいいのよ」

「それを聞いて、どうするの?」

「ただの恋バナよ」

 前もそんなことを言われた気がする・・・・・・そうか、これからはもう烏山さんは、僕とだってそういう話をすることができないんだ、と納得する。

 来週から彼女のぼっちライフがリスタートをすることが内定している。僕は烏山さんとは話すことができないにしたって、邦彦や岩槻、そのほかの級友らと今まで通りに話すことはできるが、彼女はそうはいかないのだ。

「好きな所か・・・・・・」

 と呟いて僕は笑う。

 冥途の土産というとさすがに失礼かもしれないが、餞別品とばかりに、僕は正直に小田原さんの好きなところを列挙した。


「ご飯を食べるときはきちんといただきますと言うところ。掃除の時間は手を抜かずに真面目に取り組むところ。周りの子がやってても自分はローファーの踵は潰さないところ。友達が風邪気味だったら<平気?>って絶対に聞くところ。見た目が派手なのに男子のことを<くん>付けで呼ぶところ。本人がいないところでも先生の事を呼び捨てにしないところ。学校にある自販機は使わずに家から持参した水筒を使うところ。スマホに着けてるプーさんのストラップがボロボロなのに外さないところ。それどころか破けたところを補修してまで使っているところ。学校での会話でお父さんを出すときに<うちの父>って呼ぶところ。食堂で麺類を頼むときは必ずおむすびも付けるところ。実は理系なところ。友達がお菓子を食べてるときには<いる?>って聞かれないようにそっぽを向くようにしているところ。授業中に学校の横を大型バイクが走るとそっちに必ずを目を向けちゃうところ。授業中に眠くなっちゃったときには――」


「――だああ! もういい! わかったわかったわかったわよもう! てかそんなに挙げられても覚えらんないし!」

 と両手をばたつかせる烏山さんを見て、僕は笑う。

「聞いてるこっちの方が照れ臭くなるわ!」

 さすがに惚気すぎただろうか。烏山さんの顔は変わらず真っ赤だった。僕は笑う。

 烏山さんはぜえはあと息を切らせながらも、僕に向けて悪態をついた。

「てか、どんだけ見てんの。きもすぎ」

「きもいかもね。でも、大好きなひとのことだから、つい目に入っちゃうんだよ」

 と言って、僕は笑う。

 もちろん、入れ替わってからすぐに烏山さんから忠告されたように、彼女が怪しまれるわけにはいかないので、小田原さんのことを目で追わないようにはしていた。でも、そんな生活ももう終わりなんだなぁと思いながら、僕はまた、笑う。

「そう。まああたしのおかげで、その大好きなひとと仲良くなれたんだから、よかったわね。感謝の気持ちは忘れるんじゃないわよ。じゃ」

 と言い残して、烏山さんはスタスタと歩いて行ってしまう。そんな彼女の後ろ姿を見て、僕は笑う。

 君の顔で僕がこうやって笑うのは、もうこれで最後なんだなと思いながら。

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