海外は不便

Dear 鼻セレブ

 海外に住むと様々な面で不便な思いをし日本の便利さを痛感する。これは海外に住む日本人は皆共感できるのではないかと思う。以前SMSの投稿で目にしたのは、海外在住の日本人が恋しくなる日本の大手企業のリストだった。その中で投稿者は「TOTOが一番恋しくなる」と嘆いていた。


 便利の国、日本が誇るTOTOが生み出すトイレは実際に海外でも高い評価を得ている。ウォシュレットや音姫に始まり、自動開閉するトイレの蓋や自動洗浄機能など、ただ用を足すというその空間をここまで快適なものにするとは、と驚愕する海外の方も少なくない。アメリカの有名なアニメでも日本のトイレの素晴らしさを題材にしたエピソードがあるほどだ。


 と、トイレにまでこだわる日本で生まれ育った私だが、実はこれだけの高性能を特に使いこなせていないのが悩みどころだ。時代に置いていかれそうなアナログ人間である私は自らトイレの蓋を開けようと手を伸ばし、自動開閉機能とうまくシンクロできずに慌てたり、トイレットペーパーをトイレに投げ入れる前に自動洗浄機能が作動して流してしまい、トイレットペーパーを流す為にもう一度水を流すという環境保護団体から批判をお叱りを受けそうなことを何度も経験した。しかももう一度流す場合、水が溜まるまで待たなければいけない。この時間が苦痛だ。ただ何もせず水が溜まるまでトイレを眺めるだけの時間などこの世で一番無駄な時間の使い方だと思う。

 

 ウォシュレットに至っては恐怖でしかない。幼い頃に興味本位でウォシュレットを試した際、突然飛び出す水に驚き飛びのいた。そして本来の目指す先を失った水は目の前の壁に勢いよく当たり、壁も水も水浸し。どのボタンを押しても止まらず幼い私はパニックになり、最終的に自然に収まるまで飛び出る水を呆然と眺めたというトラウマを持っている。それ以降、ウォシュレットにお世話になったことはない。

 高性能なトイレはもはや使う人間の力量を試している、と被害妄想を抱える程だ。それ故に、海外の単純な仕組みのトイレは私のような人間向けであるので助かっている。

 

 長々とトイレについて話したが、私がここでお話ししたい題材は他にある。精度の高いものを使いこなせない私でも愛してい止まない日本製品がある。鼻セレブだ。


 私は花粉症ではない、そして鼻炎持ちでもない。が、毎日のように鼻くそが溜まる。量自体はそれなりに多く、常に鼻に違和感を感じ、時々鼻を摩った時にとがった鼻くそが鼻の内壁に突き刺さり激痛にもがくことがよくある。

 

 また溜まった鼻くそは悪臭を放つ。鼻腔を埋め尽くす悪臭に顔を顰め、「この辺なんか臭い」と主張するも誰も共感せず、「自分が臭いのか」と清汗剤(せいかんざい)や香水などを使うも変わらず、最終的に鼻くそが原因だったと知ることも何度かあった。それ以降は、毎日のように鼻の掃除をする必要があり、ティッシュを最低でも1日2枚ほど使うのである。

 

 そして私は乾燥性敏感肌の持ち主だ。親曰く、生まれた時に医者にそう言われたという。折り紙付きの繊細な激弱肌を持った私にとって肌に触れるティッシュには気を付けなければならない。ごわつく硬めのものはだめだ。食事中に口元に付着したソースを取る時に使っただけでも翌日赤くなり、翌々日には発疹ができる。思春期には特に悩んだものである。


 しかしそんな私を救ったのが鼻セレブだ。そのふわふわな肌触りを想起させる愛らしい動物達のパッケージ、そしてその期待を裏切らない、なんならいい意味で裏切る極上の肌触り、そしてその名前に恥じず、使用者をセレブな気分にさせるその心地よさ。お手頃価格であるにも関わらずだ。完璧。それ以降私の荒れていた鼻周りは発疹って何?おいしいの?と言わんばかりの好調を見せるのである。ありがとう鼻セレブ。


 だが、悲劇はここ、モントリオールに来てから起こった。海外のティッシュは驚くほどに硬いのである。石かと思うほどだ。なぜこれほどまでに硬いのか。もはやティッシュではなくただの紙のようだ。こんなものが私の肌に合うとでも思ってるの?敏感肌を舐めないでちょうだい!と、鼻セレブに慣れた私は悪質クレーマーのように硬いティッシュに対してキレたのである。

 

 日本から持参した鼻セレブを使用するもすぐに底をつき、溜まり続ける鼻くそに耐えられなくなった私は遂に硬いティッシュに手を出した。そして私の鼻と口周りは再び荒れ始めたのである。赤み、発疹が広がり、以前皮膚科から処方された発疹用の塗り薬で落ち着かせるも、また発疹ができる、というサイクルを繰り返した。保湿をしても劇的な効果は見られない。私を救えるのは鼻セレブしかいない。


 2022年に私は日本に一時帰国した。その時にやらなければならないことはたくさんあったが、その中に「鼻セレブの大量購入」は最優先事項に含まれていた。ドラックストアに寄り大量に鼻セレブを購入。一枚でも多くカナダに持ち込むため、すべてポケットティッシュタイプにした。そうすればバッグやスーツケースの小さな隙間に詰め込むことができるからだ。そして大量の鼻セレブを抱えレジで不審な目で見られながら会計をした私は心から満足していた。これでまた(鼻)セレブ生活ができる。


 ルンルン気分でカナダに帰る。空港の荷物検査では大量のティッシュを怪しまれないか、ティッシュの密輸を疑われるかも、など心配をしていたが特に問題なくカナダに持ち込むことができた。それからは幸福の日々だ。私の肌は調子を取り戻し、絹のような肌触りは私はセレブな気持ちにさせる。待っていたよ鼻セレブ。ティッシュを一枚丁寧に取り、頬ずりする。

 

 そんな私を見て、「俺も使ってみたい!」と乱暴にティッシュを手に取った夫に私は怒り狂った。ちなみに旦那は石のように硬いトイレットペーパーをティッシュ代わりにして鼻をかむ強靭な肌の持ち主なので、鼻セレブは必要ない。敏感肌の人は夫に対し般若になった私の気持ちをわかってくれるだろう。


 そんな(鼻)セレブ生活を送っていた私に悲劇が訪れる。風邪を引いたのだ。数日前から仲のいい同僚が咳をしており、「風邪ひいたかも」と漏らしていた。「大丈夫?」と彼女を労わっていた私を始め、同僚たちも皆、彼女から風邪を貰ってしまった。そしてこの風邪の厄介なところは鼻水が止まらないということだ。咳20%、咽頭痛0%、鼻水・鼻詰まり80%と鼻方面に激しく幅振りした風邪である。私を恨んでいるとしか思えない。そして鼻水が止まらない私は泣く泣く鼻セレブを大量消費したのである。


 毎日ポケットティッシュ1、2個消費し続け、風邪が治る頃にはあれだけたくさんあった鼻セレブは残り1個になってしまった。1年近くは持つだろうと踏んで購入した鼻セレブはたった3か月で枯渇したのである。風邪は計算に入れていなかった、と自らの不注意を恥じた。そして最後の1個を使い切った後はまたごわごわティッシュに戻った。私の肌は悲鳴を上げる。でも何もしないと私の鼻が悲鳴を上げる。


 やはり鼻セレブが必要だと、Amazonを覗いてみる。なんと鼻セレブを海外に発送できるらしいことを知った。購入しない手はないとボタンを押しそうになるも値段を見て私の手は止まる。


鼻セレブ ポケットティッシュ×2 5000円


 あの小さいポケットティッシュ2つで5000円もするだと?恐らくこの値段の大半は国外発送料だろう。買えるわけがない。お手軽価格でセレブ気分を味わえるはずだった鼻セレブは、本当にセレブ御用達の高級ティッシュになってしまった。

 

 こんな高級品をコンスタントに買える財力など持ち合わせていない私は、純粋に諦めた。そしてカナダで売られている、柔らかいと評判のティッシュを見つけ購入する。しかしそれも鼻セレブには遠く及ばない。カナダで柔らかいとされているティッシュですら私の肌に傷をつける。やはり私の肌を労われるのはあの絹のような、今治タオルに包まれているような心地よさをもたらす鼻セレブしかないのだ。I miss 鼻セレブ。


 現在は試行錯誤を重ねた結果、水で鼻をかむという強硬手段に出ている。シャワーの際に鼻をかむという、あれだ。昔、シャワーで鼻をかむ女はない、という今の私を一刀両断するような男性陣の意見を聞いたことがあるが、ここは私の超敏感肌を考慮した上でご理解いただきたい。


 日本に帰国するか、2つで5000円のポケットティッシュをコンスタントに購入する財力を持つまでは、水が私の鼻セレブだ。

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