第2話 緩やかに訪れる変化

 夜、特例試験のことを妻のフェスカに伝えると、彼女は諸手を上げて喜んでくれた。

 

「ママ、どうしたの?」

「パパがね、偉くなっちゃうかもしれないんですって!」

「えー! パパ凄いねー!」


 夕飯を食べながら、娘のマーニャは飛び上がりそうな勢いで喜んだ。

 妻のフェスカに似た肩くらいまで伸ばした金糸の様な髪に、俺に似た赤い瞳。

 俺達夫婦の良い所だけを持って産まれてきた娘のマーニャは、目にいれても痛くない宝物だ。


 勤務明け、帰りがてら購入した髪留めを娘は既に愛用していて、とても可愛らしい。

 もちろん妻の分も購入した、愛妻のフェスカも同じようにしているのだから、眼福だ。


「おいおい……まだ合格した訳じゃないし、喜ぶのは早いだろう?」

「えー、でもアタシ、パパが偉くなったら、習い事いーっぱいしたいなぁ」

「そうねぇ、お隣のアンネちゃん、あちこち行ってるものね」

「うん! 私、アンネちゃんに負けたくない!」


 この負けん気の強さは、フェスカに似たんだろうな。

 両手に持ったフォークに突き刺さった肉を、マーニャはパクリと食べる。


「アンネちゃん、毎日何かしらの習い事に通ってるのよね」

「まだ七歳だろうに、そんなに詰め込んで大変じゃないのか?」

「ぜーんぜん平気なんだって! 算術でしょー? 字書きでしょー? 幻術語学でしょー?」


 どれもこれも毎月三万リーフぐらい掛かりそうなものだが。

 ちらりフェスカを見ると、眉を下げた笑みを浮かべていて。


 とてもではないが、兵長の俺の給金では、そんなに多数の習い事に行かせる事は出来ない。

 数をこなせばいい、というものではないとは思うが、子供の才能探しには必要な出費なのだろうか。


「妖精ダンスに、楽器操術、こんなものかなー」

「マーニャは今あげた習い事の、どれをしてみたいと思う?」

「全部!」


 無理だ。

 習い事だけで破産してしまう。

 

「全部だと、マーニャも遊ぶ時間なくなっちゃうわよ? それでもいいの?」

「えー、遊ぶ時間は欲しいー。じゃあ……んー、やっぱり算術かなー」

「マーニャは商人になりたいんだって?」

「うん! お金いっーぱい使って、パパとママに楽させてあげるんだ!」


 眩しい程の笑顔だな。

 これは少しくらい頑張らないと、算術を司るリーフ神から罰を喰らいそうだ。


 となると、やはり特例試験か。

 用紙を見ると……まずは筆記試験、次に実技試験、最後に面接。

 この歳になって試験とか、気が重いな。


「何か手伝えること、ある?」

「……大丈夫、何とかするさ」

「パパ、頑張ってね! マーニャも算術頑張るから!」


 娘の期待に応える為にも、頑張るしかないな。

 しかし特例試験か、一体どんな問題が出るのだろう?

 役務に関する事か、常識問題か、時事問題か。

 アンネちゃんじゃないが、詰め込むだけ詰め込むか。


――――


「あれあれ? 兵長が本読みながら立哨とは、珍しいっすね」

「ああ、ゴーザ君か……特例試験の勉強をしていてね」


 手にしていた本をパタンと閉じて、ゴーザ君の敬礼に答礼する。

 彼が近づくまで気付かなかったとは、集中しすぎたかな。


「ギリ、サボリじゃないって感じっすね」

「これでも、監視の目は光らせているさ」

「へいへい。ちなみにその試験、普段の昇任試験とは別ものなんすよね。なんで急にやる事になったんすかね?」

「さぁな……上の考えている事は、末端の俺らには分からないものさ」

「じゃあ、その考えって奴を、サバス兵長が上に行って、俺に教えて下さいよ」


 プレッシャーなのか、ゴーザ君特有の励ましなのか。

 落ちるのが基本の特例試験なんだ、落ちて当然と思って挑まないと。


 勤務明けの日、普段は昼寝する時間も寝ずに、俺は机へと向かう。


 妻のフェスカが「勉強部屋、用意したから」と言って、物置と化していた書斎を綺麗に片づけてくれたのだから、頑張らない訳にはいかない。最初の日だけ、その場の気分が盛り上がってしまい妻と情事に及んでしまったが、それ以降は勤勉そのもの。


 一人だけの部屋というのは、こんなにも集中出来るものなのか。

 魔術が使えるフェスカが残してくれた灯りの下、一人黙々と筆を走らせる。

 たまに「パパー!」とマーニャが遊びに来たりして、そこで勉強が中断してしまったり。

 

 家族と同僚の励ましを受けながら、俺は試験当日を迎える事となる。


 場所はヴィックス城の客間。「試験会場って王都じゃないんっすか!?」とゴーザ君に言われたが、そんな訳があるまい。王都までどれだけ距離があると思ってるんだ、鳥馬ヒポグリフォ車で二週間以上は掛かる長旅を、試験の為だけに用いたら国が破産するさ。


 巡視の際に入室する事はあっても、こうして席に着くことはなかったこの部屋。

 違和感と居心地の悪さが同居して、どこかもどかしい感じがする。


「まさか、サバス兵長から願書が出るとは思わなかった。我が城に何か不満でもあったのだろうか? だとしたら、直ぐにでも改善するのだが」


 やや困り顔をしているご老体、アド伯爵が蓄えた白髭をさすりながら、俺を見る。 

 これほどまでに信頼されていたのだなと思うと、少々申し訳なくなるな。


「アド伯爵……ありがたきお言葉を頂き、誠に恐縮です。此度の試験は、私自身がどれだけ通用するのか、試してみたくなったというのがきっかけでございますから、アド伯爵がお気になされる事ではございません。万が一、私が不在になったとしても、後釜にゴーザ一等兵がおります。彼は優秀な人間です、いざという時には彼をお頼り下さい」


 うむむ……と眉をひそめられてしまっては、紹介した立場がない。

 アド伯爵から見たゴーザ君の評価は、あまり高くはなさそうだ。


 さて、他人の心配よりも、自分の心配をしないとだな。

 早速、手元にある試験用紙を裏返し、設問に挑む。


【設問一、部下への指導をする際に、何を心掛けているかを答えなさい。】


 こんな問題を設問一に持ってくるのか? 規則や戒律問題が来るかと思っていたが。

 信念にしていた事が一つだけあるから、それを素直に書くのが一番だな。


【設問二、不祥事を働いた部下への接し方、及び改善方法を述べなさい。】


 ……なんだこの設問は。

 この試験問題、ほとんどが部下への指導方法についてじゃないか。  

 せっかく年号や時事問題を覚えてきたのに、やれやれだな。


 指導方法は、これといって明確な答えが設けられていない。

 一人一人の個性を見極めて行うべきだと、俺は考えている。

 ただ、その考え方は、王都の大部隊では通用しない。

 集団統率の場合、個性は捨てるべきもの、レベルに満たない者は捨て去るのだ。


 その考え方を変えられない以上、俺は大部隊を統率すべき人間ではない。

 ……今回の試験、雲行きは悪そうだ。


 フェスカとマーニャが悲しむかもしれないが、別に普段の生活が無くなる訳じゃない。

 それどころか、アド伯爵が俺を買ってくれている事実を知ることが出来たのだ。

 マイナスではない……そう思いながら、俺はヴィックス城の客間を後にしたのだった。


 そして後日。


「サバス兵長」

「はい」

「特例試験、合格だそうだ」


 信じられない結果を、アド伯爵の口から聞く事となった。

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