第43話 2年生の思い
選挙結果が保留となった部長選挙の翌日。土曜日の今日は、午前中にヤマセンの合奏があった。
今日は、部活自体は午前中で終了。午後はフリーとなる。下校する者もいたが、多くの部員は文化祭に向けた係活動や、自主練習に充てた。9月に入ったというのに太陽は容赦なく照り付け、気温も久々に35度を超えた。そんな中、部内はどこかどんよりとした空気が漂っていた。誰も表立って部長選挙の話題を口にしない。まるでそのこと自体がタブー視されているような雰囲気だ。
誠也の所属する大道具係は、文化祭で使う譜面隠しの製作に取り掛かっていた。譜面隠しとは、本番に譜面台の上に載せ、文字通り譜面が客席から見えないように隠すものである。構造は単純で、台紙は厚紙を2枚テープでつなぎ合わせたものである。客席から見える側にはイラストなどを入れて、譜面台から外側に垂らすことによって、見栄えが良くなるというものだ。今回はテーマが「プレゼント」と言う事で、プレゼントの箱をイメージしたイラストを用意した。更に台紙も長年の使用でボロボロになってきたため、作り直すことになった。作業自体は単純だが、それを100枚ほど作らなくてはならず、時間のかかる作業だ。
「誠也くん、ちょっといいかしら?」
誠也が黙々と作業をしていると、不意に声をかけられる。2年生の飯田
「あ、飯田先輩。どうしました?」
声をかけられた誠也は、作業していた厚紙を机に置き、立ち上がる。
「文化祭当日使う看板を確認したいから、ちょっとその作業を手伝ってくれないかしら?」
「あ、はい。もちろんです」
誠也は作業の残りを他の1年生に託し、柑奈先輩と共に教室を出た。
「看板は倉庫にあるから、まずは職員室に鍵を取りに行くわ」
「わかりました」
誠也は廊下を歩く柑奈先輩の後について行く。昨日の今日で、2年生の先輩と二人きりになるのは正直気まずかった。無言の時間がしばらく続く。
「今日も暑いね~」
柑奈先輩は、職員室へと続く廊下の窓から外を眺めながら、不意に呟く。
「そうですね。35度予報でしたから」
誠也はこれまで、柑奈先輩とあまり話をしたことが無かった。どのような先輩かもよくわからなかったため、自然と当たり障りのない会話に終始する。
「もう9月だっていうのに、勘弁してほしいよ」
職員室に着き、鍵を受け取った誠也と柑奈先輩は、再び元来た廊下を戻る。誠也の前を歩く柑奈先輩のポニーテールが、彼女の歩調に合わせて左右に揺れる。その毛先を誠也はぼんやり眺める。柑奈先輩の歩く姿は姿勢が良く、外の暑さとは裏腹に、とてもさわやかに見えた。
「飯田先輩は、暑さには強いタイプですか?」
「柑奈で良いよ」
柑奈先輩は少し振り返って、誠也に笑顔を送る。
「はい、柑奈先輩……」
誠也は遠慮がちに名前を呼ぶ。
「暑いのは苦手。冬生まれだし。誠也くんは?」
「俺も冬生まれなんで、暑いのは苦手ですね」
「そうなんだ。私は1月生まれ。誠也くんは何月?」
柑奈先輩は階段を軽やかに上っていく。
「俺は12月です。おまけに北海道出身なんで、この暑さは堪えます」
階段を上りきると、物品を保管している倉庫がある。柑奈先輩が倉庫の鍵を開けている間、誠也は夏休みにここで、まりん先輩と遭遇した時のことを思い出した。あの時はコンクール直前にもかかわらずヤマセンの合奏が中止となり、まりん先輩はここで不貞腐れていた。まりん先輩は今、どこで何を思っているのだろうか?
「多分、奥の方にあったと思うんだけど……」
柑奈先輩の声で誠也はふと我に返る。気付けば、柑奈先輩は既に鍵を開け、倉庫の奥の方へと進んでいた。誠也は慌てて後を追う。
「あ、あれだ!」
柑奈先輩が指さす方向を見ると、階段状の倉庫の最上段、屋上へとつながる扉の前に置かれたロッカーの上に、それらしき看板があった。
「あ、俺、取りますよ」
「ありがとう、助かる」
倉庫内は無造作に置かれた段ボール箱などで、通路が狭くなっている。柑奈先輩が一度引き返すと、代わりに誠也が奥へ入っていった。
「文化祭終わったら、ここも整理しないとね」
倉庫は吹奏楽部が半ば独占的に使用していた。いつも必要なものだけを取り出し、終わった後は無造作に置かれていたので、倉庫全体が乱雑となっていた。
ロッカーは意外と高く手が届きそうになかったので、誠也は踏み台になりそうなものを探していると、果たして埃の被った丸椅子を発見した。汚れ具合からして、上履きのまま乗っても良さそうだ。誠也はその丸椅子に手を伸ばす。
「なんか、昨日の選挙、混乱しちゃったよね。1年生もびっくりでしょ?」
柑奈先輩が何の脈絡も無く、突然部長選挙の話題に触れたため、誠也は動揺して危うく手を滑らせそうになった。
「あぁ、そうですね……」
誠也は曖昧な返事しかできなかった。動揺を悟られないよう、努めて平静を装う。
「まりん、今日も休んじゃったしね」
誠也は、今回の部長選挙における柑奈先輩の立ち位置が分からず、緊張した。混乱を企てた側なのか、それとも違うのか?
「えぇ、そうなんですよね」
再び曖昧な返事をしながら、丸椅子にあがった誠也は、ロッカーの上から埃の被った看板を下ろした。
「ありがとう! もらうよ」
そう言って柑奈先輩が下から看板を受け取ろうと手を伸ばす。
「あ、埃まみれなんで、大丈夫です」
誠也は看板を先輩に渡さず、持ったまま丸椅子を降りた。
「ごめん、ありがとう。とりあえず、埃さえ綺麗にすれば手直ししないでこのまま使えそうね」
柑奈先輩は誠也が手に持つ看板を確認しながらそう言った。
「この看板どうします?」
「そのまま使えることが分かったから、とりあえず倉庫の入り口のあたりに置いとこうか」
「わかりました」
誠也は看板を持ったまま、倉庫の入り口の方へと階段を下りていく。その間、柑奈先輩が丸椅子を戻してくれた。
「私ね、実は昨日、まりんに投票したんだ」
柑奈先輩のその一言で、誠也の緊張はさらに高まった。何と返すのが正解なのか、誠也にはわからない。
「はぁ」
誠也はそんな間抜けな返答しかできないまま、階段の途中で立ち止まり、振り返った。柑奈先輩が続ける。
「でも私はね、私の意志でまりんに投票したの」
「そう、なんですね……」
誠也は柑奈先輩の発言の意図が分からず、返答に困った。しかし柑奈先輩は、そんな誠也の混乱を知ってか知らずか、話を続ける。
「私、まりんのこと信用してるのよ。本当に部長になってほしいと思って、投票したんだから」
そう言って柑奈先輩は、器用にスカートの裾を抑えながら階段の上段に座る。その所作はとても自然で美しく見えた。
(スカート全開で床にしゃがみ込むまりん先輩とは大違いだな)
誠也は場違いだと思いつつも、夏休みのまりん先輩を思い出し、同時に少し緊張がほぐれた。
「柑奈先輩は、どうしてまりん先輩に部長になってほしいと思ったんですか?」
誠也は不意に、その理由を聞きたくなった。
「多分こんないい方したら誤解されるかもしれないけど、私、コンクールってあんまり好きじゃないのよ」
「はぁ」
柑奈先輩の予想外の返答に、誠也は再び怪訝そうな表情を浮かべる。
「
「そうなんですか?」
「うん。それで、この夏も2年生同士で衝突してね。もちろん、練習の手を抜いていた
柑奈先輩の口から紡がれる言葉は、どれも誠也にとって意外なものばかりだった。そして、今更ながら誠也は、莉緒先輩のことをよくわからないままに投票していたことに気付いた。
「その点、まりんは莉緒と同じく美羽たちを批判しつつも、私とか
「本間先輩も、柑奈先輩と同じ考えなんですか?」
「そうね、琴里も私と同じ。誠也くん達みたいに真面目な子からすると、あり得ないと思うけど」
そう言って自嘲気味に笑う柑奈先輩の表情を見て誠也はハッとした。
「いや、俺もコンクールの結果にはこだわらない派なんで」
そう誠也が答えると、今度は柑奈先輩が驚く番だった。
「そうなの? 私はてっきり、誠也くんはコンクールで結果を残したいタイプかと思ってたけど」
誠也は少し微笑みながら答える。
「昔はそう思ってた時期もあったし、今でもコンクールに出るからには、そりゃもちろん結果を残したいとは思いますけど、でも今はそれだけじゃないなって思いますよ。もっと観客に届く演奏をしたいなって」
「よかった。誠也くんが話の分かる人で」
そう言って、柑奈先輩は笑った。
「他にも2年生には、そう言う考えの先輩が多いんですか?」
誠也が質問すると、柑奈先輩は若干表情を曇らせて答える。
「それは分からないわ。見ての通り、2年生はバラバラだから」
そう言うと、柑奈先輩はすっと立ち上がった。
「そろそろ、戻ろうか。あんまり油売ってるとみんなに怒られちゃう」
「そうですね」
誠也と柑奈先輩は倉庫を出て、鍵を閉めた。
「鍵、俺返してきますね」
「ありがとう。じゃ、私先に作業に戻るわ」
誠也は鍵を握り締め、一人で職員室へ向かった。歩きながら、先ほどの柑奈先輩との会話を思い出す。柑奈先輩は、誠也にとって意外なことを話してくれた。
一つは莉緒先輩の部活に対する考え方。練習に対するストイックさは
もう一つは、まりん先輩に対する評価だ。誠也にとって、まりん先輩はとても良い先輩だと思う。言葉遣いは悪いし、ガサツなところはあるけど、決して嘘はつかない。良いことも悪いこともストレートに言ってくれる。それゆえに、他の部員と衝突することもあるのだが、誠也にとってはむしろ、まりん先輩への信頼につながっていた。誠也やえり子がまりん先輩に対して悪ふざけが過ぎて無礼な言動をしても、表面上は怒った振りをするが、決して偉ぶるようなことも無い。気付けば誠也はまりん先輩に対し、絶対的な信頼を寄せていた。にもかかわらず、誠也はまりん先輩を本気で部長候補として見たことが無かった。しかし、2年生の中にはまりん先輩への信頼を冷静に分析し、部長候補として見ていた人がいるということが分かった。それはほんの一部に過ぎないのかもしれない。しかし、まりん先輩に投票した2年生の全員が、莉緒先輩を部長にしたくない為だけでは無いことは分かった。
それだけでも、誠也はなぜか少し嬉しかった。
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