15年前、6月14日 痴人の愛
私には親友がいる。
幼稚園の頃からずっと一緒の、少し変わった女の子だ。
今も彼女と一緒に登校するため、待ち合わせ場所に向かっている。
そんな彼女に最近元気がない。
中学3年生になっていよいよ受験という壁が見えてきたからだろうか。
いつも楽しそうに上がっていた口角は進級してからずっと引結ばれたままである。
待ち合わせ場所に来るのも今までは私より早かったのに、4月以降は遅刻ギリギリだ。
もう2ヶ月もああなのだから、そろそろどうにかして元気づけてあげたいと思っている。
気分転換に出かけるのはどうだろうか。どこに連れて行こう。
プレゼントがいいかもしれない。何がいいだろう。
あれこれ考えながら進んでいた私の足が、目的地直前で勝手に停止する。
驚きのあまりえっと小さく声を出してしまったと思う。
待ち合わせ場所には既に親友の姿があった。
ストレートの長い黒髪を持つ美少女。
去年の今頃までは眼鏡をかけていたが、コンタクトに変えてから一気に垢抜けた。
文庫本を見つめる髪と同じく真っ黒な瞳は真剣そのものだ。
彼女の名は
可愛いけど少し変わっている、私の親友だ。
治子は私に気がついたようで、本から顔を上げた。
「あっ!ナオ、おはようー!」
治子は本をぱたんと閉じて笑った。
左右不対象に口角をあげて、ぱっちりとした目が見えなくなるほど細めた笑顔でこちらを見ている。
それは私が思い描く「これぞ治子」という顔で、10年間いつも見ていた顔で、約2ヶ月ぶりにみる顔だった。
“
「お……おはよう。」
「なんでそんなところに突っ立ってるのさー。どうしたの?」
戸惑いつつも挨拶を返すと、治子は不思議そうに駆け寄って来た。
私が足を動かすと治子はくるりと振り向いて、学校に向けて歩き出す。
「そうやって読書してる治子見るの、なんだか久しぶりだなーって思ってさ。何読んでるの?」
「今日はなんとあの“大谷崎“こと、
持っていた本を自慢げに見せてくるが、私にはよくわからない。
国語の授業に少しだけ名前が出てきた気がしなくもないが、どんな話なのかさっぱりわからない。
「相変わらず難しそうな本読んでるね。」
「面白いよ。ナオにも貸してあげようか?」
ずいっと本を押しつけてくる治子に、いらないよと首を横に振る。
治子は毎年誕生日とクリスマスに近代文学小説を贈ってくれるが、難しすぎてさっぱり読めなかったからだ。
治子が少し変わっているというのはまさにこれのことだ。
国語の成績がいいことと関係しているのかはわからないが、読む本の趣味が随分大人びている。
小学生や中学生の読書の時間となれば、大抵の人は児童文庫やラノベなんかを読むだろう。小学1年生ならば絵本かもしれない。
だが少なくとも治子は違う。
夏目漱石だの森鴎外だの川端康成だのが書いている、難しそうな本を読んでいた。
初めて治子がすごいと思ったのは幼稚園の年長の時だった。
一人ずつ好きな本を言っていく時間で、みんなは色々な絵本の名前を出していた。
そんな中治子ときたらなんと、
先生はとても驚いて、リアクションに困っていたのを覚えている。
去年図書室で見かけたから少し読んでみたが、とても幼稚園児に理解できるものには思えなかった。
私が治子と仲良くなった小学校3年生の時から毎年誕生日とクリスマスにプレゼントを送り合っているのだが、それも全部本。
私の誕生日には必ず治子のお気に入りの本をプレゼントしてくれる。
優柔不断な私が治子に送るプレゼントを決められずにリクエストを聞くと、決まって「ナオのおすすめの本が欲しいな。」と笑うのだった。
「残念。気が向いたらいつでも貸すからね。」
残念そうに本を鞄にしまった治子は空いた両手で青いスカーフを整えている。
何回もしてきたこのやりとりをするのも、実に2ヶ月ぶりだ。
3年生になってからの治子は笑顔を見せなくなっただけでなく、大好きなはずの本からも離れていた。
「……治子、元気になったんだね。」
「うん。本当はね、ナオがすごく心配してくれてたの知ってたんだ。ごめんね、ありがとう。」
治子はニコニコと笑ったまま言う。
本当に何もかも今まで通りの治子で、なんで元気になったのか気になってくる。
「もうすっかり回復、受験なんて余裕だよ。お呪いが効いたのかな。」
私の胸のうちを見透かしたように、治子は白い歯を見せて笑う。
お呪いって一体何をしたのか。
ここまで効果のあるお呪いなどなかなかないだろう。
「お呪いって、何したの?占いの本でも読んだ?」
「そんな子供騙し、誰が信じるの。私が考えた最強のお呪い〜。」
「うわ、子供騙しより胡散臭いの来た。」
「どういう意味?」と治子が唇を尖らせるので、思わず吹き出してしまった。
治子も釣られてくすくすと笑っている。
私の笑いが収まると、治子がまだ笑いながらも口を開いた。
「私を信用してよ。本当に効果あるんだから!」
「信じてるよ。だから教えて。」
足を止めた治子は私の耳に顔を寄せる。
暖かい息が耳にかかって、少しくすぐったい。
「1年に1回だけできるの。来年は誘うから一緒にやろう。」
一歩退いて離れた治子を見ると、悪戯っ子のような不適な笑みを浮かべていた。
私はわけのわからぬまま小さく頷く。
治子は満足そうに笑うと両手で私の手を握った。
「行こうか、遅刻しちゃう。」
走り出す治子に手を引かれて走り出す。
息を切らしながら着いた学校は、いつもより一段と明るく見えた。
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