第11話 メイド、断る


 朝起きたら神崎がいなかった。

 ずっと自分のそばにいるって言ってたのに。メイドが家に来たのも夢だったんじゃないか、とも一瞬思った。


 けれど、しばらくして洗面所のほうで水の流れる音が聞こえてきた。洗面所の鍵は何故か閉まっている。


 諦めてソファーで待っていると間もなく、化粧を終えた神崎が姿を現した。


「あら、もう起きられたのですね」


「ああ。君のお陰で久しぶりによく眠れた。本当にありがとう」


「もうっ。祐介様は早く起きすぎです。せっかく『目覚めたら食事が用意されてた』プランを立てていたのに……」


 最後のほうはボソボソとしていて、あまり聞き取れなかった。


 彼女は朝食を作り始める。

 今日のメニューはモーニングセット――目玉焼きとサラダと食パン――らしい。


 と、そこで祐介はある事を思い出す。


(お金払ってないじゃん!)


 彼は急いで自室に戻り、引き出しから茶封筒を抜き取って、再びリビングへ戻ってきた。


 後ろ姿の彼女に声を掛ける。


「あの、お金。お前の給料、先に払っておこうと思ってな」


 確か月14万だったっけ?


 お金には困ってない。


 神崎は振り向き、キリッと真面目な表情になると。


「祐介様のもとで働けるのなら、お金なんていりません」


「え、でも電話では月14万って言ってたはずじゃ……」


「あんなのはどうでもいいです。わたくしが欲しいのはお金なんかじゃなくて、祐介様の身体――いえ、なんでも?」


(隠しきれてないよな?)


「へ、へー。あ、でも一円くらいは払っておかないと申し訳ないというか……本当に払わなくていいの?」


 さすがの祐介も動揺した。


「承知しました。一円くらいなら貰っておきましょう」


 そう言うと、やれやれといった表情で神崎は一円をポケットの中に入れた。


「何といいますか。わたくしが祐介様に貢ぐのはいいのですが、祐介様がわたくしに貢ぐのは、ちょっと嫌な気がするんです」


「そうか」


 なんかよく分からないけど、納得した。


「朝食が出来上がりましたので、席に着いて下さい」


 神崎にそう言われ、席に着く。


 先に口火を切ったのは神崎の方だった。


「眠れない、と仰っていましたが、昨晩はぐっすり眠れましたか?」


「うん。君が頭を撫でてくれたお陰で」


「!」


 刹那、彼女の様子がおかしくなった。

 頬を朱に染め、指先をもじもじさせている。


「……どうした?」


「そ、その。はっきり言われると、は、恥ずかしい、です……」


「……ごめん」


 素直に謝る。


「それと悪夢ばかり見る、と仰っていましたが、悪夢は見ませんでしたか?」


「悪夢は見なかった。けど……その、……お前とイチャイチャする夢を見た」


「ぶしゅっ!」


 また神崎は鼻血を出す。


(私の囁きが効いたのですね……でも本当にそんなこと、あるんだ……)


「夢の内容が気になります」


「そ、それは、言えない」


(言えないほどの過激なイチャイチャの夢……何だろう、夜を共に過ごしたのかな? それともSM? いやん。私も祐介様の夢の中に入りたかったぁー)


 バタン


 神崎は顔を真っ赤にさせて、倒れてしまった。


 そしてすぐに起き上がると、

「わたくしも昨晩は祐介様とイチャイチャする夢を見ました」と告げた。


 きっとこれから神崎は毎日祐介とイチャイチャする夢を見るに違いない。

 祐介のほうは何とも言えない。


「そういえば、今日は学校ですよね?」


「ああ。その予定だけど」


「祐介様がいっときでも、わたくしから離れるのは寂しいです。でも……」


「でも?」


「いえ、何でもありません」


 祐介が学校に行くのは神崎にとって、メリットもデメリットもある。離れるのは寂しいが、留守中に彼の家の中を自由に探索出来る。そのメリットに神崎はワクワクしていた。


 食事を食べ終え、彼女に手伝って貰いながらも学校の支度を済ませた。

 まだ時間があったので、適当にテレビを見て過ごした。トランプをしようかと思ったが、彼女は忙しそうだったので、誘うのを辞めた。


 時は過ぎ、時刻7:00。

 祐介は鞄を背負って、玄関に向かう。


 すると後ろからバタバタと足音が聞こえた。


「祐介様、お忘れ物ですよ」


 振り返ると弁当箱を両手で持った神崎がいた。


「それ、なんだ?」


「わたくしが愛情をたっぷり込めて作ったお弁当です♪ 美味しくお召し上がり下さい」


「俺はコンビ――」


「そんな添加物ばかりの不健康なご飯より、わたくしが作ったお弁当の方がきっと美味しいです」


「悪いな。サンキュー」


 祐介は神崎から弁当箱を受け取る。


 そして彼が玄関の戸を開けようとすると――


「いってらっしゃいのハグ、させて下さい」


 ――と彼女がねだってきた。


(恋人かよ)


 少し照れくさいが、日頃の感謝も込めて応じる事にした。


 神崎の大きな胸に潰されそうになる。でも、神崎から漂う、女の子特有の甘い香りが鼻腔びくうくすぐる。身体の疲れが一気に吹き飛ぶ。神崎とのハグは一言で言うなら、『安心する』だ。


 彼がハグに集中している最中、彼女は祐介の襟に小さくて黒いを取り付けた。


 玄関の扉が閉まって数秒後。


「学校で女の子と喋ったら、私、ただじゃおかないから」


 神崎は低い声でそう呟くのだった。




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