第23話 最高にかっこいいと思ったんだ
「な、なにをっ」
爆風で一メートルちょっと前方に吹っ飛ばされ、パパの頭を何とかつかんだまま転倒したキムは、よたよたと立ち上がった後にそう吠えた。そして私の方に目を向ける。と、今度は叫んだ。
「お前何をしたぁっ!」
「あんたがやろうとしたことだよ!」
私も銃を向けたまましゃべった。
「あんたダイナマイトで屋上吹っ飛ばそうとしたんだよな? ダイナマイトの材料にはニトログリセリンが使われている。ちょっとの衝撃で爆発する危険な薬品だ。それをエレベーターのダクトに放り込んだらどうなると思う? 落下したその先でどうなると思う? おあつらえ向きにもあんたの部下とやらが今、下に降りてたよなぁ? スタスラフがいたのか? それともイやパク? 何にせよ、生きてないだろうね」
「貴様……」
憎悪の表情に歪むキムの背後を私は見た。炎に包まれるワイヤー。吹き飛ばされたドアを舐める黒い煙、白い煙。オレンジ色の明かりが眩しい。
そう。これが私のプランだった。「後片付けをする」。出口をシャットダウンすることで逃げ場をなくす。私がFBIにハメられた時のように、退路を断ち、そこに攻撃を仕掛ければ、相手を……かつての私を追い詰めたように、敵を、キムを、追い詰めることができる! 後片付けは得意なんだ! 初恋の時もそうだった……あの時も私は片付けをした。
コレキヨは男だ。筋力がある。重たい爆弾を運べるし、堅いエレベーターのドアだって素手で開けられる。カレンは、よく気が付くから動き出したエレベーターを見てベストなタイミングを探ってくれる。そう、私は二人に爆弾を託した。キムにチェックメイトをかける手段を託したのだ。私が囮になって。私が、「窓ガラスを割って飛び込んでくる」なんて陽動作戦を実行して!
キムが叫んだ。
「お前なんてことをしてくれたんだぁっ! 殺してやる……ぶっ殺してやる。お前の親父を殺した後にお前も殺してやる……」
「黙れ! もうお前の計画は潰えた! 銃を下ろせ!」
今この現場から分かることは、キムの目的である資産の大半はあいつの部下が運んでいたことだ。今手元に残っているのはこのキャリーケースの中身だけ。他全部をこうやって吹き飛ばせば、何もかも灰にしてやればあいつは逃げても損、戦っても損という状況に追い込める……そして、追い込んだ!
しかし。
……しかし。
キムがふと、頭を後ろに撫でつけた。短く切り揃えられた髪が丁寧に逆立てられる。そして目線を下ろしたキムの目は、もうすっかりさっきの目だった。冷徹で、残酷な。
「なるほど参ったよ」
また、ヘラヘラと笑い出す。
「いやはや実に素晴らしい。十七歳でここまで大人を困らせれば大したものだ。君は大物だ」
「黙れ」
さっきから私、「黙れ」しか言ってない気がする。
「黙れ。さっさと銃を下ろせ!」
「そうはいくかな」
キムはまた、銃をパパに突きつけた。「ぐっ」とパパが呻く。キムはまたぐりぐりと、パパの肩の傷を銃口で抉る。パパの、悲鳴。キムが笑う。
「今から目の前でこいつを吹き飛ばせば、将来有望な君の心に私という存在を永遠に刻みつけられるかもな」
「うるさい! 銃を下ろせ!」
私は叫んだ。でも、本当は。
この先のことはプランになかった。正直、考えている余裕がなかった。ただ、キムの退路を断って本人に直接攻撃を仕掛けることしか頭になくて、実際に銃を向けた後どうするつもりなのかは全く考えていなかった。
――結論を急いじゃダメだエミリー。君の悪いところだよ。
日本に来る時のパパの言葉が蘇る。急ぎすぎたか……もう少し考えるべきだったか……。
どうしよう……どうしよう。このまま撃つか? あいつがパパを撃つのより先に? 当たるか? 当てる自信あるか? さっきスプリンクラーの中で撃った時は近距離だったから狙いも適当で済んだ。でも今は? パパに当てないようにキムに当てないといけない。そんなことできるか? いや、やるしかない。やるしか……。
目を凝らす。キムの鎖骨の辺りを狙う。だが撃てない。手が震えて止まらない! 恐怖か、緊張か、それとも怪我のせいなのか、どれなのか全く分からないけれど全然狙いが定まらない。くそっ、ここまで来て、ここまで追い詰めて、結局私はパパを守れずに……。
キムも私の状態を悟ったようだった。だからだろうか、あの余裕を取り戻して、つぶやいた。
「じゃあ、パパにさよならを言え……」
キムが、パパの傷口から、銃口を、離した。それはそのままパパの頭に向かう。
「ああ、あ……」
ようやく傷口を抉る銃口から解放されたパパが、震える声を出してキムを見る。睨みつけるように、上目で、眉を寄せながら……。
「英美里」
キムの銃口が頭に突きつけられるのより、だいぶ前に。
パパがつぶやく。決心したようにつぶやく。
「娘に銃を使わせるなんて最悪な父親だな」
「パパ」
「ダメな俺を許してくれ」
「パパ!」
その直後だった。
パパがキムの腕に縋りつき、そして自分の傷ついた肩に銃口を当て、一気に引き金を、何度も、何度も、何度も引いたのは……。
*
「パパ! パパ!」
叫ぶ。何てことしてくれたんだ。自分ごとキムを撃つなんて! 弾の貫通した肩は普通に肩を撃つのより容易にキムの体に弾を届けたに違いない。人質からの思わぬ反撃にあったキムは胸を押さえてよたよたと後ろに下がった。そして、自分の体を見た。三か所。胸に穴が開いていた。
「あ、ああ……」
さっきまで、あんなに余裕のあった顔が醜く歪んでいた。そして膝から崩れ落ちる。目が、あの細くて切れ長な目が憎しみに染まっていた。だが、それだけだった。キムはそのままばたりと倒れた。
それを見て……キムが確実に倒れたのを見て、私はパパに駆け寄った。パパも倒れていた。肩から大量に血を流して。死んじゃうんじゃないかって量の血を流して。
「パパ! パパ!」
叫ぶ。だがパパは返事をしない。
どうしよう、血を止めなきゃ。血、血、血。くそっ、こんな時どうしたらいいか全然分からない。す、スマホ。スマホで調べれば何か……でもそんなことしている内に!
ああ、ダメだ。ああ、ああ……。
パニックになる。混乱する。何をしていいか分からず両手で頭を抱えた私の、背後からその手は伸びてきた。その手は激しく私をどけた。
「すぐ止血する。あなたは包帯を作って」
びりびりになったシャツの袖。白い腕が肩まで見えていた。手にしていたのは、おそらくそんなシャツの一部。伸びてきた腕は私にそれを押しつけると、残った白い布切れを素早くパパの肩に巻き付けた。それから叫ぶ。
「ぼーっとしないで! 早く!」
「は、はい!」
私も叫び返す。いきなりやってきてパパに応急処置を施したのは、なんとあの出来る女。オトナな女の……。
ミヨシだった。
*
最初、救急隊はどこからアプローチしていいのか、分からなかったみたいだ。
そりゃそうだ。エレベーターは吹っ飛ばした。地上二十階にアクセスする方法を吹き飛ばしたのだ。私たちはある意味上空に閉じ込められたことになる。そこに来て、一人は死にかけ、そしてもう一人も脚から血を流し肋骨の折れた女の子と来ればもう困り果てること間違いない。色んな意味で、キムの言う通りになった。私は大人を困らせた。
やがて、凄まじいタフさを誇るコレキヨと、よく気が利くカレンの手配で屋上のヘリポートが使えることが救急隊に伝わった。かくしてドクターヘリと警察が駆けつけ、私たちは、無事に救助された、ってわけ。
「パパ……」
傷だらけ、もう見るも無残なパパに向かって私は話しかける。自分ごと銃を撃ったパパ。自分を貫通させてキムを撃ったパパ。娘を……私を守ろうとして死にかけたパパ。パパ、パパ、パパ……。
「はい、通して」
救急隊の人が素早く担架にパパを乗せる。私はパパの手を握る。が、すぐさま私もパパ同様に担架に寝かしつけられた。パパと手が離れる。でも、パパは。
「英美里」
意識を取り戻し、にっこり、笑っていた。
それを見て、何だか一気に、解けてしまった。
私は泣いた。赤ん坊みたいに。駄々っ子みたいに。「パパ、パパ、パパ」と……。
ヘリコプターに担ぎ込まれ、並んで寝ころんだその状態で、私はパパに訊ねた。ヘリの爆音のせいでやりとりするのに本当に苦労したが、それでも何とか話せた。パパに訊いた。
「何であんな無茶したの?」
パパは笑った。
「きっと最高にかっこいいと思ったんだ」
私も、笑った。笑いながら泣いた。本当に、多分こんなパパだから私がいるんだろうけど、本当に、本当に、大バカ者のパパだ。
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