サイゲン

「何なんだよ一体…」

 唐突に降り始めた大雨から逃げ、奏と双樹は本堂の脇の建物の中に入り込んでいた。窓がない為に確認出来ないが、音からして滝の中にいる様な大雨である。

「台風が近付いてるらしいから、その影響じゃない?…もぅ」

 双樹は水に濡れた髪を搾っているらしい。ポタポタと水が滴る音がした。

「台風?なんだよそれ危ないじゃないか」

「言ったじゃない。別に小さい奴よ。そこまで近くに来ないらしいし」

 いつもの素っ気ない調子に戻り、双樹は奏の横に座った。

「あ~あ、びちゃびちゃ。後で着替えるわ」

 そう言って、リュックをガサガサし始めた。その状況に奏は知らぬ間にドキドキしてしまい、自分は変態かと目を逸らした。

「でも、それより先にこれね」

「あ、ああ。そうだな。そうだった」

 双樹が取り出したのは着替えではなく、神社の鈴だった。奏はほっとした様な、いっそ残念な気分になってしまう。

「ワザとらしい……いいけどね」

 そんな奏に対して双樹の反応は冷たい。興味無さそうに答えると、鈴に目を戻した。

「ねぇ、さっき何を言おうとしたの?」

「うげ、やっぱり覚えてたか」

 けれども興味はそこだ。双樹だってドキドキした訳だ。始末は付けて欲しい。

「あったり前でしょ!忘れられないわよ、バカ!」

 暗くて双樹の表情も良く見えなかったが、声色がさっきと変わらない。熱っぽい双樹の顔を思い出してしまい。奏は胸がむにゃんむにゃんした。

「う……」

 とは言え雨に降られ、文字通り熱い気持ちに水を差された気分だ。言葉に詰まってしまうが、『なんでもありませんでした』と誤魔化すには、もうカッコ悪すぎる。

「……持って帰った本にさ、『青の時鶴が飛び立つ。光に眠り、夜を食う』って一節が有ったんだけど、どう思う?」

「……へぇ」

 どうでも良い奏の逃走に、双樹は本気で不機嫌になる。

(……っく!分かったよ!)

「双樹は、『あの日』の約束覚えてる?大きな木の下でした、さ」

 変な汗に苛まれながら生み出した言葉は、あの日の宝物。奏は照れ隠しに建物の向こう側の壁を見詰めた。雨音にも慣れてきて、ザアアという音が小さくなってきた気がした。

「ん~………『引っ越しても、また会おうね』じゃなかった?」

「……だろうな」

 やはり思い出せないらしく、奏は肩を落とす。

「むぅ……仕方ないでしょ?十年前よ?」

「うん。まぁなあ、俺もちゃんと覚えている訳じゃないんだがな…」

 いや、覚えてないならそれでいい。俺が思い出させてやる……という事は恥ずかしくて言えなかったが、代わりに奏は双樹の目をじっと見詰めた。

「双樹」

「な、何よ?」

 双樹は真正面から見詰められて目を逸らし…そうに成ったが、負けん気で我慢した。

(目を逸らしたら負けって、お前は猫か?)

 奏は笑いそうになったが、目は真剣なまま双樹の両肩を掴んだ。

「ひゃうっ!?」

 これには流石の双樹も固まってしまった。しかし奏は止まらない。今度は考えうる限り甘く、そして情熱的に目の前の女の子の名前を呼んだ。

「双樹……」

「は……はい?!」

「双樹。一緒に居よう、ずっと。離れ離れになる事もあるかも知れないけど、何回離れたって、何年離れたって。明日また会うようにおやすみをして、昨日会ったようにおはようをしよう。僕らの未来は、共に続いているんだ」

 それはそれは情熱的な告白である。受けた双樹はぽかーんとしている。

 そして双樹の頭が真っ白になってから十数秒後。

「は…はいぃ!?」

 突然の告白に真っ赤になった。それを確認してから尚、奏の愛の言葉は続く。

「だから、ずっと一緒だよ。ここで、僕らの時間は止まって、ずっと一緒に居られるんだ。双樹。僕を忘れないでね………引っ越しても。再会したその時にも」

「うん……え?」

 そう締めくくり、奏の告白は終わった。心臓がバクバクして、このまま破れるんじゃないかと思った。そうしたら文字通りのハートブレイクだな~、なんて頭の片隅で思った。

 まぁ、一世一代の告白中に、余計な事を考えられるのには理由がある。

(だってこれ、一言一句違わず、二回目だし)

「………どう言う事」

 ほらやっぱりだ。

 予想通り、双樹は最後がお気に召さなかったらしい、顔が真っ赤なまま冷めた目をしている。双樹はふざけているのか真剣なのか、見定めるかのようにジーと奏を見詰めた。『もし嘘や冗談やからかっているなら引っ掻きまくった後に大泣きするわよ』とでも言わんばかり。双樹にしては珍しい、拗ねている様な、不安な様な、怒っているかの様な表情だ。

 これにはいよいよ奏は気が抜ける。つまりは奏の努力は、全く実ってなかったらしいのだ。

「だから、これ告白だよ。十年前の。あの木の下でした。ハッキリ言って俺はあれで恋人同士になった気で居たから、特にアプローチもしなかった訳だよ。というか、これを忘れている相手に、これ以上の愛への言葉を積み重ねる気はないね」

 奏は、もう恥ずかしくて顔が熱くて、向うの壁の木目を数えてしまう。何かもう、色々気を紛らわせながらでないと話せる気がしない。

 一方奏の話を聞いた途端、双樹はやっべーという顔になった。

「そういやそんな事言われた気がする…」

 一瞬かなり後悔した顔になる。

「う~~~~~……」

 そして今度は気恥ずかしさを誤魔化す様に、眼をキョロキョロさせた。クルクルと表情が移り変わっていく百面相。忘れていた後悔と勿体ない事をしたと言う恐れと、照れ照れ。

 そんな物を見せられては、奏だって普通で居られない。

「覚えててよ、ソウちゃん」

「いや、十年前の事なんて普通覚えてないし…それに十年前の恥ずかしい台詞、覚えられてても困るでしょ?子供の言葉だし。酔っぱらっての勢いとか勘違いかもしれないでしょ」

 うんうん、と何を納得したのか頷いてる。これは重症だ。

「ねーよ。幻想の言葉じゃない。いや、これが幼き日の幻想の言葉なら、俺は現実に生きなくたっていい。大人にだって成らなくていい位だ」

「ソウ……くん」

 こうなったら、やるとこまでやらないと意味がない。奏は諦めて殉職を決める。

「いいか、恥ずかしいから、もう一回しか言わないぞ」

 息を吸い、双樹の顔を一切見ない様にして、もう最後の勇気を吐き出した。

「普通の事じゃないから覚えておきやがれ。十年前と俺の気持ちは何にも変わってねえよ。時間は止まってんだ。本当にあの時必死で、双樹の為に死んだって良いと思ったんだ。今この時に止まれって。だから気持ちは絶対変わらない。俺は十年前のままだよ、あ~畜生!」

 一息に言い終わると、もう耐えられなくなって、ぽーんと壁に全体重を預けた。

 体全部が心臓に成ったみたいだった。自分の中に冷たい部分何て一変もない事が分かる。そのままズルズルと倒れ、今度は横向きに向こうの壁を睨み付ける。

「覚えててよ……」

「……うん」

 双樹は恥ずかしそうに頬を掻いた。そして、奏とは別の方にパタンと倒れた。

「そっか…」

 そして、にふふと笑う。奏は気配だけで双樹が笑った事を感じて、顔を見れなかった事を悔やんだ。でもそれを覗き込みに行くのはあまりにも恥ずかしいので、ただ目を瞑った。

「うふふ。そうだったんだ」

「いつまで喜んでるんだよ……」

「だってね~♪」

 双樹は何を納得したのか嬉しそうに笑う。

「んく!?」

 奏はと言うと背中にこつんとぶつけられた物が双樹の頭だと分かり、ビクッと硬直。

「……ったく」

 ただ、ロマンティックな物じゃなくて、単に双樹のテンションが上がった結果の頭突きだったらしい。でも背中に当てられた掌とおでこが温かく、きっと双樹の身体も冷たい場所なんて一変もない事を、奏に思わせた。

「雨、止みそうにないね。これじゃ帰れないね……だから、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 双樹の声はいつもと違って、なんだかおかしく成りそうだった。

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