第14話(SIDE E)


「委員長、いつまでここで時間を使うつもりだ」


「ああ、すまない。でも、もうちょっとで形になりそうなんだ」


 総司の謝罪は口先だけ……とまでは言わないが、その手は作業を続けていた。座り込んだ総司を前に、腕を組んで仁王立ちとなった若葉が彼を睥睨している。

 総司がワーウルフの魔法使いと決闘し、魔法薬を手に入れ、魔法の杖を譲られたのが二日前。魔法の杖を詳しく解析し、ある着想を得た総司がその試行錯誤をし、昨日はそれで終わってしまっている。総司にとっては有意義な一日だったのかもしれないが他の四人は食って寝る以外に何もできない、時間を浪費しただけの一日だったのだ。


「今日もそれで終わるつもりか」


 もし「そうだ」と言おうものならギロチンのような蹴りがその首を刎ねるかもしれず、総司は首をすくませた。


「いや……この魔法の杖とこの迷宮は本質的には同じものなんだ。ただ規模が桁違いなだけで。だからこの杖を理解することはこの迷宮を理解することの第一歩となる。それに、この杖に入っている魔法陣をコピーで増やして、それを組み合わせていけば、いずれはこの迷宮に対抗できる……いや、そこまでは無理か。でもクラッキングを仕掛けて情報を抜き取るくらいのことは」


「お前のやっていることが無意味とは言わない」


 総司の言い訳を断ち切るように、匡平が強く言う。


「でも、それは今最優先でやるべきことか?」


「……でも、この迷宮の情報がそれで手に入るのなら」


 里緒が遠慮がちに総司を擁護しようとし、匡平がため息をついた。


「三島、たとえるならさ。その杖がトランジスタラジオならこの迷宮は富岳みたいなスパコンだ。違うか?」


 いや何も、と総司はそれに同意する。


「ラジオのトランジスタを何個組み合わせればスパコンに対抗できる?一億か? 十億か? それを作るのにどれだけ時間がかかる? 十年か? 百年か?」


 総司はしばらく沈黙し、それは匡平も他のメンバーも同じだった。やがて総司が深々ため息をつき、


「……高月の言う通りだ、この方法はあまりに迂遠すぎて現実的じゃなかった。クラッキングを仕掛けるならもっと高性能な、せめてパソコンレベルの魔法の杖を手に入れたい。そのためには外部勢力との協力が必要で、そのためにはもっと情報が必要で、そのためにはもっと迷宮探索を進めなきゃいけない」


「やるべきことは最初から何も変わらない、か?」


 そういうことだな、と総司は笑って肩をすくめた。総司がようやく再起動し、一同は安堵の顔となった。


「それじゃリーダー、今日はどういう方針で?」


「基本的にはこれまでと同じく、ゾンビに襲われている獣人をレスキューする。でも一昨日よりも一歩外に近付いて、獣人の様子をうかがたい。敵意が薄れているならより大胆に接触することを考えていく」


 異議なし、と一同が声を揃える。そして彼等は探索を開始し、


「まさか……」


「――人間の軍隊?」


 さらなる一歩を進めることとなる。






 それは総司達五人が迷宮探索を再開してその直後、と言うべき時点だった。葵が前方からの集団の接近を察知、


「数は一〇、足音が軽いから多分一般兵かな。普通に移動して、こっちに向かっているみたい」


「さっきのターミナルまで後退する」


 総司達は大急ぎで元来た道を戻っていく。数百メートル走って到着したのは、複数の通路が結合した広間のような場所。この迷宮に無数にあるそのような場所を総司は「ターミナル」と呼んでいる。

 総司達はその一角に陣取って、相手が通路から出てくるのを待った。相手側も総司達の気配を察知し、追ってきたのだろう。姿を現したのはすぐである。


「え……」


「うそ」


 と目を見張る里緒と葵。驚いているのは若葉や匡平、それに総司も同じだった。そこにやってきたのが獣人ではなく、人間の集団だったからだ。その数は一〇、成人男子ばかりだ。装備はそこまで粗末ではなく、ワーウルフの魔法使いが率いていたベテラン兵と同程度か。いくつもの魔法のランタンを使って前を照らしているが、その光は獣人のそれと比較すれば桁違いに強かった。

 彼等の容貌は元の世界の人間と何も変わらなかった。ただ人種としては、地球上のどれに該当するとも言い難い。髪は黒や焦げ茶、肌の色は比較的白いが顔のほりはそこまで深くない。西洋人と東洋人の中間、というのが一番適しているように思われた。

 獣人ではなく人間と接触できたなら――総司はそれを待ち望んでいたはずだった。だがそれが現実となった今、彼は大量の冷や汗を流しながら必死に相手の出方をうかがっている。そしてそれは相手側――現地人側も同様のようだった。


「من هؤلاء」


「ماذا ينتمون؟?」


「أنا في انتظار تعليماتك」


 彼等が何か話し合っているがその意味は一つも判らない。だが想像するのは難しくなかった。現地人側の目が、彼等の中の一人に集中している。一番上等な装備を身にした彼はこの部隊の隊長なのだろう。指示を求める部下に彼が何か言い、彼は険しい顔で総司達に全神経を集中している。その隊長と総司が対峙するその姿は、鏡に向き合うかのようだった。

 冷や汗を流し、光の速さで思考を巡らせていた総司だが、ついに決断する。


「――桂川はそのまま。他は武器を全部捨てて両手を挙げてくれ」


 総司が腰の短剣を投げ捨てて両手を挙げ、若葉も匡平も葵もそれに続いた。里緒もバイオリンを持ったまま両手を挙げている。そして総司がそのままゆっくり前へと進み、若葉達がそれに続いた。徐々に接近する総司達を、隊長は歯を軋ませながら見つめ続けている。部下が何かを促しているが、あるいは攻撃許可を求めているのかもしれない。彼は総司達へと向かい――


「قف!」


 その強い言葉に総司が即座に足を止めた。両者がほんの数メートル、一挙手一投足の間合いで対峙する。現地人側の、一人一人の表情が手に取るように判る距離だ。そこに浮かぶのは疑念、警戒、敵意、そして何より恐怖の感情だった。一方総司達もおそらく……いや、間違いなく同じ顔をしていることだろう。


「اترك هنا」


 現地人兵士が五人ずつの二手に分かれて総司達を挟み込んだ。隊長が先頭に立って移動を開始し、総司達五人は彼等に連行される形となっている。先頭は総司、次に若葉、真ん中に里緒、次に葵、最後尾が匡平だ。兵士側は剣や槍を見せつけるようにし、最大限の警戒を続けていた。もちろんそれは総司達も同じである。


「……正直、獣人とやり合うときよりずっと怖い。相手は人間なのに」


 若葉の呟きに総司は「俺もだ」と頷き、後方からも無言の同意が伝わってきた。

 獣人よりも人間が恐ろしいのは、それだけ人間のことをよく知っているからだろう――人間がどれだけ野蛮で、残虐で、冷酷かを。フィクションに出てくるどんな悪魔と比較しても、現実の人間の方がよほど悪逆非道だった。

 ただ、総司達が彼等を恐れるのと同じように、彼等もまた総司達を恐れている。ほんのちょっとしたすれ違いですぐさま殺し合いになるのは間違いなく、当然総司はその備えをしていた。里緒はすぐに呪歌を使える状態だし、魔法のカバンの中には武器のコピーが入っている。仮に戦闘になっても逃げるくらいは何とかなる――結果としてその見通しはあまりに甘かったのだが。

 現地人兵士に連行されて歩くこと数十分、通路の先に光が見えた。最初は星のように小さな灯火だったそれが、次第に大きくなる。どんどんと大きくなり、目が眩むほどに光り輝いていく。


「まさか……」


「外?」


 夢にまで見た、待望の外。太陽の光――若葉達は取り囲む兵士のことも一瞬忘れ、その輝きに目を奪われた。


「虎姫、焦らなくていい」


「そうそう、ちょっと歩けばもう外だから」


 おもわず走り出しそうになる若葉を匡平達が抑え、若葉も「そうだな」と懸命に自制した。一方沈黙を守っている総司は別の意味で焦りを抱いている。だがその間にも彼等は順調に前へと進んでおり、外はもう目前だった。

 あと一〇〇メートルで外だ、あと五〇メートル、あと二〇メートル。ああ、その出入口を通り抜ければ外に――

 そして総司達は今、太陽の下にいる。おぼれそうなほどに圧倒的なその光量に目が眩み、何も見えなくなる。やがて目が光に慣れて、視界が戻ってきて――最初に目に入ったのは人間の兵士の姿だった。おそらくは、千や二千ではきかないほどの兵士がそこにいる。総司達へと胡乱な、あるいは敵意に満ちた目を向けている。そしてそれ以上に好色な目が若葉へ、葵へ、里緒へと注がれた。

 里緒が涙目になっているのはいつものことだが今は葵も同じ顔だ。必死に無表情を装う若葉だがその焦燥は隠しきれてはいなかった。それは匡平も、総司も同じである。


「三島……」


 判断を間違えたんじゃないのかと匡平が問い、誰よりも総司自身が臓腑を灼かれるような思いを抱えている。だがそれは匡平達とは別の理由、別の疑念に因るものだった――果たして自分達は、迷宮の外に出られるのか?

 隊長が前へと進み、兵士達も動いた。若葉達も歩こうとし、だが総司は止まったままだ。折れんばかりに歯を食いしばり、血が出そうなほどに握り締めた拳が震えている。隊長が「何をしている」と前進を促したが、それでも総司は動こうとしなかった。


「委員長?」


「みんなは動くな。何があっても絶対に、ここから一歩も動くな」


 そう言い残した総司が前へと進んだ。小走りとなって、隊長を追い抜き、そのまま全力で前へと突き進んでいく。隊長と兵士が慌てて走り出して総司を追い、葵や里緒も動こうとするのを若葉が制止した。

 大した距離も走らずに総司はすぐに兵士に捕まった。兵士の一人が総司の腕を掴んでねじり上げ、隊長を含む何人もの兵士が剣を抜いて総司を包囲する。迷宮の入口からは五〇メートルほどしか離れておらず、距離が足りない可能性も――幸か不幸か、その懸念は不要だった。

 総司を拘束していた兵士が悲鳴を上げた。掴んでいたはずの総司の腕が、千切れている。彼が持っているのは手首だけだ。流れる血はすぐに止まり、代わりに光を放って砂のように崩れ出した。手首だけではない。総司の全身が光を放って、末端から徐々に崩壊していく。

 総司達の身体は魔法のレゴブロック製、デリートもコピーも一瞬だ。大量の魔素を含有しているためで、大げさに言えば全身が魔素の塊みたいなものだった。だがそれも迷宮のサポートがあっての話で、迷宮という結界の外でその身体カタチは維持できるのか――そして懸念通り、魔素の結合が次々とほぐれ、総司はその形を喪おうとしている。


「くそっ、間に合うか?!」


 総司は元来た道を全力疾走して迷宮の入口を目指した。だがあと二〇メートルという時点で転んでしまう。崩壊した足が千切れてしまったからだ。片腕だけで前へと進もうとするがその腕も崩れてしまう。もう尺取虫のように這って動くしかないがろくに進まず、崩壊する速度の方がよほど早い。このままでは――


「委員長!」


 迷宮から飛び出した若葉が疾風のように総司の前までやってきてその胴体を担ぎ、ダッシュで迷宮内部へと戻った。総司が何を言う間もない早業だ。


「虎姫! 身体は」


「ばかか! 自分の状態が判っているのか!」


「三島君!」


「どうしよう、止まらない!」


 迷宮内部に戻って崩壊速度は遅くなったが、止まったわけではない。総司の身体は光となり、砂となってどんどんと崩れていく。手足は完全に崩れ去って残っているのはもう胴体と首から上だけだ。だが、


「大丈夫、まだ間に合う。高月、巻物を」


 匡平も「もうそれしかない」と考えていたのだろう。苦渋の顔となりながら、それでもためらいなく「再生の巻物」を総司へと使用する。巻物が眩い光を放ち、それが収まり、そこにいるのは元に戻った総司――手足の欠損は嘘のように消え、掌の火傷もなくなり、全てが最初の状態に戻っている。蓄積された疲労すらなくなって体調も万全だ。

 総司は自分を取り囲む若葉、匡平、葵、里緒を見回した。若葉には身体の崩壊は見られない。彼等は総司が助かったことに安堵しつつも、それを自分に禁じているような顔だった。実際、総司は助かってなどいない。崩壊し、死ぬ寸前だった総司はデリートされて消え去ってしまい、コピーされた初期状態の総司と置換されただけなのだから。


「――やあ、初めまして」


「お前の冗談は面白くない」


 匡平の反応に総司は傷付いた顔をするが若葉達の評価も全く同じのようだった。

 さて、と総司は立ち上がって現地人兵士と向き合った。彼等の目は、一変していた。敵意は残っている。疑念は一層強まっている。だが好色の目は消え去り、ほとんど全部と言っていいのは、恐怖の目だった。まるで、幽霊か化け物を見るかのような目――


「いや実際、幽霊か化け物としか言いようがないんだけど」


 自嘲した総司が肩をすくめ、現地人側の行動を待った。だが恐怖に囚われた彼等はいつまでも動こうとせず、身も心も凍り付かせたままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る