第4話 月明りの下の攻防(陸奥志津香視点)

 18時になり女バスの練習が終了した。 


 もうすぐ夏の大会も近いこともあり、最近はハードな練習が続いている。 


 バスケは好きだし、もっと上手くなりたい向上心があるので、ハードな練習も仲間と共になら耐えれるのだけど。


「流石にこの汗の量はやばいよね……」 


 そう。問題は練習後。 


 練習中は気にならないけど、練習後の汗の匂いはかなりきつい。 


 制汗剤だけでは抑えることができない。 


 こんな汗臭いまま、大好きな蒼の店に行くなんて乙女的にNG。 


 私は早足で家に帰ることにした。 


 住宅街にある工房。 


 純一さんが経営しているカフェテリア≪くーるだうん≫から徒歩数分に工房がある。


「おかえりー志津香」 


 工房で革製品を作成しているゴリマッチョのクマみたいな私のお父さん、陸奥完太郎むつかんたろうが出迎えてくれる。


「ただいま。お父さん」 


 私の家は自宅兼工房となっている。 


 お父さんとお母さんが始めた小さな工房。


 主に革製品の製作、販売を行っており、細々とやっている。 


 工房からの方が浴室に近いのでこちらから入って行った。


「もうすぐ夏の大会か」 


 ドアから自宅に入ろうとしたところで、お父さんが声をかけてくれる。 


「うん」

「試合の日はみんなで応援に行くからな」

「ありがと」 

「そういえば純ちゃんとこの紗奈ちゃんも、もうすぐ大会って言ってたな」

「そうだね。私は応援しに行くつもりだけど」

「もちろん。紗奈ちゃんの試合もみんなで応援に行こう」 


 そう言って、クマみたいな顔がくしゃりと歪む。 


 こっちも、ニコッと微笑んで自宅へのドアを開けた。


「あら。志津香。おかえり」 


 おっとりとした声で出迎えてくれたのは、私のお母さんの陸奥沙友里むつさゆり。 


 手にトレイを持っており、その上にはコーヒーが乗っている。


 お父さんの一服用の飲み物だろう。


「ただいまお母さん」

「練習お疲れ様。お風呂入ったらすぐに晩御飯にする?」

「えっと、この後カフェに行こうと思って」

「まぁた蒼ちゃんのとこ?」

「本忘れちゃって」

「本?」


 予想もしていなかった単語を耳にしてお母さんは首を傾げた後に、クスリと笑った。


「なるほど。それを言い訳に蒼ちゃんに会いに行くと」 


 流石母親。鋭い。


「違いますー。本当に忘れたんですー」 


 そう言って、家に上がった。




 ♢



 

 お風呂から上がり、制服に再度着替えてカフェテリア『くーるだうん』に足を運ぶ。 


 制服に着替えた理由は、部活終わりにそのまま来たよってことを蒼にアピールするため。 


 わざわざお風呂上りに来たと思われたら、それこそ蒼に会いに来たと思われちゃうからね。


 ま、その通りなんだけど……。


「あ、志津香ちゃん」 


 懐かしのセーラー服を着た可愛い女の子が私の名前を呼んだ。 


 彼女と目が合うと看板から手を離して手を小さく振ってくれる。


「紗奈ちゃん」 


 こちらも彼女の名前を呼んで手を振りながら近づいた。 


 蒼の妹の水原紗奈ちゃん。 


 相変わらず、蒼に似て美形の女の子だ。 


「おかえり」 


 お疲れ様でも、こんばんはでもなく、おかえり。 


 その言葉は他人ではなく家族な感じがして凄く嬉しかった。


「ただいま。紗奈ちゃんも今帰ってきたの?」

「うん。今さっき帰って来たよ」 

「おつかれー。もうすぐ大会だよね」 

「そうだよ。志津香ちゃん応援来てくれる?」

「うん。みんなで行くよ」 


 そう言うと、紗奈ちゃんは手を合わせて喜んだ。


「わぁ。志津香ちゃんが来てくれたらみんな喜ぶよ」

「でも、うざいOGが来たとかならないかな?」

「ならないならない。みんな志津香ちゃんにはお世話になったんだから。絶対来てね」

「良かった」 


 ふふ、と笑うと今度は紗奈ちゃんが聞いてくる。


「志津香ちゃんももうすぐ大会だよね?」

「そうそう。紗奈ちゃんよりかは日程後だと思うけど」

「私も絶対行くからね。全力で志津香ちゃん応援する」

「紗奈ちゃんの応援があったら百人力かも」 


 そう言ってお互い笑い合う。 


 私と紗奈ちゃんは昔からずっと仲が良い。 


 まるで本当の姉妹のように仲が良いので、たまに間違えられたりする。 


 兄弟姉妹のいない私には本当の妹みたいで、彼女の存在はありがたい。 


 てか、蒼と結婚したらまじもんの妹になるから、本当の姉妹で間違いないかも。 


 うへへ。


「そういえば志津香ちゃんは……部活帰り?」 


 内面で気持ち悪い笑みを浮かべているところでの質問だったので面くらって、「あははー」と視線を外してしまう。


「実は本を忘れてね。部活帰りに取りに来たんだ」

「ふぅん」 


 なにかを察した声を出すと優しい笑みで言ってくれる。


「兄さんならクローズ作業してるから中にいるよ」

「べ、別に蒼に会いに来たわけじゃないけど……」 


 こちらの反論に、クスリと笑うと。


「そうですか」 


 なんて大人の対応をされてしまう。 


「看板。しまうの手伝うよ」

「いいよ、いいよ。疲れてるだろうし」

「あー。じゃあ、半分こしよう」

「半分こ……。うん。わかった」 


 話しがまとまり、私と紗奈ちゃんは半分ずつ看板を持って店の中に入って行く。 


 カランカランと音を立ててドアを開くと、純一さんが店内をモップ掛けしている最中だった。


 こちらの様子を見ると、にっこりと微笑みかけてくれる。


「おかえり。紗奈。志津香ちゃん」 


 純一さんも、おかえりと言ってくれる家族感。 


 蒼の事も好きだけど、この家族が私はすごく好きだ。 


 そのうち水原志津香になる日も遠くないだろう。 


 そうなるためにも蒼のやつ、さっさとデレてくれないかな。


「蒼ならテラス席で黄昏てるよ」 

「蒼じゃなくて本を取りに来たんですけどね」

「そうかい、そうかい。その本を蒼が持ってるから行ってあげて」

「はーい」 


 本を蒼が持ってるのは好都合。 


 今からデレさせてやろう。 


 そう息巻いてテラス席にやってくると。 


 ぐはっ! 


 私はテラス席に座る蒼を見て、意識が飛びそうになった。 


 手足を組んだ状態で月明りに照らされた彼の姿は、ミステリアスで儚く、見ている者全てを魅了するかのような雰囲気。 


 一体、なにを考えているのだろう。その頭の中を知りたい。私だけに話して欲しい。あなたに付いて行きたい。


 そう思わせる。 


 ただし、近づいただけで私は溶けてしまうのではないだろうかと思うほどにイケメンだ。 


 しかしながら、近づかなければデレさせることができない。 


 私は決死の覚悟で蒼の正面に座る。


「相席しても良いかな?」 


 震える声で言うが、そのキリッとした目力でこちらを見つめてくる。


「お前って意外とドジだよな」 


 いきなりの声かけと同時に手を伸ばしてくる。 


 その手には私の忘れ物があった。 


 月明りの蒼が尊すぎて顔が直視できないでいる。


「やっぱりここに忘れてたのか。中身見た?」 

「見てない。今、気が付いたし」 

「良かった。大事な本だから」 

「大事な本?」 


 意外にもその部分を蒼が拾い上げる。蒼を観察する上で大事という意味だったのがけど……。


「誰かにもらったのか?」 


 ちょっと不安げな質問にニヤリとしてしまう。


「んー? どうだろうね」


 カマかけてやる。


「どんな中身なんだ?」

「気になる?」

「気になるな」

「ふぅん。それって私の読んでる本だから気になるって意味?」 


 これでどんな反応を示すかと期待していたが。


「そう……だな。普段読書をしない志津香が読んでるって意味ではそう捉えられることもできるかもな」 


 ですよねー。 


 そりゃ、志津香が読んでる本だから気になる、とは答えないよねー。 


 予想の範囲内。 


 だが、蒼が本を気にしているのは事実だ。


「気になるなら貸してあげようか?」 


 ここで蒼に貸すことで、この本の話題ができるし、返却してもらう時に絡む回数が増える。それというのは、デレさせる回数が増えるということだ。


「良いのか?」

「良いよ。私は全部読んだし。中身も全て覚えてある」

「なら、遠慮なく」 


 蒼が私から本を受け取ったのを確認すると、私は立ち上がった。 


 これ以上、月明りの下での会話は危険だ。 


 私が先にデレてしまいそうになる。


「じゃあね蒼。バイバイ」 


 戦略的撤退。


「ああ。またな」 


 蒼の声をバックに店内に戻り、紗奈ちゃんと純一さんへ手を振ってから店を出た。


 店を出ると、6月の風が私の体をなぞった。 


 その瞬間、まるで風が私に知らせてくれるように、あることを思い出す。


「あの本……。お父さんの≪プロ野球名鑑≫だ」 


 やっば……。中身全部覚えてるとか言っちゃった……。 

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