第十八章 開幕   辻井俊成・2019年5月10日

 辻井俊成は自宅のパソコンのモニターの前に座り、突如現れたサイトの紹介文を見て苛立ちが収まらなかった。


 高倉の事件を主なネタとして取り扱っている大型掲示板があるのだが、その掲示板に誰かが知らないサイトのURLを貼り付けていた。


 “高倉の事件の被害者遺族の方のための自助サイトを作成しました。こちらのサイトを宜しければお使いください”そのURLを貼り付けた人物はこう書き込んでいた。


 その人物の書き込みの後、大型掲示板の書き込みはサイトの方へ移動したのか、書き込む件数が激減していた。


 何が自助サイトだ。助け合いなど不要だと辻井は思った。


 辻井はここ最近、会社で作成しているアプリの納期間近で仕事が忙しく、なかなか掲示板を見る事が出来なかった。今日は久しぶりに定時で帰宅したので、ブラウザのブックマークに登録していた掲示板を見に来たのだ。しばらく見ない間にこんなサイトが作成されていたとは。


 辻井は一瞬寒くて震えると、デスクのチェアの背もたれに掛けていたカーディガンを、着ていたパジャマの上に羽織った。もう五月半ばなのだが夜は冷える。


 辻井は再度チェアに腰かけると、パソコンのキーボードの横に置いてあった灰皿を手前に引き寄せた。残り少ない煙草の箱から煙草を一本出し、ジッポライターで火を点け吸い始めた。


 辻井は煙草を吸いながらその大型掲示板に書かれたURLをコピーすると、ブラウザのブックマークに登録しているURLチェッカーのサイトのページを表示した。そのサイトの検査フォームにコピーしたURLを貼り付け、「検査」ボタンを押した。すぐに検査したURLのページが安全なサイトかどうかの診断結果がモニターに表示された。


 これは職業病だ。辻井は理系の大学を卒業後IT企業に長く勤めてエンジニアとして勤務をしていたので、セキュリティの大事さを最低限は理解していた。下手なリンクを踏むとパソコンがウイルスに感染するかもしれない。


 今モニターに表示されたサイトのIPアドレスをチェックすると、どうやらアメリカのサイトのようだった。辻井は眉をひそめた。サイトの作成者の住所の記載はなく、登録してある連絡先もフリーメールのみだった。だがマルウェアなどの悪質なプログラムコードは検出されず、詐欺サイトではないようだった。


 辻井は少し悩んだ末、その掲示板に記載されたURLを開いてみた。表示されたサイトは白い背景に黒文字でタイトルも何もなくシンプルな作りだった。画像も何の装飾もなく、“自助掲示板”と“愚痴掲示板”というリンクの黒い文字がサイトの真ん中に横に並んでいた。下には“メッセージチャット”という黒い文字で書かれたリンク先があるだけで、かなり簡素なデザインだった。このサイトの作成者は確実にwebデザイナーではない職種だろうなと辻井は思った。センスの欠片もない。


 辻井はメッセージチャットのリンク先を再度URLチェッカーで確認した後、開いて見た。まだ何のやり取りもしていないので履歴はなかったが、どうやらサイト作成者との個人的なメッセージのやり取りをするチャットのような画面が表示されていた。


 辻井はトップページに戻ると、自助掲示板のリンク先の安全性を確認した後、開いて中を見た。


 “私は管理人です。みなさんここで気持ちを吐き出したり、助け合いましょう。よろしくお願いしますね”


 最初の書き込みは管理人という名前の人物の書き込みだった。この自助掲示板では既に管理人を含めた数人のやり取りが見て取れた。内容は傷のなめ合いのようだった。管理人は被害者遺族なのだろうか。


 辻井は管理人のIDを見た。IDは“iw7FD1tg”。辻井はIDを見ても誰か特定は出来なかった。


 このサイトの作成者は素人ではないなと辻井は推測した。デザイン性は悪いが、メッセージチャット画面の形式はある程度知識がないと作成は難しいと辻井は思った。スキルがある事は理解した。管理人が作成したのだろうか。掲示板は懐かしい古いデザインだ。ある程度年配の人間だろうか。


 辻井が愚痴掲示板の方を見ると、掲示板のタイトル通り愚痴や、高倉を悪戯に傷つける内容が書いてあった。


 辻井は吸っていた煙草が湿気って、火が消えた事に苛立ちを覚えた。再度ジッポライターで火を点けた。この銀色のジッポライターは嫁の遥奈が辻井の誕生日に買ってくれたものだった。それからしばらくして、遥奈は居なくなった。


 辻井は、高倉がこの家に事件の謝罪をしに来た日を思い出した。あれからもうすぐ一年経つのかと辻井は思い返した。高倉が弁護士と一緒に謝罪に来た日が辻井にはまだ最近の出来事のように感じた。あの日、高倉は始終俯いて反省している様子だったが、辻井には高倉が演技をしているようにしか思えなかった。あの後暴行罪で訴えられても構わないと思っていたのだが、高倉は訴えて来なかった。


 辻井は吸っていた煙草を思わず握りしめて潰し、灰皿に押し付けた。辻井は深呼吸をすると、今日五本目の煙草を箱から取り出し、火を点けてまた口に咥えた。


 高倉は以前、今辻井の勤めている職場でエンジニアとして勤務をしていた。辻井の同僚だった。


 辻井から見ると高倉は普段から無口であまり喋らず、無表情で何を考えているのか分からない人間だった。飲み会にも参加せず、喫煙所でよく会ってもまともな会話もしなかった。


 今思えば、高倉は自身の身辺を晒さないようにしていたのだろうと辻井は思った。


 高倉は高倉の弟が起こした連続女性誘拐殺人事件の最初の殺人の後に、辻井の居る職場に転職してきた。事件のアリバイを作るために一卵性双生児の双子の弟と入れ替わり、弟として身分を偽って入社し、虫も殺さないような顔で一緒に仕事をしていた。辻井はそれに気付けなかった。


 一緒に働いている間に、高倉の弟が遥奈を誘拐し、山で絞殺し、高倉が証拠隠滅を手伝った。


 辻井は何度も警察に遥奈の捜索の依頼をしたが見つからず、結局遥奈の遺体が見つかったのは、山の井戸で腐敗した遺体が発見されたと匿名で通報があった後だった。


 辻井は遥奈の最期の姿を思い出し、怒りで気が狂いそうになった。辻井は左手で自身の白髪交じりの髪をかき上げると、「くそっ」と呟いた。


 寝室の横にあるこの狭い書斎で辻井は葛藤と戦っていた。人を殺したい葛藤だ。勿論相手は高倉だった。主犯の弟は自殺した。高倉は証拠隠滅を手伝っただけという事で執行猶予がつき、すぐに社会に出てきた。辻井は許せなかった。


 辻井が書斎で独りごとを呟いても、もう「何独り言言ってるの」と声を掛けてくれる遥奈はこの世に居ない。


 辻井は、高倉にも大切な人間が居なくなる瞬間を味わってもらいたかった。高倉の恋人である笠木が居なくなればいいと辻井は思っていた。高倉が同性愛者であるという事は、事件の後にマスコミ経由で知った。メディアが面白おかしく高倉の同性愛を報道する様は、辻井には気分が良かった。笠木は一般人なので名前や写真まではメディアでは取り上げられていなかったが、ネット掲示板では写真や名前が出回っていた。すぐに削除されていたが。削除されてはまた情報が書き込まれの繰り返しだった。


 以前、辻井はネットの情報を頼りに高倉の住居を調べ、高倉のアパートの扉の前に鼠の死骸を数匹置いた。辻井が自宅の車庫に出た鼠を排除した際に出た死骸だ。これで動物虐待を疑われるだろう。辻井は高倉に罪を着せて刑務所へ送りたかった。冤罪でも何でもいい。そうして恋人に捨てられる様が見たかった。


 鼠を置いた後、高倉はすぐに引っ越したようだった。だがその引っ越し先もネットの特定班がすぐに特定し、住所を掲示板に晒していた。マンションである事までは分かったが、部屋番号までは分からなかったので、辻井は数回高倉の事を尾行した。その際マンションの郵便ポストを見ると、他の部屋と比較して大量のチラシや手紙が入っているポストを見た。高倉がマンションのエレベーターを降りる階を確認すると五階だったので、郵便ポストの部屋番号だと辻井は察した。


 辻井はその高倉の引っ越し先のマンションの扉の前に、今度は猫の死骸を置いた。


 前回は引っ越しに追いやったが、今度こそ動物虐待で捕まるといいと思った。だがネットの情報だと、高倉は捕まっていないどころか、笠木ともまだ別れていないようだった。辻井は苛立った。


 辻井は暇を見ては高倉の転職した職場に、公衆電話から嫌がらせの電話を入れた。高倉は職場を退職したようだが、その後の事は分からなかった。無職にでもなったのだろうか。


 辻井は、笠木は高倉の一体何が良くてまだ別れていないのだろうかと疑問に思った。普通だったらこの状況だと別れるのではないだろうか。


 辻井は笠木にも憎しみの感情を持っていた。あいつがいるから高倉は平和に暮らせているのだろう。


 辻井は愚痴掲示板に視線を落とした。何が自助サイトだ。俺達被害者遺族の怒りはそんなもので収まりはしないと辻井は苛立った。


 愚痴掲示板は自助掲示板より盛り上がっている。当たり前だと辻井は思った。辻井は少し悩み掲示板を見ていたが、ある人間が“高倉が社会に居る事が許せない”と書き込みを行っているのを見たので、辻井はキーボードに手を伸ばした。


 “俺も執行猶予で社会にいる兄が許せない。大切な人間が奪われる気持ちを知ってほしい”辻井は掲示板に書き込んだ。


 辻井がしばらく掲示板でのやり取りを見ていると、ある人物が書き込みをしてきた。


 “俺も許せない。誰かが564でもして高倉を冤罪で刑務所に送ってくれるなら報酬を払いますよ”


 辻井はその書き込みを見てふと冷静になり、吸っていた灰の落ちそうな煙草を灰皿に押し付けると、腕を組んでモニターを見た。


 この書き込みをした人間は馬鹿なのだろうかと辻井は思った。今のネット社会の法律を理解していないのだろうか。万が一通報されたら警察に捕まる事になる。モニターを見ているとしばらく誰も掲示板に書き込みをしなくなったのだが、その沈黙を破るように管理人が書き込みをしてきた。


 “嫌がらせをするなら身元がバレないようにしましょうね”


 辻井はその書き込みを見て驚いた。このサイトの管理人は自助用にサイトを作成したのではないのか。愚痴掲示板というものがあるが、それはあくまで怒りを鎮める為に作成したのだと辻井は思っていた。管理人は嫌がらせに火をつけようとしてサイトを作成したのだろうかと辻井は疑問に思った。辻井は書き込みをした。


 “こんな場所で嫌がらせを助長してどうする。捕まりたいのか?”


 少しすると管理人が書き込みをしてきた。


 “バレないやり取りに変更しましょうか”


 そして、ある数字を入力してきた。


 “2B.925CD.8D.36444F/309/1DE0/1FF/6A4”


 辻井は急に書き込まれた長い数字とアルファベットの羅列を見て目が点になった。掲示板に書かれた暗号の意味が分からなかった。


 “何の暗号だ?”辻井は書きこんだ。


 “これはある場所の数字です。ヒントは荷物の預け先ですね”管理人は返答してきた。


 辻井は思考した。荷物の預け先だと?どういう意味だ。辻井はこんな掲示板で真面目に思考している自分が一瞬愚かに思えたが、自分の性格上、難題を見せられると解かずにはいられない性格だった。


 荷物の預け先となると、誰かから受け取るのだろうか。無人サービスの事だろうか。普段気軽に使用出来る受け取りサービスといえば、コンビニや配送業者、トランクルーム、コインロッカーなど様々ある。辻井は腕をまた組んでモニターをひたすら見つめていた。他の人間が書き込みをしている。


 “何書いてるのか意味わかんねぇ”

 “デスゲームの始まりですか”


 この愚痴掲示板にまともに暗号を解こうと思う人間は他に居ないらしい。辻井が掲示板を見ていると、管理人が書き込みをしてきた。


 “私の考え付いた良い方法をそこに隠しました。警察に届けるも、使用するも、自由です。先に見つけた方からリレーをスタートさせましょう”

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る