第28話 双子(2)
空になったビールグラスを回しながら、カナデの母親は話を続ける。
「あの人が事情を聞いたら、ミナトは直ぐに話し始めて…」
「お母さんには言いにくい話やった…とか…」
「ううん。ちゃうねん、さっきも言うたけど、私が失敗したからやと思う」
「…失敗…ですか?」
「…うん。ミナトの言い分を聞くよりも先に、先生に謝ったから…」
カナデの母親の話しっぷりは、まるで懺悔のようだった。
そんな告白にソウタは「そんな事は…」と否定の返事を口にした。けれどソウタの否定の言葉は否定をされた。
「ううん、ちゃうねん。理由が理由やってん」
「それはカナデの言った事ですか?」
「うん。その例のナカムラ君がな、授業中にカナデのお尻を触って来たらしい」
「え?…は?」
ソウタはその言葉に驚いた。そしていくら子供同士の話とは言え、いたずらでは済まされない。ソウタはカナデが心を痛めた事に憤りを感じた。
けれどその思いをカナデの母親にぶつけたのは間違いだった。
自分の間違いに気が付かないソウタ。
そんなソウタにカナデの母が先に謝罪の言葉を口にした。
「あ~、ごめん、ソウタ君、怒らんといて…。いや、違うな。ミナトもあの人も怒ってたんや。やのに私は…」
そう言ってカナデの母は口をつぐんだ。
その様子から、今でもその時の自分の行動に、後悔の念を持ち続けている事が分かった。ソウタはそんな彼女の顔を見て、自分の憤りをぶつけてしまった事に気が付いた。
「すみません…俺…」
「え?いや、ソウタ君が謝る様な事あったっけ?」
(ちがう…なんて言えば、ええんやろ…)
ソウタが答えあぐねていると、カナデの母が再び話を続けた。
「うん。ソウタ君の怒りは最もやねん。よく考えたら、分かる事やった。
あの時のミナトは怒ってた。だからなんで怒ってるか聞かへんまま、先に謝った事に、ミナトはまた怒ってん…と言うより、悲しかったんやな」
「…」
「私、母親やったのに、ミナトの事、上手く分かってあげられへんかってん。で、これが私の失敗って話」
カナデの母はそう言い切ると、席を立ち、新しいビール缶を手に入れると再び席についた。
「ソウタ君もどうぞ」
「…ありがとうございます」
受け取った缶ビールを開け、カナデの母のグラスに注ぐ。
「あ、なんかごめんな」
「いえ」
お互いにビールを注ぎ合う、ソウタとカナデの母親。
そうすると、先ほどまでの妙な緊張感が抜けて行くようだった。
だからソウタは自分から話を切り出す事が出来た。
「俺、自分の性格が嫌いなんです」
「え、何?急に何よ~?」
神妙な面持ちのソウタに、カナデの母が気分を変えようと、少しだけ砕けてみせた。そんな気遣いにソウタも気分が軽くなる。
「えっと、俺、姉が居るんですけど、凄く年が離れていて。それで姉の子の、一番上の甥っ子が小学四年生なんですよ。だから俺と10歳位しか離れてなくて、甥っ子と言うより、年の離れた弟みたいで…」
「うん」
「だから、可愛くて。って、この話じゃなくて、ええと、すみません話がまとまらなくて」
「ふふ、かまへんよ」
「つまり俺の小さい頃は、姉が早くに家を出たからってのもあって、一人っ子みたいな。両親も共働きで、大人の家みたいな感じで…」
「うん」
「多分、寂しかったんです。だから、凄い顔色を見る子供っていうか…」
ソウタは自分の胸の内を誰かに話すのは初めてだった。
きっとカナデの母の「失敗」と言う言葉に少なからず共感したのだろう。
「こうすれば、どうなるとか、こうすれば、ああなるとか。そんな反応とか、人の気を引く事ばかり考えるようになって。
でもそれが普通って言うか、当たり前になって。そうやって来たから、人の気を惹く計算っていうか…もう、そればっかりしてた子供やったから。未だにそれが癖みたいな…」
ソウタはここまで言うと、言葉を区切った。
「だから…」
「うん…」
「だから、面倒見が良いとかじゃなくて、そう言った計算みたいなの、多分無自覚でやってて。頭の中で相手の事をシュミュレーションしてると言うか、やっぱり計算ぽいの…。
俺、そんな感じの性格やから、逆に相手が何も言ってくれへんとか、反応が無いみたいな、拒絶みたいなのが、一番ダメで、どうしていいのかが分からんくなって。
…って、すみません。なんか、そう言う話じゃなかったですよね…」
「ううん、そんな事無いよ」
「…だから、もし、俺がカナデに失敗してたとしたら…」
失敗…という言葉に、二人で黙り込んだ。
そして暫く沈黙の続いた後、ソウタは再び口を開いた。
「失敗が同じかどうか…って、話ですけど」
「うん」
「同じやと思います…。俺、カナデとあんまり話とか、出来てなかったと思います。
俺、カナデの事になると、どうすれば正解なのか、分からん時があります。
それに自分の不注意で怪我したのに、それを理由にして逃げてたのもあって…。だから、もしカナデが悲しい顔をしてたら、それは多分ですけど…俺のせいです」
「…」
「だから、すみません…」
ソウタは自分の思いを吐き出すと頭を下げた。
頭を伏せるソウタの耳にカナデの母のため息が聞こえる。
ガッカリさせた…と、ソウタの肩が彼女のため息に揺れた瞬間、ソウタの頭にカナデの母が手を乗せ、ソウタの頭を撫で出した。
「…う~ん。ゴメン、ゴメン、さっき言ったの、試したみたいなの悪かった。ソウタ君は悪くないよ」
「…」
「それにな、ソウタ君の性格も、多分普通や」
カナデの母の言葉にソウタが顔を上げる。
「あ~、だって、子供が寂しさから大人の顔色を伺うのって普通。気を惹きたくて色々しでかすのも普通。みんなそうやと思うよ。
ただ、そこから、その子がどんな選択をするか、何を学んで行くのかが違うだけで、たまたまソウタ君は、そういう基本の部分が多く残った…と言うか」
「…普通…?」
「普通、普通!見返りを求めて行動するのは、大人でも普通にやってる」
「…でも…」
「あ~言いたい事はわかる。でもな、例え、やってる行動が計算からやったとしても、実際に行動を起こしてるのは、ソウタ君自身や」
「…でもそれは、嘘みたいな…」
「ううん、嘘じゃないやん、行動してるやん」
「…」
「それに、そんなんは、人を貶めるつもりでやらへんやろ?」
「それは無いです」
「だったら動機がなんであれ、行動自体は相手の為にやってるんやから、別にいいやん。相手が嫌や~言うたら、そこで止めたら良いだけやん」
カナデの母の言葉で今まで抱えていた、自分の後ろめたさが少し和らいでいくソウタ。
「俺、普通ですか?…」
「ん~、むしろ、優しい方かも…」
「…でもそれは…」
「だって、他人がほんまに何を考えてるか?なんて分からんやん。だから顔色とか、行動を見るの普通やん」
「…」
「ソウタ君は、気を引く計算って言ったけど、言い換えると、自分の行動と人の反応を人より多く見てるって感じやん。だからそういう人は、ある意味で他人に配慮が出来るって言うか、人に優しい人って言えると思います」
カナデの母がキッパリとそう告げると、ソウタは鼻からツンとしたものがこみあげて来た。
「…すみません、俺、こんな話、誰にも、親にも言ってなくて…」
「あ~泣かんでも…」
カナデの母はティッシュを数枚引き出しソウタに渡す。
「小さいソウタ君は、寂しかったんやな…」
「…なんか、恥ずかしいです…」
「あはは、まぁ、あれやわ。もっと大人になって、結婚したり、子供が出来たりしたら、ソウタ君の親に寂しかった事、言えると思う」
「…そういうもんですか?」
「うん、そういうもん」
ティッシュで鼻を押さえながらソウタが笑みを零すと、カナデの母はソウタのグラスにビールを継ぎ足した。
「そっかぁ。ソウタ君も私も、話し合いが足りんタイプかもなぁ。でも私の場合は、勝手に結論付けて行動してしまうタイプやから、少したちが悪いかも」
「思い立ったが吉日的な」
「あはは、上手い事言う。私の場合、急がば回れかもやけど…」
カナデの母はビールに口を付けると、ゆっくりと口に含み、少し天井を仰ぎながら考える。
「結論付ける前に、もっと相手の話を聞かなアカンなぁ…」
「…はい」
「う~ん、むしろなんか、安心したわ」
「?」
「あ、うん。ソウタ君がどういう子かって、わかったから」
「…なんか、すみません」
妙な話の流れを思い出し、恥ずかしさがこみ上げるソウタ。
そんな照れるソウタを見たカナデの母は、ソウタがここに来た目的を思い出す。
(そう言えば、この子、カナデの誕生日プレゼントを渡しに来たんやっけ?
って、さっきの話と言い、律儀に家に持って来る所とか、妙に真面目と言うか、むしろ、もっと中学生みたいな幼い感じ?)
そんな事を考えながら、カナデの母は少し茶化すように問いかける。
「もしかして、ソウタ君って女の子慣れしてない?」
その問いに、ソウタは自分の女性遍歴を見透かされたような気持ちになる。
そして何と答えて良いかわからない戸惑いを素直に表に出した。
「そっか!ま、カナデが女の子~っていうのも、ちょっと無理あるかもやけど~」
「…あ、カナデは普通に、っていうか、めっちゃ女の子です」
「そっか!ソウタ君には女の子に見えるんや」
「えっと、普通に可愛いです!」
強く言い切って自分の出した言葉に慌る。そして盛大に照れるソウタ。
そんな慌てっぷりにカナデの母が笑い出す。
「そっか~!普通か~ソウタ君の前では、普通に可愛いんか~!!」
「あ、いや、普通じゃないって言うか、あの、普通にめっちゃ可愛いっていうか…」
しどろもどろになって答えを重ねるソウタ。
そんなソウタの慌てっぷりに、カナデの母が楽しそうに「呑め、呑め!」と言ってビールを進める。一方のソウタも言われるままにビールを口にする。
そして段々とお酒に気分が乗って、いわるゆる徐々に出来上がって行く二人。
やがてカナデの父親が目を覚ますと、ダイニングの方から賑やかな声が聞こえて来た。
「って、まだ飲んでる…。全くスミレさんは…」
少し呆れながらカナデの父が、ダイニングに入ると、そこには、何故だか半べそをかいたソウタと、そんなソウタにティッシュを差し出しながら、同じく半べそ状態の妻が居た。
「えっと?」
状況の見えなさにカナデの父が困惑していると、二人はカナデの父の存在に気が付かないようで、会話が続けられていた。
「って、カナデの小学生って、めっちゃ可愛いに決まってるじゃないですか、それを、それを…」
「うんうん、ほんまやな~。ナカムラみたいな子は、一回ガツンとやられな分かれへんねん」
「ミナト頑張ったんやな~。もぅ~健気すぎや~小さいミナトも可愛すぎや~」
「あはは、双子やから似てるで、可愛いに決まってる!」
「いや、カナデの方が可愛いにきまってる」
「うんうん、そうやそうや!ソウタはカナデの方が可愛い」
聞こえて来る会話の断片から、どうやら二人は、カナデとミナトの小学生時代の出来事を話しているようだ。
「しやのに、私ったら、ミナトの話を聞かんと…」
「…お母さん…」
「失敗してもうて…」
酔った勢いのまま、おいおいと泣き出すカナデの母。
その様子にカナデの父が傍に駆け寄る。
「だから、スミレさんは悪くないって」
「え、あ?起きた??」
「あ、うん。って、泣かんでも…ってソウタ君まで、なんで泣いてんの…」
カナデの父は、妻を宥めつつ、何故だかその眼前で泣いている娘の彼氏を見た。
その妙な空気の可笑しさに、カナデの父は「プッ」と吹き出し笑い出した。
「って、君まで何で?って、あはは、めっちゃ泣いてるやん」
「…なんでって、何ででしょう…」
「あ~…うん、分かった、分かった、もう泣かんでも…」
カナデの父はソウタの肩をポンポンと軽く叩きながらなだめると、ソウタはまた口を開いた。
「俺、思い出しました」
「ん?」
急に何を言い出すのかと、カナデの父が少し身構えると、涙の止まったソウタの表情が柔らかく変わる。
「俺、ミナトの事、頼りになるお兄ちゃんみたいやなぁって、思った事があって」
「…」
「でもカナデは、ミナトもそうやけど、素直って言うか。最初の頃はちょっと距離があったんですけど、徐々にそう言う、素直な所が気になって…自分とは違う、そう言う所が羨ましいって言うか、良いなって…。たぶん、本当はそう言う所が好きで…」
酔いが回ったソウタは、自分の気持ちを素直に口にする。
妙に幸せそうに語るソウタに、カナデの父は呆れて天井を仰ぐ。
(う…ん。見た目は変わらんけど、ソウタはかなり酔ってるんか?)
そう言えば…とカナデの父がテーブルの上を見れば、そこには空の缶ビールが8本。まぁまぁの本数である。
恐らくソウタは酔いが回ってもほとんど見た目では変わらないらしい。
(少し涙もろくなって饒舌になるだけで、かなり砕けた感じ?に変わる程度か?)
カナデの父がそんな事を考えていると、再びソウタが話し出した。
「だから、カナデが最初、大人しかったのって、そう言う嫌な、怖い思いをしたからなんですね」
カナデの事を思い出したかのように、またグズグズと鼻をすするソウタ。
そんなソウタに、妻のスミレはまたビールを勧める。
どうやら先ほどから、これを繰り返しているらしい…。
少し呆れながら妻の缶ビールを持つ手を止めた。
「もう、その位で…」
「あ~、ほんまや、ヨウヘイさん!私、結構飲んでます!」
「ほんまですね~俺も結構飲みました~」
妻がヘラヘラと笑い出すと、同じ様に娘の彼氏もヘラヘラと笑い出す。
挙句には何が可笑しいのか、二人でゲラゲラと笑い出す始末。
人間、自分よりも酔っ払いが居ると冷静になれるらしい。
カナデの父は冷蔵庫からウコンの飲料を出すと、二人に渡して自分の分も飲み干した。
時計を見れば既に11時を過ぎている。
そろそろ二人も帰ってくるだろう…。
カナデの父は、渡した飲料の感想を言い合う、妻と娘の彼氏の妙な関係の可笑しさに、苦笑いを浮かべるのであった。
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