第25話 或る夜もしくは時の流れないどこかの情景
鋭い三日月が浮かぶ夜の路地裏。
一人の青年が上機嫌な表情で歩いている。
乾いた血痕のような赤銅色の髪。
どこか虚ろな金泥の右目。
左目には黒川の眼帯。
夜に溶け込むような漆黒の長い外套。
裾から覗く純白のズボンと長い刀。
全身にまとわりつく甘くどこか焦げ臭い香り。
「ふ~ふふ~ふふふふ~ふ~ふ~♪」
調子の外れた鼻歌まじりに純白の革靴の踵を鳴らして、青年は路地を進みつづける。
進む先にあるのは人を脅かす人ならざるもの「あやかし」たちの集会場。
今夜もその集会の開催日。
「ふふ~ん……っと」
鼻歌が終わるころ、青年は目的の場所に到着した。会場に繋がる扉の傍には黒尽くめの服を着た鯖のような顔の男、見張りのあやかしが腕を組んで立っていた。
「新入りか、お前? 紹介状あるか、お前?」
見張りは目玉をギョロギョロと動かしながら問いかける。しかし、青年は気にせずに扉に手を掛けた。
「おい! 答えろ、お前!」
怒鳴り声が上がっても返事はない。それどころか扉は完全に開け放たれ、黒い外套をまとった背中は長い廊下の奥へ消えていく。
「お前! おい! お前! おい!」
それでも見張りは青年を取り押さえることすらせず叫びつづけた。
塵に帰っていく体の隣に転がる頭だけで。
※※※
「みなさん! あやかしと人とのいがみ合いを止めるには
埃を被ったシャンデリアが揺れる舞台の上で、体中に角の生えた紫色の男が熱弁を振るっている。
「
高らかな声がそう叫ぶと大きな歓声が上がった。
部屋の中にひしめいているのは異形のモノ達。人に似た姿も多く見受けられる。
「さあ、みなさん! 人とあやかしの間に
パチパチパチパチ
不意に大きな拍手が演説を遮った。一同が顔を向けると、黒い外套を纏った赤銅色の髪の青年が舞台袖からゆっくりと現れた。
「とっても素晴らしいお話だね」
微かに掠れた声とともに、笑みを浮かべた顔が首を傾げる。
「それならさ、人とあやかしの間に生まれた子供は、その真に安寧なる世界にとって大切なものになるのかな?」
「もちろんです! あやかしと人の間に生まれた命は絆の証として真に尊ばれるべきです!」
「本当? でも、僕はたった一人にすら愛してもらえなかったよ?」
金泥の眼が細められ、つり上がった口の端から微かに牙が覗く。
「その姿……、君もあやかしと人の
気色悪い。
そう思いながらも、演説者は愛想のいい笑顔で手を広げた。
「それなら私たちが君を迎え入れましょう!」
言葉とは裏腹に角だらけの手が舞台袖に「そいつを摘まみ出せ。生死は問わない」と合図を送る。すると即座にあやかし達が現れ、侵入者を八つ裂きにして運び出す。
「……ん?」
……はずだった。
しかし、人影どころか足音すら近づいてこない。
戸惑う演説者を眺めながら、青年は笑みを深めた。
「ああ、裏にいたやつらなら全員片付けたよ。一方的に斬らせてもらっちゃったから、ちょっとだけ可哀想だったかも」
黒い外套が脱ぎ捨てられ、純白のスーツと腰に差された刀が露わになる。
「昔はウソツキなんて嫌いだったけど、今はそんなこともないし」
「私は、嘘、など」
紫色で角だらけの顔が反論を口にする。
舞台の床に転がりながら。
「お願いをきいてもらうために必死になって『愛してる』だなんて嘘を吐いてたんだから、今思えば健気で可愛かったなぁ。まあ、無口でお利口になった今も可愛いんだけれど」
上機嫌な独り言と共に、よく研がれた刀が塵に帰っていく頭を貫いた。
「退治人だ!」
「
「人とあやかしの絆を乱す悪魔!」
「破滅をもたらすもの!」
集っていたあやかし達がにわかにどよめきたつ中、虚ろな笑顔が客席を見渡した。
「騙されてたとはいえ夜に紛れて街で凌辱の限りを尽くそうとしてたやつらに、悪魔だのなんだの言われるのはけっこうムカつくかなぁ……」
塵の塊から引き抜かれた刀の切っ先が客席に向けられる。
「……っアイツを倒せ! あやかしと人のために!」
叫び声を皮切りにあやかし達が一斉に舞台へ押しよせる。青年は刀を構えなおし、異形のものたちに殺気のこもった笑み向けた。
まさにそのとき。
「あれ……?」
どうしようもない既視感が胸に込みあげた。
ずっとずっと昔、同じようなことがあったはず。
「えーと、このあと、たしか……。でも、今日はお留守番をお願いしてるし……」
「? おい、動きが止まったぞ!」
「……あ」
気がつくと、刀を握ったままの腕がシャンデリアの光に照らされて宙を舞っていた。
「今だ!」
異形の牙や爪やなにか鋭い物が体中を抉り、口から悲鳴や呻きの代わりに大量の血があふれ出す。
激しい痛みの中で身体が分解されていく。
それでも、心の中は不思議と穏やかだった。退治人という仕事を続けていくと決めてから、こんな最期をいつか迎えるだろうということも、半ば諦めのような形で予想していたからだ。
ただ一つ、心残りがあるとすれば部屋に残してきた――
「うん? 客人がくるなんて珍しいな。おーい、君、大丈夫か?」
「……え?」
気がつくと、青年は真っ白な空間の中に横たわっていた。
ぼやけた視界の中で、誰かがこちらを覗き込んでいる。
艶のある銀色の髪。
白に近い灰色の瞳。
血の気の感じられない顔色。
白尽くめの服を纏った華奢な身体。
その姿は、紛れもなく。
「ふむ。呼びかけに反応したってことは声は届いている、のか?」
もう二度と言葉を発するはずのない唇が、不思議そうに声を漏らす。ずっと聞きたかった酷く懐かしい声を。
「……あ」
「ひとまず、言葉も通じてくれるとい……」
「セツ!」
「うわっ!?」
跳び起きて抱きしめた身体から体温が伝わる。僅かながらも、たしかに。
「よかった……、幻じゃ……、ない……」
「えーと、多分その認識で間違いないと思うが……、少し苦しいからいったん放してもらえるか?」
「あ、ごめん」
腕を解くと薄灰色の目が訝しげに細められ、軽いため息がこぼれた。
「さてと、聞きたいことが大渋滞を起こしているのだが……まず手始めに、その『セツ』というのは私の名前なのか?」
「そうだけど……忘れちゃったの?」
「その通りだ。綺麗サッパリまるっとまったく何も覚えていないんだ」
「そう、なんだ……」
「ああ。だから、ここがどこなのかだとか、なんでこんな何にもないところに一人で居るのだとか、スリーサイズだとかを聞かれても全然だから、その手の質問はしないほうが時間を有効に活用できると思うぞ」
覚えていないと言うわりに、苦笑いを浮かべた顔はどこか人を小馬鹿にしたような言葉を吐いている。以前と同じように。
「まあ、なんか自分で望んでここに来たは気がするんだが、なにせそれもずっと昔のことだったからなぁ。ともかく、次の質問をしていいか?」
「あ、うん、どうぞ」
「ありがとう。それで、君は誰なんだ?」
「えっと、僕の名前はジク」
「慈久、か。いい名前だな」
「えっと、ありがとう」
「いえいえ。それで、私のことを知っているみたいだが、どんな関係だったんだ?」
「どんな関係って言われると、ちょっとややこしいというか……」
「そうなのか? いきなり涙ながらに抱きついてきたから、てっきり恋仲かなんかだと思ったのに」
「こ、恋仲!?」
「ああ。なんだかずっと誰かを待っていたような気もするからな……、違ったならすまなかった」
向かい合った顔に淋しげな陰が落ちる。
ずっと待っていた誰かと言う言葉に心当たりはある。
それが、自分を指していないことも分かっている。
それでも、ここにはもう誰もいない。
「……ううん。何も違ってないよ」
ジクはためらいを飲み込んで微笑んだ。
「僕は君の恋人。ただ、いきなりハッキリと言われたからちょっと驚いちゃって」
「……そうか」
寂しげな陰を微かに残したまま、セツも穏やかに微笑む。
「恋人を永らく放っておくなんて、ジクもなかなかに酷いヤツだな」
「う……、それはごめん……。ただ、もう二度会えないって思ってたから……」
「ふっふっふ。そんな今生の別れみたいな言い訳されても、簡単には許してやら……ん? ああ、そうか」
不意に陶器のように滑らかな手が胸の前で打たれた。
「ひょっとして、ここは死後の世界的なやつだったりするのか?」
「あ、うん。そんなやつ、だったり、する、と思うよ。多分だけど」
答える声がはからずも途切れ途切れになる。かつて魂のみで漂っていた場所に比べると、ここは随分と明るく人の形が明瞭としていて何もなさ過ぎる。それでも、セツの命はずっと昔にこの手で終わらせた。それに、自分の命が尽きているという確信もある。
「……僕もさっきまで仕事をしてたんだけど、そこでバラバラにされてたし」
「仕事中にバラバラにされるって……、ブラック企業とかそういう次元を軽々と飛び越してるだろ……」
不意に白い手が左目を覆う眼帯を撫でた。
「片目も失っているし、よほど大変な目に遭ってきたんだな」
「でも、僕なんかよりセツのほうがずっとつらい目に遭っていたから」
「え? じゃあ私も同じ会社にいたのか?」
「うん」
「へえ……、あ、ひょっとして私も仕事中に死んじゃったかんじ?」
「うん……、まあ……、そんなかんじ……」
「そうか……、じゃあ恋人を永らく放っておいたのは私のほうということか。ずっとここでのんびり過ごしていて、化けて出たりもしなかったわけだし」
バツの悪そうな声と共に眼帯を撫でていた手が頬に移動した。
「すまなかったな、ジク」
「ううん、もういいんだよ。こうやって、また会えたんだから」
「そうか。なら、ずっと一人で頑張っていた恋人を労ってやらないとな……ん」
「ん」
薄い唇が口を塞ぎ、舌が歯列を割って口内に滑り込む。その途端、花と果実と血がデタラメに混ざり合った味が広がった。
「ん、む」
ジクは後頭部に手を回し銀色の髪を掴みながら更に深く口づけた。そのまま、入り込んだ舌をなでるようになめ回し、吸い付き、甘美な味を思う存分堪能する。
「っふ、ん……っは」
口を離すと、てらてらと光る薄い唇がゆっくりと孤を描いた。
「ふふ、久々に恋人と交わした口づけはいかがだったかな?」
「うん。僕のほうはすごくよかったよ。早く一つになろう?」
「ああ、そうだな」
ゆっくりと押し倒し服をぬがせると、セツは少しも抵抗することなく一糸まとわぬ姿になった。ジクもすぐさま服を脱ぎ捨て、横たわる身体にのしかかる。滑らかな肌からは確かな体温が感じられた。
「なんだか嬉しそうだな、ジク」
柔らかな微笑みとともに、シミ一つ無い手が頬をなでる。
「あたりまえじゃない。愛してる人とまた一つになれるんだから」
「それもそうか」
「そうだよ。じゃあ、始めるね」
「ああ、分かった」
それから、二人は貪りあうように身体を重ねた。
行為が終わると、真っ白い空間には耳が痛くなるほどの静寂が訪れた。
「……セツ」
沈黙を破ったのはどこか淋しげなジクの声だった。
「うん? どうした?」
「愛してる」
「……私も愛しているよ、ジク」
穏やかな声が望み通りの言葉を返す。
「ただ、久しぶりに体力を使いすぎたから、今日はもう休ませてくれ……」
「うん。わかった、おやすみセツ」
「ああ、おやすみ……」
薄灰色の目がゆっくりと閉じていく。ジクも身体の境界線が解け混ざり合っていくような心地良い倦怠感を感じながら、隣に横たわるセツの身体を抱き寄せて目を閉じた。
何も無い真っ白な空間には、二人の穏やかな寝息だけが響いた。
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