第22話 月夜・二

 窓から満月がのぞく静かな寝室。白い光に照らされるセツの微笑みが、ロカの目に映った。


「前回してからけっこう経ったのに、ロカがつけた跡はなかなか消えないな」


 黒い紋様の刻まれた手がバスローブの襟を広げ、口づけや甘噛みの跡が散らばる陶器のような胸をなでる。


「そうですね」

 

「これも極々軽いケガみたいなものだから……、まだ私のことを愛してくれてるってことでいいのかな?」


「あれだけ見境ない振る舞いをしておいて、よくもそんなことが言えますね」


 詰るような視線とともに呆れた声がこぼれた。しかし、その中に質問に対する否定は含まれていない。


「ふふ、ロカの言うとおりだ」


 薄い唇も追求の言葉を吐き出すことなく、ただ微笑みを浮かべ続けている。


「まあ、結局は毎回呪いを解いてもらえないんだけどね。まったく割に合わないよ」


「そう思うなら少し自重したらいかがですか?」


「はは、そう言うなって。あ、もしかしてなんか厄介な疫病をうつされないか心配してる?」


「別にそんなこと気にしてませんよ」


「ならよかった。まあ、ロカとする前はちゃんと救護班とかヒナギクとかに徹底的に検査してもらってるから大丈夫だと思うけどね」


 茶化すような言葉に思わずため息がこぼれた。


「ヒナギクを巻き込まないでください。それに、わざわざそこまでして俺の処理に付き合ってもらわなくても結構ですよ」


「えー、そんなこと言うなよー。別に私がしたくなったから付き合ってもらってるだけなんだし。なんだかんだで、ロカとするのが一番気に入ってるんだから」


「まったく、見え透いた嘘をつかないでください。本当にロクでもないんですから」


 再び深いため息がこぼれる。いつもならばこの後、軽薄そうな笑顔とともに軽い調子の謝罪が返されるはずだった。しかし、なぜか目の前には寂しげな表情が浮かんでいる。


「どうして嘘だと思ったんだ?」


 そんなこと教える必要はない。いつものように、冷ややかな視線とともに呆れた調子でそう答えればいいだけのはずだった。しかし、なぜか今夜ははぐらかす気になれない。


「……セツは俺とするとき、あまり声を出さないですよね?」


「ん? ああ、まあそうかもしれないな」


「そうですよね。なら、それほど快感を得ていないということじゃないですか」


 自然と薄灰色の目から視線が逸れていく。


 呪いを解くことはできない。

 我を忘れるほどの快楽に溺れさせることもできない。


「……毒餌としての貴方の管理責任を本部長の俺が負っているのはたしかです。でも、何度も言っているようにプライベートにまで干渉する気は有りませんから」


「……」


「機嫌取りをしないからといって貴方の仕事・・を増やす気も有りません。だから、熱を処理したいならもっと相性のいい方のところへいったほうがいいと思いますよ」


「……」


 苦々しい声に返事はない。

 その代わり。


「はははははは!」


 心底おかしそうな大笑いが返ってきた。

 

 顔を上げた先で、セツが腹を抱え肩を震わせながら笑っている。

 はじめて会った月夜と同じように。


「何を笑っているんですか」


「ははは……、いや、ごめん……、ロカも可愛いこと言うなぁと思っ……ははは!」


「……本っ当にロクでもないですね、セツは」


「はは、ごめんってば」

 

 紋様の刻まれた手が薄灰色の目を拭ったあと頬へ伸ばされた。


「たしかに、仕事やら厄介ごとからロカに回収してもらうときは、喘ぎなり悲鳴なりを上げていることが多いもんな」


「ええ。特に嬌声は聞いているこちらまで恥ずかしくなるくらいですよ」


「ふふ、そんなに睨まないでくれよ。まあ、あれは半分くらいは毒だとか腹腔に仕込んだ通信機だとか、諸々の隠し事に気づかれないための演技だよ」


「なら、もう半分は快感から出しているんですよね」


「まあそうなんだけれど、愉しんでいるというより……むしろ逆かもしれないな」


「逆?」


「そう、逆。あんまり強い快感は苦しいからね、気を紛らわせるためというか気持ちよさを逃がすために出してるかんじかな。でも」


「……っ」


 妖艶な微笑みの後、額が額に押し当てられた。前髪越しに仄かな体温が伝わる。


「ロカがくれる快感はできる限り受け止めていたいから」


 耳に届く声は驚くほど穏やかだ。


「これで、誤解はとけたかな?」


「……なんだかはぐらかされた気もしますが、これ以上は追求しても意味がなさそうですね」


「ははは、そうそう。だから今はお互い気持ちよくなることだけ考えようじゃないか。ん」


「ん」


 薄い唇が唇を覆い、舌がぬるりと口腔内入り込む。

 相変わらずの果実と薬と血が混じり合った味を貪るように舌を絡めていくと、いつしか赤い跡が散った陶器のような肌が身体に触れていた。そのまま背中に腕をまわし、口づけを深めながら肌をさらに密着させていく。腕の中の身体は逃れようとすることもなく、ただ抱きしめられるままになっていた。


「ん、……ふ」


 悩ましげな吐息とともに腕を回した背中から微かな震えを感じる。唇を離すと上気した頬の上で薄灰色の目が細められた。


「……これが嫌々ながら付き合ってるやつの反応に見えるか?」


「……さあ? よく分かりませんね。俺はあまり目がよくないですから、眼鏡がないと誰かさんに目つきが悪いと大笑いされるくらいに」


「はは、まだ根に持っているのか。まあ、お互い深く追求せずに気持ちよくなることだけ考えようって言ったのは私だしな……ロカ、ひとまず横になってもらえる?」


「はい」


 言われた通りにすると、紋様の刻まれた手が純白の羽毛に包まれた下腹部に触れた。


「ふふ、相変わらず素晴らしい触り心地だ」


 穏やかな微笑みとともに手が往復する。感触をたしかめるように何度も何度も。

 

 以前、気に入っているというのは手触りのいい調度品としてではないか、とわざとらしく拗ねてみせたことがあった。きっとまた軽薄そうな笑みとともに軽口が返ってくると思って。

 しかし予想に反してセツは見る見るうちに青ざめ、弱々しく謝罪を口にしたあと身体を丸めて酷く塞ぎ込んでしまった。慌てて理由を聞くと、自分に呪いをかけたあやかしに最愛の人の亡骸を悪趣味な玩具や調度品に加工されたことがあった、と消え入りそうな声で答えが返ってきた。


 薄灰色の目が自分の姿にその最愛の人を重ねて見ているということは、ずっと昔から気づいている。



「……」


 ロカは腹をなで続ける手をそっと掴んだ。


「セツ、そろそろもどかしいので」


「ああ、分かったよ」


 セツがバスローブ脱ぎ捨てながら下半身に跨がる。羽毛越しに伝わる体温に欲情がますます高まっていく。



「ははっ。まだキスして腹をなでたくらいなのに顔を真っ赤にしちゃって、可愛い」


「……煽ってないで、するなら早くしてください」


「まったく、やけに急くじゃないか? そんなに待ち遠しいのか?」


 挑発的な微笑みがわざとらしく小首をかしげる。

 きっと皮肉の一つでも口にして挑発しかえすことを望まれているんだろう。

 


 それでも。

 


「……愛しい人と繋がりたがって、なにが悪いんですか」



 ここで本心を伝えなければいけない気がした。



「……」


 月明かりに浮かぶ笑みから挑発的な印象が消えていく。


「ああ。まったくその通りだ……っくぅ」


 穏やかな笑みを浮かべたセツの喉元が、突然一文字に切り裂かれた。


「セツっ!? ……っな!?」


 慌てて伸ばした手が深紅色に濡れている。 


「く……、ぅっ……」

  

「あ……、今すぐ……、救護班を……」


「……ぃゃ」


 サイドボードに伸ばされれた手に、黒い紋様が刻まれた手が添えられた。


「っぐ……、このままで……」


「なに馬鹿なこと言っているんですか!?」


 したたり落ちた液体が白い身体と純白の羽毛をジワジワと染めていく。

 なんとかしてスマートフォンを取りたいのに全身が動かせない。


「っ早く、しないと……っ」


「……ぅ、大丈夫、だから、な」


 薄い唇が紅い液体を垂らしながら孤を描く。


「これは、私……がっ、望んだことだから……ごぶっ」


「セ……ツ……」


「っ、はは……」


 光を失っていく薄灰色の目がゆっくりと細められる。


「こ、んなときは……、他人行儀な呼び方じゃなくて……、真名で……っぐ」


 紅い唇が震える声で懇願する。


 セツというのはあくまでも退治人としての呼び名であって、本名は他にあるということは以前教えられていた。しかし、それがどんな名前なのかまでは教えられていない……はずだった。


「っゆきな、り、さま……」


 絞り出すような声が酷く懐かしい名を自然と口にする。



 血まみれの口から穏やかなため息がこぼれ――



「ロカ様! 仕事中に寝たらだめなんだよ!」

 

 

 ――あたりに幼い叱責の声が響き渡った。


「……ぅん?」


 鈍い痛みに包まれた頭を上げると、ぼやけた視界の中で橙色の髪をした子供が頬を膨らませながら立っている。


「……ヒナギク?」


「そうなんだよ!」


「なんで、こんなところに……?」


「ロカ様のザンギョーが長引いてるから、様子を見にきたんだよ!」


「……え? 残、業?」


 目を凝らすと、眼鏡と書類の山が置かれた机が見えた。

 ロカはようやく、書類の承認処理を終えて眼鏡を外し一休みしていたことを思い出した。それと、今まで見ていたものが夢に過ぎなかったことも。


「そう、でした、ね」


「そうなんだよ!」


 やけに現実的だったのは、セツと最期に身体を重ねたときの記憶がもとになっていたからだろう。覚えているかぎりでは、セツの挑発に挑発を返し滞りなく行為を終えたはずだった。




 もしも、あのとき夢のように本心を伝えていれば――


「もう、こんな所でねたら身体が痛い痛いなんだよ! 寝るならちゃんとお着替えしてからベッドで! なんだよ!」


「ははは、本当にその通りですね」



「そうなんだよ! だから、ロカ様もうお部屋に戻るといいんだよ!」


「……俺?」


「うん。だってヒナギクはこれからセツ達のところに行って、呪いが解けたあとの処理をしてあげないといけないんだよ」


「呪いが、解ける」


 ――こんな思いはしなくて済んだはずだ。




「……任務完了まではまだ時間がかかるはずです」

 

「うん。そうなんだけれど、間違いなく、今夜、呪いが解ける気配がするんだよ。それでね」


 いつもよりずっと大人びた声と表情でヒナギクが首をかしげる。


「ヒナギクの転移術を使えば、ロカ様もセツ達のところまで連れて行けるんだけど……どうする?」


「……」


 ロカは射貫くような緑色の目から思わず視線を外した。


 窓の外では青白い満月が煌々と輝いていた。

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