終の住処

第17話 明確な期限

 非番が明けると、ジクはセツとともに朝から打ち合わせをすることとなった。


「では、時間になりましたので打ち合わせを始めます」


 会議室の中に落ち着き払ったロカの声が響く。


「ロカってば朝から硬いなぁ。あ、ひょっとして欲求不満だから?」


「開口一番、くだらないセクハラ発言で打ち合わせを脱線させないでください」


 へらへらとした声を冷静な声が制する。そんな他愛もないやり取りが、いやに胸をざわつかせた。


 今隣に座っているセツは自分のものだ。それをロカに見せつてやるはずだった。

 しかし、視覚と聴覚を奪われたなかでも、淫らな熱に浮かされた声は自分以外の名前を呼んでいた。目の前の席に座る男の名前を。


「……ジク。そんなに睨んでいないで、言いたいことがあるなら言ったらどうですか?」


「……いえ、別に」


「そうですか。なら、話を続けますよ」


「はい」


 特に動じた様子もなく、眼鏡越しの金泥色の目が薄灰色の目に視線を送る。


「それで、セツから見てジクの退治人としての実力はどうなんですか?」


「ああ、私から見て? そうだなぁ……」


 緊張感のない声に胸が再びざわついた。

 約束を果たす期限は自分が一人前になるまでという酷く曖昧なものだ。きっとすぐにでも呪いを解かせるため、「もう充分に力がついた」という答えが返ってくるに違いない。


 なら、いっそのこと昔のように邪魔なものをバラしてから、どこかに閉じ込めてしまおうか。


「……ジク」


「なに、セツ……っ!?」


 突然、ジクの喉元に退治用の短刀が突きつけられた。柄を握るセツは恐ろしく冷たい表情を浮かべている。


 まるでかつての自分を退治したときのように。

 

 しばしの沈黙ののち、へらりとした笑みとともに短刀が首から外された。


「……と、ご覧のとおり周囲が見えなくなって隙ができることも多いから、まだまだ一人前とは言えないかな」


「……え?」


 薄い唇から予想外の言葉が放たれる。


「ん? どうした、ジク? そんな鳩がハンドガン撃ってきたような顔をして」


「どんな顔なんだよそれ……、ともかくまだ一人前じゃないっていうのは?」


「言葉のとおりの意味だよ。たしかにあやかしの血が流れているだけあって頑丈で力も強いが、それに頼りすぎて危機感知やら回避やらがおそろかになっている節がある。まあ、危険集団殲滅班が扱っていた規模くらいまでは大丈夫かもしれないが……大勢に囲まれたり、囲まれているときに死角から攻撃されたりしたら一撃でおしまいだろうな。あ、あと、対象に集中しすぎて仲間に気が向かずに攻撃に巻き込むきらいもあるかも」


 至極真っ当な助言に呆気に取られていると、向かい合った顔にへらりとした笑みが浮かんだ。


「なんだ、ひょっとして自分はもう一人前だとか自惚れていたのか?」


「いや、別にそういうわけじゃ……」


「ははぁん? さては、私に対する食欲が抑えられなくなったから、無理にでも一人前扱いしてほしくなったんだな? それならそうと言ってくれれば、私の後任者への引き継ぎ資料を作って……」


「違うから!」


 どこか軽薄な声を遮ると、机越しの席から咳払いが聞こえてきた。二人同時に顔を向けると、ロカが眉間に皺を寄せながらメガネの位置を直している。


「……つまり、ジクの課題は主に対多数の任務での立ち回り、ということですか?」


「ああ、その通りだよ」


 セツが答えると眼鏡越しの金泥色の目が机上の資料に向けられた。


「そうですか。なら、ちょうどいい任務がありますので、そちらで実践しながら学ぶのがいいでしょうね」


 資料のうち一枚が二人の前に差し出される。ジクはそれを手に取ると眉をひそめた。


「……救抜衆生会跡地及びその周辺地域の清掃・・?」


 記載されていたのは幼い頃に暮らしていた町に関する任務だった。 


「ええ。上層部曰く、インフラも整っているので可能ならば街として再利用したいのに、あの辺りは人を襲うあやかしが多いのでなかなか踏み出せないとのことです。優先度が極めて低いためいままで手をつけずにいましたが、ちょうどいい機会でしょう。期限はとくに設けられてないのでこの任務完了をもって、『退治人として一人前』という条件の達成ということにしてはいかがですか?」


「まあ、この任務をこなせれば青雲の退治人として充分な実力がついたといえるかな」


「そうですか。なら、この案でよろしいですか?」


「ああ、構わないいよ。ただこの任務だとここから毎日通うのはしんどそうだなぁ」


「それでしたら、安心してください。一部の住宅地やインフラ制御にかかわる部分はすでにあやかしが入り込まないように処置が施されているので、現地でもとくに問題無く生活ができるはずですよ。必要なものは定期的に届けさせるようにしますし」


「そうか。なら、なにも問題はないかな」


 淡々とした声達が、自分を置いて話を進めていく。

 なんとかして止めなくてはいけないと気持ちばかりが焦る。それでも。


「ジクもそれで大丈夫か?」


「……うん」


「そうか、ならよかったよ」


 セツの顔に穏やかな笑顔が浮かび、優しい声とともに頭がなでられた。

 無理やり閉じ込めていたときには絶対に見られなかった表情。

 絶対に聞くことのできなかった声。

 与えてもらえなかった感触。

 これ以上苦しい思いをさせたくないという感情。 


 提案に反論する理由はなにも見つからない。


「では、出発はいつにしますか?」


「んー。私はいつでもいいけれど、ジクはいつがいい?」


「僕も、別に、いつでも」


「なら明日の朝にしましょう。現地への移動手段はこちらで用意しておきますので。それでは、打ち合わせはこれまで。出発の時間までは休暇といたしますので、自由に過ごしていてください」


 机上の書類を集めるとロカが席を立った。


「……ちなみにこの任務、ロカ本部長は参加しないんですか?」


「ええ、俺には他の仕事が山ほどあるので。それに昨日も言ったように、部下のプライベートに口を挟む気はありませんので。それでは」


 間を置かずに答えを返しながら振り返ることなく、翼の生えた背中が扉の向こうへ消えていく。


「……はは! 完全にフラれてしまったな、これは!」


 一瞬だけ落胆の表情を浮かべたあと、セツがヘラヘラと笑んだ。

 二人の関係が終わっているということは以前本人達の口から聞いている。しかし、その言葉を素直に信じられるほど子供ではない。


「……でも、セツはまだロカ本部長のことが好きなんでしょう?」


 問いかけに、薄灰色の目が一瞬だけ見開かれたあとすぐに元の笑顔に戻った。


「驚いた、随分ハッキリと聞いてくれるじゃないか。まあ察してちゃんよりは扱いやすくていいが、もう少し情緒だとか風情だとかがあっても……」


「茶化さないでちゃんと答えてくれる?」


「はいはい、ごめんごめん。そうだな、たしかに私のほうは色々と未練だとかが残っているよ。ただご覧の通り向こうは結構昔に色々と吹っ切っているからね。まあつまるところ、ロカは私にいいように扱われたあげく都合が悪くなると縋り付かれる被害者みたいなもんだよ」


 軽薄な声と共に大げさに肩がすくめられる。

 その言葉が自分の嫉妬からロカを守るためのものだとはすぐに分かった。


「……だから、アイツはもう放っておいてやってほしいんだ。私のことは好きにしてくれていいから、たのむよ」


 上目使いに懇願する顔からは憎悪も敵意も感じられない。ただ哀切さだけが色濃くにじみ出ている。

 胸の中で嗜虐心や憐れみや独占欲がグチャグチャに混ざり合っていく。

 

「……じゃあとりあえず、僕がいるのに他のやつのことを考えてたお仕置きをするけど、いいよね?」


「んっ」


 服の上から胸を撫でると薄い肩がびくりと跳ねた。


「ほら、ちゃんとお返事して?」


「……っ、わかりました。おしおきしてくださっぃ」


「うん、お利口だねセツ。じゃあ、ロカ本部長のことなんてもう放っておいて部屋にもどろうか」


「……ああ。ありがとうなジク」


 これから仕置きを受ける人間とは思えないほど穏やかな笑顔がセツの顔に浮かぶ。それに対して、ジクは苦々しい表情が浮かべながら席をたった。



 ※※※ 


 部屋に戻るとジクはセツを甚振りながら激しく抱いた。


 快楽に蕩けた表情が嬌声まじりに自分の名前を呼び痴態を演じる。それはずっと昔から求めていた姿だったはずだ。しかし、同時に言いようのない虚しさが胸をよぎった。



 今の自分が求めていたのはこんな姿だったろうか?



「……ジ、ク? だい、じょっうぶか?」


 気がつけば身体の上に寝そべったセツが心配そうに首を傾げていた。


「……うん、大丈夫。セツ、気持ちよかった

?」


 銀色の髪をなでると薄灰色の目がゆっくりと細められた。


「ああ、気持ちよかったよ……、それで」


 黒い紋様の刻まれた手がそっと頬に触れる。


「ジク、なんで泣いているんだ?」


「……分かんない」


「そうか……、じゃあ落ち着くまで子守歌でも歌おうか? 出発の準備は一眠りしてからでも間に合うだろうしな」


 セツの顔に穏やかな微笑みが浮かぶ。


 今の自分が求めてやまなかったものはこちらだったはず。


 たとえ、それが本来なら自分に向けられるはずのないものだとしても。



「じゃあお願い……ねえ、セツ」


「ん? どうした?」


「……なんでもない」


「……そうか」


 背中に腕を回して横向きに寝転がると、紋様の刻まれた手が頭をなでた。続いて、穏やかな声が子守唄を歌いだす。


  僕のことも愛して。


 喉元に込み上がる言葉を飲み込んで、ジクは目を閉じ優しい旋律に聞き入った。

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