第3話 悪い副作用と白い首筋

 青雲の社屋に併設された宿舎・・の一室。薄暗い照明が、ベッドとタンスだけが置かれた床を照らしている。


 そんな中、トランクを片手に持ったセツが楽しげな表情で辺りを見渡した。


「ははははは! 本っ当に何もないな!」


 上機嫌な反応を受けて、ジクは対照的な表情で力なくため息を吐く。


「だからそう言ったじゃないか。嫌なら今からでも宿を探してきなよ」


「ふふふ、別に嫌なわけじゃないさ。むしろ牢屋にでも入れられてるんじゃないかと心配してたから、少し安心したよ」


「ああ、そう」


 不機嫌そうな顔から、投げやりな返事が吐き出された。


 たしかに、扉や窓に鉄格子がはめられているわけでも、看守に始終見張られているわけでもない。それでも、宿舎から逃げ出そうとすればシキや他の退治人たちによって手酷いを受け、あるいは処分されることだってある。そうやって姿を消したものを大勢見てきた。自分と同じ、あやかしの血を引く住人たちを。


 牢獄となんら変わりない。



「ただ、このベッドだと二人で寝るにはちょっと狭いかもな」


「……は?」


 突然の言葉に、我に返った金泥色の目が見開かれた。


「どうした? 鳩が超長距離狙撃をくらったような顔して」


「どんな顔だよそれは。ともかく、ベッドで寝る気なの?」


「あたり前じゃないか。今日は移動に仕事に折檻にで身体がもう限界なんだから、床で寝たりしたらそれはもう身体中酷いことなりそうだし」


「……なら、僕が床で寝るから」


「まあ、そう言うなって。こう見えて寝かしつけは得意なんだぞ」


 薄灰色の目が得意げに細められ、薄い唇が弧を描く。冗談なのか本気なのか分からないが、子供扱いをされていることだけは感じ取ることができる。


「別にそんなのいらないし」


「遠慮するなよ。お前の世話だって、任務のうちに入ってるんだから」


「は?」


 再び金泥色の目が見開かれた。


「僕の世話ってどういうこと?」


「そうだな、そのあたりも話してやらないとか……でも、その前に」


 セツは言葉を止め、苦笑しながら首を傾げた。


「先にシャワーを浴びてきてもいいか? さすがにこのままだと、気持ちが悪くてな」


「……どうぞ」


「ありがとう。よっと」


 白い手袋をはめた手がトランクを床に置き、中から紺色の浴衣と替えの下着を取り出した。


「じゃあいってくるよ」


 華奢な身体がシャワールームへ入っていくのを見送ると、ジクはフラフラとベッドに向かい深く腰をかけた。

 予想外のことが続いたせいか、いつもの仕事終わりよりも疲れを感じる。気がつけば、硬いマットレスに横たわりまぶたが閉じていた。



 脚の間に埋まった悩ましげな顔。

 血と薬と果実が混ざり合った香り。

 絡みつく熱い舌の感触。

 鞭に打たれるたびに上がった嬌声。

 組み敷かれよがる華奢な身体。

 頭をなでる白い手袋の手。

 優しく穏やかな微笑み。



 まぶたの裏に映る様々な記憶が入り混じり、解け合い、女の顔を形成していく。


 

「……っ」



 女の顔がなにか表情を浮かべる前に、ジクは目を見開いて跳び起きた。

 目に映るのは何も無い部屋だけ。

 それでも、冷や汗が止まらず心臓がうるさいくらい跳ね続ける。


 早く鎮静剤を喫もう。震える手で上着のポケットを探すと、すぐに小さな箱が見つかった。しかし、いつもより異様に軽い。首を傾げながらふたを開けると、そこに有るはずの紙巻きタバコに似た薬は一本も見当たらない。その代わり、一枚のメモ用紙が入っていた。


「没収乀(*´∀`*)ノ」


 やけに達筆な文字とふざけた顔文字が白い紙の上に踊っている。


 怒りに肩を震わせていると、シャワールームから足音が近づいてきた。


「シャワー空いたぞ……」


「この!」


「うわっ!?」


 ベッドから降りて飛びかかると、紺色の浴衣を着た華奢な身体は簡単に床に組み敷くことができた。


「なんだジク、かまってほしいのか? でも、今日はさすがに疲れてるから、明日にしてくれると助かるんだが。それなら、私もお前も非番だし」


「黙れ! 僕の薬、どこにやった!?」


 力任せに襟首を締め上げて怒鳴りつけたが、セツはただ呆れた表情で「ああ、あれか」と呟いただけだった。


「捨てたよ、あんな副作用が強い薬」


「ふざけるな! すぐに返せ!」


「だめだ。悪いことは言わないから、依存するならアメ玉にでもしておけ」


「うるさい! 子供扱いする……」


  

  なんでいつもいつも言うことが聞けないの?



「……な?」



 不意に目の前に女の顔が現れた。

 髪と肌の色は絵の具を乱雑に混ぜたような有様だ。それなのに、目だけははっきりと金泥色だと分かる。


 自分の目とまったく同じ色だと。


「はっ……、はっ……、はっ……」


 気づいた途端、心臓が鼓動をさらに加速させ、呼吸さえままならなくなった。


「……ジク?」



  お前みたいな嘘つき生むんじゃなかったわ。



 目の前にあるのはセツの顔のはずなのに、憎悪の籠もった表情がそれを塗りつぶしていく。


「……い、……ぃで」


「おい、ジク? ……ああ、副作用がでたのか」



  お前が死ねばよかったのに。


 

 目の前の顔が金泥色の目を吊り上げ鋭い牙剥く。

 なんども夢に見た記憶にこびり付いた表情。


「おねがい……、殺さないで……」


「さすがにこのくらいで、殺したりなんてするか。とにかく、まずはゆっくり息を……」


   

  死んでちょうだい! 今すぐ!



「うわぁぁぁぁぁぁ!!」


「――っ!?」


 甲高い声が響くと同時に、悲鳴を上げて目の前の首筋に食らいついていた。


 牙が皮膚を突き破り、あふれ出した血液が口の中に広がる。

 

「うっ、ぐっ……」


 組み敷いた身体が痙攣する度に、牙はより深く肉を抉っていく。

 

 それでも、これだけでは足りない。もっと深く突き刺して食いちぎらないと、こちらが殺されてしまう。


「……ジ、ク」


「……?」


 顎の力をさらに強めたと同時に、途切れながらも穏やかな声が耳に入った。


「大、丈夫……、お前はいい子だ。殺したりなんて、しな、いよ」


 今度は頭が優しく撫でられる。


 心地よい感覚に、目の前の恐ろしい顔が消えていく。


 そして……


「ぅ……っ!?」


 ……口の中に広がる、血と果物と薬がでたらめに混じった味に気がついた。


「うわっ!?」


 慌てて口を離すと、苦しげに眉を寄せながらも白い頬をかすかに赤らめ微笑む顔が目に入った。


「セ、ツ……?」


「そう、だ。他のヤツ、は、誰もい、ない。安心し、ろ」


 穏やかな声が発せられるたび、首筋の傷からドクドクと血があふれ頬の赤みが薄くなっていく。


「あ、ごめっ、なさ……、はやく、止血を……」


「ふふ」


 慌てるジクの頬に白い手袋をはめた手が添えられた。


「大丈夫……、私は治癒力が、高い、から……、このくらい、舐めれば治……」


「分かっ、た」


「……え? ……ひぅっ!?」


 傷孔に舌をあてがいゆっくりと舐め上げると、紺色の浴衣を着た肩がビクリと跳ねた。


「っおい……、ジク……っ」


「ごめん、なさい。ごめんな、さい。ごめんなさい」


 金泥色の目が虚空に向けられ、熱い舌が謝罪の言葉を繰り返しながらあふれ出る血を舐め続ける。


「……っよし、よし」


 組み敷かれたままのセツはときおり身じろぎながら、赤銅色の髪にそっと触れた。


「大、丈夫、だから……、な。お前は、優しいいい子、だ」


「……っぅ」


 穏やかな声と、頭をなでられる心地良さと、口に広がる甘美な味に意識がぼやけ、体から力が抜けていく。


「……今日はこのまま、眠ってしまいなさい」


「う、ん……?」


 うなずいたジクだったが、腹に当たる硬い感触に気がついた。視線を落とすと、紺色の浴衣の裾が控えめに押し上げられいる。


「ああ、これか? 痛みを感じるとこうなるたちでね。便利な反面、ちょっと面倒でな」


 血の気を失ったセツの顔に、弱々しい苦情が浮かぶ。ジクはボヤけた意識のなかで、シキに痛ぶられて嬌声をあげていたのもそれが原因か、とどこか冷静に考えた。


 それならば、自分だって悦ばせることができるはず。


 そう思うと、下半身に血が集まっていくのをありありと感じた。


「……まったく。今日は疲れているというのに」


 意を察した薄灰色の目が呆れ気味に伏せられ、薄い唇から深いため息がこぼれた。


「ごめん、なさい……」


「まあ、いいさ。このままだと、私も眠れないだろうしな。ほら、おいで」


「うん」


 背中に回された腕に促されながらジクは再び白い首筋に顔を埋め、その身体を貪った。


※※※


「はぁ……、はぁ……」


「……セツ」


「なん、だ……んむ」


 荒い呼吸を整える唇を塞ぐと、薄灰色の目が軽く見開かれた。口内をなでるように舐めていると、手袋をはめた手が労うように赤銅色の髪をなでた。


「……っぷは。気持ち、よかった?」


「……まあ、合格点ギリギリといったところだな」


 見下ろす顔にヘラリとした笑みが浮かぶ。


「そう……」


「ははは、そんなに拗ねるなよ。少なくとも、シキよりはよかったから」


「……そう」


「そうそう。それで、お前のほうは落ち着いたか?」


「うん」


「なら、今度こそもう寝ような」


「うん……、おや、すみ……」


 途切れ途切れの言葉とともに、ジクはセツに覆い被さるように倒れこんだ。


「あ、こら! 寝る前にシャワーを浴びなさい! それが無理ならせめてベッドに寝なさい!」


「うぅん……」


 小言に曖昧な返事だけが返される。


「……やれやれ、聞こえてないなこれは。よっと」


 セツは身を捩ってジクの下から抜け出すと、ブツクサと呪文を唱えてから自分よりも長身の身体を抱きかかえた。それから、ヨロヨロとベッドに向かい、ふらつきながら投げ入れた。


「んー……」


「おやすみなさい。よい夢を」


「……」


 額に口付けると、穏やかな寝顔から落ち着いた寝息がこぼれた。


「やれやれ、任務やらなんやらの説明は明日にしないとか。まあ、でもこの子なら……」


 寂しげな微笑みとともに、白い手袋がゆっくりと外される。


 白く滑らかな手の甲に刻みついていたのは、互いの尾を飲み込む二匹の黒い蛇の紋様。


「……考えすぎか」


 どこか自嘲的に呟くと、セツは手袋をはめなおしシャワールームへ消えていく。


 先ほどまで血を流していた首筋の傷は、すでに塞がりかけていた。

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