第12話 暇と既視感


 ボーっと人差し指を見つめる。


 ――ぺろっ。


 艶やかな髪が俺の腕を撫で。

 とろりと柔らかな舌が俺の指に触れたあの感触。


 俺、伊与木さんに指舐められたのか。

 

 あまりにも現実離れした出来事で思考が遥かかなたに飛んでしまう。

 

「入明くん?」


「うわっ!」


 肩を突かれ、反射的に距離を取る。

 振り返るとそこには心配そうに俺の顔を覗き込む伊与木さんの姿があった。


「い、伊与木さんか……びっくりした」


「なんか昨日からボーっとすること多いですけど、大丈夫ですか?」


「大丈夫です。平気です、ほんと」


「そうですか。ならよかったです」


 伊与木さんがほっと胸を撫でおろす。

 

 いけないいけない。

 今はバイト中だ。こんなんじゃ迷惑をかけてしまう。

 

 仕事モードに切り替えろ、入明友成!


「7番テーブルオーダー入りました!」


「了解です!」






 夕飯のタイミングでお客さんが増えたが、それを乗り越えると一気に静かになり。

 俺と伊与木さんは厨房前で暇な時間を過ごしていた。


 退勤まであと一時間。

 大体この時間は手持ち無沙汰なことが多い。


「そういえば、最近あの漫画読んでませんでしたね」


「あぁーあの漫画」


 伊与木さんが読みたいと俺の家に読みに来た、えっちな漫画だ。

 確かにあの一度っきりで止まっていた。


 ……まぁ、あの時は色々とあったからな。

 来づらいというか、誘いづらいというか。


「実は少し続きが気になっていまして……」


 前に伊与木さんが「えっちな漫画嫌いじゃないですよ?」と言ったことを思い出してしまう。

 それが昨日の事件と重なり、なんだか変な気分になってきた。


 ほんと、伊与木さんはよく分からない人だ。


「じゃあ、今度読みに来ますか?」


「いいんですか!」


「いいですよ」


「やった! 近いうちに行きますね!」


「分かりました」


 嬉しそうに頬を緩ませる伊与木さん。

 そんな伊与木さんの可愛らしい姿を見ながら、俺も笑みをこぼすのだった。




    ♦ ♦ ♦




 翌日。

 都合が合ったので、早速伊与木さんが俺の家に来た。


 入った時に伊与木さんが何故か「はぁ、はぁ」と息を荒くしていたが、今は正常。

 時折俺のベッドを見て「ふぅ~」と何かを堪えるように唇を噛んではいるけれど。


 二人フローリングの上に座り、伊与木さんはクッションを抱いて漫画を読む。

 目の前で学園のアイドルがえっちな漫画を読んでいるのはなんとも変な感じだが、一時間も経てば不思議なことに慣れていた。


「このヒロイン、なんだかすごいですね」


「あぁー、確かにそうですね」


「主人公をストーキングしたりとか、盗撮したりとか。現実だったら犯罪ですよね」


「そういうのが意外に受けたりするんですよ」


 実際、ここ最近重い系ヒロインの人気は高いように思う。


「へぇ。男の子は愛が重い女の子が好みなんですね」


「人それぞれじゃないですか? もちろん、好きな人もいるでしょうけど」


「ちなみに、入明くんはどうなんですか? 重い女の子」


「そうですねぇ……嫌じゃないと思います。でも俺、恋愛経験ないんでよく分からないですけど」


「入明くん恋愛経験ないんですか?!」


 その反応だと、あるように思われていたんだろうか。

 そもそも友達ができない時点であるわけがないだろうに。


「ないですよ」


「そ、そうなんですか。ふ、ふぅん」


 伊与木さんがニヤニヤと口角を上げる。

 しかしそれに気づいて必死に真顔でいようとするも、結局我慢できずニヤけていた。


「うふふっ、うふふふふ……」


 声出ちゃってるじゃねぇか。

 というか、なんでちょっと嬉しそうなんだよ。馬鹿にしてんのか?


「そういう伊与木さんは、恋愛経験あるんですか?」


「私はないですよ」


「えっ、そうなんですか? 意外です」


「むっ。入明くんは、私が恋愛経験豊富の遊んでる女だと思ったんですか?」


「違います違います! そういう意味じゃなくて、伊与木さんはモテるのできっと一回くらいはあるだろうなって」


 学校で「紗江様」と呼ばれてるくらいだ。

 きっと伊与木さんの意思次第でいくらでも恋ができただろう。


「一回もないですよ。第一私、好きな人今までできたことありませんでしたから」


「へぇ、そうなんですね」


 なんで過去形なんだろう。

 まるで今はいるみたいな言い方だ。


「というか私、話せる異性なんて生まれてこのかたいませんでしたから」


「それも意外です」


 でもまぁ確かに、伊与木さんレベルになると話しかけるのが難しいか。

 ほんと、よく俺友達になったよな。


「だから、入明くんが初めて、なんですよ?」


「それは光栄ですね。ありがとうございます」


「ふふっ、どういたしまして」


 初めて話せる異性が俺というのは逆に申し訳ない気もするが。

 伊与木さんも楽しそうにしているし、俺が気にしてもしょうがないか。


「うわっ、入明くん見てください! このヒロイン、主人公の家押しかけてます! しかも毎朝!」


「そのシーンは結構衝撃的でしたね」


「よっぽど主人公のことが好きなんですね。しかも主人公が他の女の子と話しただけで病んでますよ」


「まぁなんてったって、そのヒロイン、『ヤンデレ』ですからね」


「現実にこんな子いるんですかね」


「どうなんですかね」


 いないとは言い切れないだろう。

 それにしてもそのヒロイン、少し既視感があるな。

 気のせいだろうか。


 なんてことを考えていると、伊与木さんは少し微笑みながらぼそりと呟いた。



「でも、ヒロインの気持ち分かりますけどね、私は」



 ふふっ、と伊与木さんはまた笑った。


 


 

 

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