第5節 ガスプ王子と笑い話

 人間は脚の骨が折れていた。

 おれはため息をつき、折れた脚をまっすぐに伸ばして魔力を注いだ。占い師センチャタに学んだ医療術だ。疫病の猛威には何の役にもたたなかったが、骨折程度なら骨が変にくっつかないように助力することはできる。


「ありがとう。お前が、この竜の巣に住む竜か?」


 魔力を注ぎ込む間に人間がおれに尋ねた。


「驚いたな。ペピピ……いや、人間がおれのことを知っているのか」

「森には人間に化けるのが上手い話好きの竜がいて、竜の気に入る話を聞かせてやれば宝を手に入れられるが、気に入らなければ殺されると聞いた」

「んだそりゃ」

「この森に棲んでいた小鬼ゴブリンの伝説だったらしいが、それが語り継がれている。それを聞いて俺はどうしても気になってな。こうして見に来たというわけだ!」

「大声を出すな大声を」


 脚も痛むだろうに窪地の上で騒いでいたときと似たり寄ったりな声量で、その人間はさも愉快そうに笑った。

 なるほど。ヤママ達が人間と交流していた時にたった噂に尾鰭おひれがついたのだろう。


「竜よ、お前名前は?」

「名前……」


 そこでおれは、この世界に来てからもう二百年以上経つというのに自分の名前を持ったことがないことに初めて気づいた。

 おれは悩んだ。名前はない。だが、人間だった頃の名を名乗るのも少し変だし……。おれは少し考えて、

「ドラコ」

 と名乗った。もとの世界で竜にまつわる名前にしようと思ったのだが、それくらいしか思い浮かばなかった。


「ドラコか、良い響きだ! おれはガスプだ」

「それじゃいいかガスプ。お前さっきので脚の骨を折った。お前を街の近くまで運ぶのも良い。だが元よりそうだが、そんな風におれの噂が立っているんなら人里にはより近づきたくない。ここで看病してやるから脚が治るまではここにいろ。でなければ食い殺す。いいな?」

「わかった! 何から何まですまない! 伝説の通りなら宝を持って帰ろうかと思ったが」

「そんなものはない」


 強いて言うならばコトプァも持って行った魔法石だが、それをわざわざくれてやる義理もない。


「だが、一方的に助けられてばかりと言うのもな。今俺は何も持っていないが、何か欲しいものはないか、ドラコ?」

「ない。……いや、お前が言ってた伝説、ちょっとは当たっててな。おれは面白い話が好きだ」

「面白い話か、そこの石板がそうか?」


 ガスプは文字を刻みかけていた石板を指さした。


「どんな話がある? 聞かせてくれ」

「お前図々しいな」


 っていうかさっきの伝説を聞いてきたなら、竜の気に入る話ってのを持って来たんじゃないのか。おれはため息をついたが、ヤママの集落で子ども達や疫病患者達に聞かせるのがそうであったように、正直物語を語るのは嫌いではない。

 おれはヤママ達に語ったように、ガスプにも元居た世界の物語や、この百年で自分が編んだ話も聞かせた。そのどれもをガスプは面白そうに聞いていて、最初はこのやかましい男をうっとうしがっていたおれも、次第に楽しくなってきた。


 ガスプの脚はおれの魔力注入の甲斐もあり、三日で完治した。


 ちょっとした名残惜しさを感じながらもガスプを窪地の外まで送ったが、その寂しさが続くのは一瞬だった。


「約束通り、お前の好きそうなものを持ってきたぞ」


 そう言って次に俺の前に姿を現したガスプの姿を見て、おれは笑い転げそうになった。ガスプの周りには何人ものお付きの者が控えていて、中には武装した者もいる。極めつけは、ガスプの身に着けていた外套だ。百年も人間たちの街を遠目から見て来たのだ。おれでも知っている。あれはここ何十年かでこの地に定住を始め、徐々に勢力を拡大しつつある豪族の長とその子どもらの証だ。


「お前つまり、そうか。王子か! ははは! おい、王子が一人で森に来て何やってるんだよ」

「どうしても気になってと言っただろう。皆の目を搔い潜ってな。三日も姿を消していたものだから、郎党たちは大騒ぎだったそうだ!」

「そりゃそうだよ!」


 百年退屈を持て余していたおれにとって、これ以上なく面白い話だった。こうしておれとガスプージャ家との絆は始まったのだった。

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