第21話 引き抜かれる楔

「そこまでです!」


 突然、凛とした女性の声が響き渡った。


「……誰だ?」


 肉食動物が放つ低い唸り声のような響きを纏わせながら、フォルザは声のした方に視線を向けた。


「ようやく会えましたね、ザナスの侵略者さん」


 フォルザは声の主にぎょっとしつつ、しかし冷静に現状を把握した。


「なるほど…… 間に合わなかったということですね」

「いいえ、間に合いました」


(なんだ…… いったい、誰だ)


 マルゾコは大勢の足音が周囲に響き渡る音だけを聞いていた。

 どこか懐かしい、その声とともに。


「観念せよ、ザナスの黒幕! お前はもう我らアリアント近衛騎士団『空の剣』にて包囲されている! 抵抗をやめよ!」


 豪奢でありながらも動きやすい鎧に身を包んだ騎士が、青白い光を放つ剣をフォルザに向けて名のりを上げた。

 しかし、フォルザはその不敵な笑みを隠さない。


「所詮どれだけ身を固めようと、ドラゴンの爪の前では無に等しい」


 指先に力を込め、鋭い爪を振り上げる。


「こんなふうにね!」


 半歩下がって飛びかかる爪の餌食に選んだのは、地面をいまだ這いつくばったままのマルゾコだった。


「しまっ、マルゾコ殿!」


 騎士がダッシュで向かうもその脚力で一歩歩くまでにフォルザの爪は目と鼻の先にまで近づいていた。


「!?」


 しかし、その爪はまさに接触する直前でぴたりと止まった。


「な、なんだ!?」

「だめだよー、一応依頼者なんだから死なれると困るんだよね」


 突然空間が歪み、中から鷹羽の帽子所属のマルミドがのそりと姿を現した。


「マルゾコさんっ!」

「あ、姫! あぶのうございます!!」


 姫と呼ばれた人物がそれにそぐわぬ速度と足取りでマルゾコを抱え上げると、そのまま一気にフォルザの脇をすり抜けていく。


「ぬ、くそ、爪が!」

「私の空間軸固定魔法をわずかながら犯しておいて、動けるとでも思ってるわけ?」


 だが、それを聞いた瞬間フォルザの顔が再び余裕の笑みで満たされる。僅かなエーテル反応がフォルザを包み、マルミドの拘束魔法を解除させた。


「狙いは『祭壇』か! させません!!」


 引き抜く勢いのまま振り返ったフォルザは、再度マルゾコに狙いを定める。それを抱える女性ごと貫く速度で足に力を込め、地面を蹴った。


「えっ、マジ!?」


 一瞬の出来事に戸惑ったマルミドはエーテルの操作が間に合わず、空間の拘束が外れてしまった。


「……なんてね」


 マルミドはそっと空間魔法を解除する。


「なっ!?」


 するとフォルザと姫たちの間に突然盾鎧を纏う大男が出現し、マルゾコを貫くはずの爪h強固な盾によって行方を阻まれた。


「ふん! やはり女性を助けるために掲げる盾は重さが違う!」


 出現状況もさることながら、鋭敏なドラゴンの爪を穿たれて傷一つつかない盾に驚いたフォルザは、改めて彼らから距離を取った。


「このボルニーロ率いる我ら『土くれ鎧』も乱戦に参加する! 少々の事では彼らに触れられぬと思っていただこうか?」

「……面白い。たかが人間風情がどこまで太刀打ちできるか、せいぜい命を見学料にしていくがいい!」



   Δ



「んぁ……」


 マルゾコは体の感覚が戻っていくのを感じた。


「大丈夫ですか? 今、周囲に結界魔法を上書しています」


 マルゾコは少しずつ人形の身体に力が戻るのを感じていた。


「エーテルの循環を阻害する魔法が使われていたようです。恐らくはこの『祭壇』を起動するための前準備なのかと」


 マルゾコはそれぞれの感覚器官が復活していくのを確認しつつ、最後に視界を確保した。フラスコの底から見える景色には先ほどの広場に大勢の騎士の姿と半人半竜が数人の冒険者とやりあっている姿が見えた。

 だが、視界のほとんどは別の物を映していた。


「エン、……リーナ!?」


 いつもと違う真っ白な軍装に身を包んだその女性は、確かにマルゾコの良く知るエンリーナだった。


「よかった…… 間に合いました」


 溢れる涙をぬぐうことなく、しかしできるだけ優しくマルゾコを立たせる。そして自身も立ち上がると胸元から何かを取り出した。


「マルゾコさん、私たちは多くの世界で出会いました。そして多くの別れを経験したはずです」

「!? なぜそれを?」


 マルゾコの言葉の先は、エンリーナが正にいま取り出した懐中時計に注がれていた。


「その多くの経験と技術は、まさにこの『祭壇』を解くために培われたものであると認識してください」


 エンリーナが『祭壇』と呼ぶそれは、先ほどフォルザが何やら構築式を展開していた場所。細い植物の根っこの先のようなものが、エンリーナの腰あたり…… マルゾコの視線のあたりまでまっすぐ空に向かって伸びていた。


 そして、そこからおびただしいほどの構築式が今も溢れている。途切れた式の補修を自動で行っているのだろう。

 しかもその構築式の組み込み方は、マルゾコが何度も何度も、何度も読み返したものだった。


「そうか、あの石の中から……」


 エンリーナはマルゾコに時計を握らせ、その上から自身の手を重ねた。


「今この祭壇は、私達がいかなる方法を持ってしても接続できなかった核に繋がっています。解除は―― 今しかないんです」


『所有者権限のひとつが譲与されます。ボートレスは限定的な時間操作解除能力が行使できます』


 マルゾコの中で何かが外れた。

 それは必要ないからと蓋をした、始まりの記憶にかけられた、鍵。

 師アデスによって閉じられた幼い記憶。


 ―――――――


「失礼、遅くなった」


 アデスはアリアント王国の紋章を胸にした男たちに向かって頭を下げた。


「こちらこそ、無理を申しております故」


 そこは、ケルダールのとある施設。冒険者ギルドが管理する特別貴賓室のひとつである。


「早速お願いします」


 そう促されてアデスは弟子を連れてベッドに休む少女に近づく。


「ルーロベルト様」


 ルーロベルトと呼ばれた法衣の男性がベッドのそばから離れ、アデスに近づいてきた。

「あなたがアデス…… 錬金術の使い手と聞く。どうか姫を救って差し上げてほしい」

「全力を尽くしますよ」


 アデスは弟子を伴ってベッドにつくとそっと指を首と手首に這わせ、動悸と体温を探る。


「体温は少し高いくらい、心の臓にも異常はなさそうだ」

「しかし顔色は真っ青で、もう数日も目覚めていない。幸いにも衰える様子がないのだが、これ以上は衰弱が懸念されるのです」


 ルーロベルトは様々な魔法で治療を試したが、それらは一向に効果を成さなかったと付け加えた。


「師匠、この子のエーテルおかしい」


 黒髪の少年は、少女を見るなり師匠に告げた。


「その通りだ。どう見える?」

「えっと、たくさん、重なってる」

「宿業の楔がこの時間軸に絡めとらて、発散されずに詰まっているんだ」


「……治る?」

「ここの王家の人間はどうしてもこの系統の病にかかる。だからボートレス」

「はい」


 黒髪の少年が返事する。


「この子が背負う荷物を、肩代わりしてやってくれ」


 アデスは少女が大事に持つ時計を手に取り、そっとエーテルを込めた。


 ―――――――


 甦る記憶には、不思議な確信があった。


「騙していた事、謝罪します」


 エンリーナは小さく呟く。


「師匠は、あの時からこうなることを知っていたんですね」

「それは…… 正直わかりません。けど、私の国を守るためにマルゾコさんとの思い出に楔を使ったのは間違いありません」

「どうかな、俺は嬉しいですよ」


 マルゾコは懐中時計にエーテルを込める。


「だって、あなたの決意があったからこそ、俺は今こうして、あなたと一緒に居られるんですから」


『結晶化計画プロセス接続アクセスします。ケルダールに存在する圧縮時間の解放が受理されました。展開を始めます』


 時計を入力機器インプットデバイスにマルゾコは新たな構築式の挿入のために展開を行う。それは、街全体を包んでいた構築式を圧縮し、彼らの周りに展開されていく。そのどれもがかつてマルゾコが眺め、改良を加えようとして挫折したものであったが、何故か今のマルゾコには懐かしさすら覚えるものに変わっていた。


「今なら、読める」


 新たな構築式が、旧いものと入れ替えられる。

 式は少しずつ紐解かれ、街へと徐々に還っていく。

 何度も何度も繰り返されたマルゾコの中のケルダールが、かつての世界を取り戻していく。


 そう。


 『エンリーナ愛する人のいない世界』へと。



 ―――――――



「どうするんですか?」


 ボートレスはアデスに聞いた。


「この子に宿るエーテルは、一人の人間が保有できる上限を軽く超えている。だからまずそれを取り出すんだ」


 アデスは手持ちの道具から空のフラスコを取り出し、そこへ金属片をいくつか投げ込むと、ボートレスに渡す。


「靴を脱いで、ベッドに上がりなさい」


 ボートレスを自分の頭ほどあるフラスコを抱えながらベッドに上がり、師匠の指示通り少女にまたがるように立った。


「じゃあ、君と彼女のエーテル波長を合わせるから、楽にして」


 アデスはそう言って時計の機能を起動させると、エーテル波長を測定するために少女とボートレスの血液が採取され、フラスコの中に落ちた。


「うわぁ!!」


 すると少女の身体から大人数人分の高純度霊素エーテルが吹き出し、一気にフラスコの中へと吸い込まれていった。


「おお!」


 近くにいた王家の付き人たちから声が上がる。


「姫は、アリセルナ王女は助かるんですか!?」


 しかし、アデスは顔をしかめたまま姿勢を崩さない。


「……彼女は、まだ戦っている」

「え?」

「この先訪れる世界の崩壊を前に、まだ姫は諦めずにその力をふるっておられるのです」


 アデスの視線はフラスコの中に注がれていた。

 そこには、強大なドラゴンに立ち向かう一人の少女が映っている。


「これは、何なんですか? 占いか遠見か何かでしょうか?」


 付き人の一人がアデスに聞く。


「恐らく、この時計が見せている『楔の終着点』です」

「く、楔と!?」


 ルーロベルトは突然大声を上げる。


「そなた、この時計が何かまで知っているのか?」


 アデスは、そこでようやく僅かに微笑んだ。

 


―――――――



「この世界は、いくつもいくつも存在している」


 エンリーナは囁くように話し始めた。マルゾコがそれを黙って聞くのを見てエンリーナはゆっくり続けた。


「あなたがたくさん挑戦して、くじけて、でも前に進んで。私もそれを見て励まされて、同じように進んでいきました」


 周囲に展開された構築式が修正を終え、再び祭壇を経て地下の賢者の石へと飲み込まれていく。

 そのたび、彼らの周囲…… 街全体が淡い錬成反応を見せ、その構築式が正しく賢者の石を昇華させていることにマルゾコは安堵した。


「そうして生まれ、消えた世界の分、『わたし』は生まれたんです。そうして消えて、生まれた分、アリアントは滅亡して、世界は滅亡していきました」


 理由は、マルゾコにはなんとなく分かった。


「……『元』の世界が、飲み込まれてしまったんですね」


 エンリーナは微かに笑う。


「錬金術の世界では、平行する世界の存在を認めつつも、それらが干渉することはないと結論付けられています。けど、この時計はその概念を覆す力を持っていたんです」


 それが、『くさび』の正体だった。 

 新たな楔を打ち込むことは、別の世界へ自分の世界を「上書き」させるということ。これを繰り返すことは、同一概念を重ね続けることと同義。


「それを見抜いたアデス様が、あなたに半分役割を委ねることで私への負担を軽減したのですが、結果的に私はマルゾコさんが巡る世界への介入ができなくなってしまったんです」


 徐々に、エンリーナの身体が錬成反応の輝きを持ち始める。


「エンリーナ、身体が……」


 それはマルゾコでもわかる。彼女の肉体の全てがエーテル分解を始めているのだ。だが、賢者の石が錬成される反応とは違い、その再構築先が存在しない。ふわり、ふわりと空中で途切れ、消えているのだ。

 そんな中で彼女は、にこりと微笑む。


「巡る因果でできた鎖が解けてきているだけです。それぞれに存在するかけらが、元の身体…… アリセルナの元へと還元されているのです」

「はっ!? なんでっ!?」


そんなことを、と続けるマルゾコに、エンリーナはそっと手を添える。


「あなたが生きること。世界が、世界であり続けること。それが私の」


 ぐら、とマルゾコの視界が歪む。


「……る、……か! ……い!!」


 エンリーナの声も遠くなる。

 体の感覚が鈍る。

 無理やり感覚を広げると、マルゾコはあることに気が付いた。

 大きな爪が、自分の頭を貫き、砕いている。


 ごろりと転がる欠片が見たその視界には、すすけた黒いドラゴンが大量の血を流しつつ不敵な笑みを浮かべている所だった。

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