第14話 暴徒と執事


「井戸に獣の死体が投げ入れられていた……!?」


 その事件がリネージュの暴徒たちにもたらした衝撃は大きかった。


 感染症が蔓延し猛威を振るう中、暴力に訴えることしかできなかった自分たちを救ってくれた新しい領主。


 まだ十歳の子供であるにもかかわらず、感染症を収束させた上に税率を引き下げ、規格外の魔力を駆使して荒れ地を開墾。


 領民たちの生活はそれ以前と比べれば著しく改善された。


 この人がいればもしかしたら。


 そんな風に将来への期待を持つことさえできるくらいで。


 だからこそ、暴徒たちはその一報に激しい憤りを覚えることになった。


(貴族どもの仕業に違いない。ミーティア様になんてことを……許せねえ)


 暴徒たちに難しいことはわからない。

 しかし、自分たちの恩人が攻撃されているのを黙って見ていられる彼らではなかった。


「立ち上がるぞ。貴族どもにこれ以上好き勝手させるか。ミーティア様は俺たちが守る」


 立ち上がった暴徒たちは、空いた時間を使って町の警戒を始めた。


 ミーティア様が暮らす区域周辺は特に念入りに警戒し、いざというときに戦えるように自分たちの身体を鍛えた。


(さあ、どこからでもかかってこい、貴族ども)


 しかし、状況は彼らが予想していたのとはまったく違う展開を見せた。


 ミーティアがエドワード・シャルリュスの邸宅を訪ねたその後から、周辺地域の貴族たちの動きが目に見えて大人しくなったのだ。


 それどころか何かに怯え、ミーティアの顔色をうかがっているようにさえ見える。


(いったいどうして……)


 自分たちの予想をはるかに超える不可解な状況。


 しかし暴徒たちは、感覚的にそれをもたらした鍵となる人物が誰なのか理解していた。


「貴方がやったんですよね」


 皺一つ無い執事服。

 美しく伸びた背筋と凜とした立ち姿。


 暴徒たちの言葉に、ミーティアに仕える執事――ヴィンセントは表情を変えずに振り向いた。


「何のことでしょうか」

「ここに来た初日に見せた体術は常人のそれとはまったく違っていました。あれは一朝一夕で身につくものじゃありません」

「何を言っているのか理解しかねるのですが」

「答えられないなら答えなくて構いません。俺たちが言いたいのは貴方にお礼を言いたいということなんです。ミーティア様の力になっていてすごいと思います。尊敬します」


 暴徒の一人が言う。


「そして、俺たちにも協力させてほしいんです。仲間を、家族を救ってくれた恩人のために力になりたい。学がない俺たちだけど腕っ節には自信があります。どんなことでもやります。指示には必ず従います。だから、貴方の下で働かせてください」


 ヴィンセントは色のない瞳で彼を見つめていた。

 それから、暴徒たちに背を向けて言った。


「申し訳ありません。仕事がありますので」

「困ったことがあったらいつでも呼んでください。必ず力になります。その日のために身体を鍛えておきますから。一度で良いんです。どうか力を証明するチャンスを――」

「失礼します」


 ヴィンセントは言った。

 有無を言わさぬ響きがそこにあった。


 暴徒たちは何も言えないまま、ヴィンセントの背中を見つめていた。






(いや、私が全部やったみたいなことを言われても困るのですが)


 ヴィンセントは暴徒たちとの会話を思い返しつつ屋敷への帰路を歩いていた。


 たしかに、エドワール・シャルリュスを攻略する上で、自身がエージェントとして磨き上げたスキルが役に立ったのは事実だ。


 しかし、それはあくまで手段を提供したというだけのこと。


 主人として指揮を執り、才覚ある若手貴族であるエドワード・シャルリュスと渡り合ったミーティアと、助手として協力してくれたシエルの貢献が大きかったとヴィンセントは感じていた。


(ミーティア様の優秀さは知っていたのですが、シエルがあそこまでの技術を習得しているとは)


 どこにでもいる侍女に過ぎなかったはずのシエルは、ミーティアとヴィンセントに関わる中で着実にエージェントとしてのスキルを身につけていた。


 元々手先が器用で呑み込みは早かった。

 しかし、彼女の技術を向上しているのは何よりもその強いモチベーションによるところが大きい。


『私、時々ミーティア様のことを自分が産んだ娘なんじゃ無いかって思うことがあるんですよね。寝顔を見てるだけで愛しいというか、遺伝子が愛娘だと認識してるというか』


『私のミーティア様への気持ちは、こんな鍵くらいでは止められません。ミーティア様のためだと思えば、どんな困難でも乗り越えられるんです。実質お腹を痛めて産んだ娘なので』


『ねえ、ヴィンセント。愛というのがどういうものかわかりますか。たとえば、私は果物の中でイチジクが一番好きです。イチジクが食べたい、いつも傍にいて欲しい。自然とそんな思いが浮かんだとき、そこに愛が生まれているのです。とはいえ、イチジクごときへの愛と私のミーティア様への愛はまったく次元が違うものなのですけど』


(薄々感じていたのですが、シエルはかなり正気を失っていますね)


 真面目に働く優秀な若手侍女だったはずなのに、いったいいつからこんな風になってしまったのか。


『彼氏? 貴族家で休みなく働いていた私に、そんなの作る時間あるわけないじゃないですか。職場恋愛は後々面倒なことになるからしたくないですし、休日は疲れを取るために家で一日中寝てるので出会いなんてないですし。そもそも、恋愛って面倒なんですよね。正直彼氏よりも子どもがほしいというか。行き場のない母性の注ぎ先を私は求めていて――』


 リュミオール家で働き始めた六年前。

 屋敷の人間関係に関する情報を集めていた際に、そんな彼女の言葉を聞いたのを思いだす。


 シエルが本能的に求めていた娘的な存在として、ミーティア様が綺麗にはまってしまったということなのだろう。


 初めてできた姪っ子が、やたらかわいく見える的な現象にも近いのかもしれない。


(シエルの場合は、勝手に母になろうとしてるのでそれより度を超してやばいですが)


 ミーティア様がそんなにかわいいだろうか、と首を傾ける。


 たしかに、小さな身体で背伸びして、大人のような振る舞いをしてる姿が愛らしいと感じることはある。


 しかし、だからといって娘として認識したくなるほどかわいいかと言えば、そんなことは――


『庭に白いお花が咲いていたの! 見てたらヴィンセントにあげたいなって思って。はい、プレゼント!』


『針金で鍵を一瞬で開けちゃうなんて! すごい、もう一回! もう一回見せて!』


『私、いつもヴィンセントに感謝してるのよ。凄腕エージェントとしての振る舞いが本当にかっこよくて、貴方みたいな芯のある素敵な人になりたいなって。ヴィンセントは私にとって目標であり憧れなの』


(あれ、ミーティア様って娘としてものすごくかわいいのでは……?)


 心の中に生まれた迷いを、首を振って追い払う。


 知性と品格を備えたプロフェッショナルとして生きているヴィンセントにとって、その感覚は不要な感情以外の何物でもない。


(私はミーティア様を支え、お守りする従者。今は大義のために成すべきことを果たさなければ)


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