第11話 エドワード・シャルリュス子爵


 リネージュの北に隣接したシャルリュス子爵領。

 子爵家当主であるエドワードは、警戒心の強い男として知られていた。


 一挙手一投足に細心の注意を払い、決して敵対者に隙を見せない。


 臆病で疑い深い性格は、貴族社会で生き抜く上で有利に働いた。


 彼は周辺地域の領主の弱みを握り、絶対に逆らえない状態を作って着実に地盤を固めた。


 その一方で、巧妙に偽装を重ねた上で違法な奴隷売買や薬物の裏取引で巨額の利益を得ていた。


(ミスを犯した無能から消えていく。ここはそういう世界だ)


 エドワードは敗者を心の底から軽蔑していた。

 勝たなければ努力も過程も何の意味も持たない。


 この世界は結果がすべてであり、結果を出せない者に生きている価値はない。


 その考え方を彼は両親から教わった。

 シャルリュス家ではそれが当たり前の考えであり、正しい教えだった。


 盤石な領地経営を続けていた彼にとって、リネージュに新しくやってきた領主代行は視界にさえ入らないような存在だった。


 魔法国屈指の名家であるリュミオール家。

 しかし、リネージュの地はリュミオール伯爵領の中でも極めて価値が低い。


 当主は荒廃したその地にまるで関心を持っていないし、領主代行を務めていた三男も取るに足らない暗愚だった。


 感染症の流行と治安の悪化。

 慌てて逃げ帰った三男の代わりに領主代行になったのは、まだ十歳の五女だと言う。


 彼女には、魔法適性に何らかの問題を抱えているという噂があった。


(この地を見捨てていないという体裁作り。娘がそこで死ねば、責任を追求された際に有利に働く)


 リュミオール伯の意図は大体そんなところだろう。


 エドワードにとっては悪くない状況だ。

 機を見てリュミオール伯に恩を売れば、国内での影響力を強くすることができるかもしれない。


 しかし、事態はエドワードが想定していない方向に進んでいった。


「伯爵家の五女が、リネージュの地を立て直した……?」


 にわかには信じられない情報だった。


 直後に行った調査でわかったのはそれが紛れもなく真実であること。


 そして、領主代行を務めるミーティア・リュミオールは魔法と政策によって本気でリネージュを豊かな地に変えようとしているということだった。


(長期的に見れば最善に近い数字に設定された税額。無批判に慣習に従う他の貴族とは違う。自分を信じる強さと極めて優れた頭脳を持っている)


 何より、驚異的だったのは彼女がまだ十歳の少女だということだった。


 おそらく、ギフテッドと呼ばれる類いの突出した才能。


(末恐ろしい。このまま成長すれば、いったいどのような存在になるのか……早急に対処する必要がある)


 魔法国においてリネージュは極めて価値の低い土地だ。

 辺境にあることもあって、魔法国内で彼女がリネージュを救ったことはまだ知られていない。


 しかし、それも時間の問題だった。

 彼女が類い希な能力を持つことは、間違いなく周辺地域中に広がる。


 そしてそうなってしまえば、人々は周辺地域の貴族が行ってきた今までの領地経営に疑いを持つかもしれない。


 裏でエドワードが主導し、反発が起きないよう、段階的に少しずつ上げてきた税額にも疑問の声が上がる可能性があった。


 問題の火種は手遅れになる前に刈り取らなければならない。


 隣接するクィレル男爵家の犯行に見せかけて、獣の死体を井戸に投げ入れた。


 細部に至るまで徹底的に行った偽装工作。

 優秀な少女は彼が狙ったとおり、裏で手引きしているのが男爵家だと当たりをつけたらしい。


 嫌がらせに対処するために協力してほしいと申し入れてきた。


(後は信頼を勝ち取りうまく取り入って弱みを握れば――)


 少女を傀儡にするための計画を立てて笑みを浮かべる。


 そして、迎えた会談の日。

 ミーティア・リュミオールは想像していたより小柄な少女だった。


 赤と黒のドレスを身に纏い、優雅な所作で一礼する。


 十歳の子供であるにもかかわらず、彼女の動きには気品と落ち着きがあった。


 隣には、姿勢の良い執事と侍女が静かに控えている。


「本日はよくお越しくださいました。どうぞこちらへ」


 応接室に案内する。


「お忙しい中、お時間を作っていただいてありがとうございます」


 ミーティアは言った。


「実は、エドワード様に相談したいことがありまして」

「伺っています。リュミオール伯のお嬢様に相談いただけるというのは私としてもとても光栄ですよ。何せ、リュミオール家は魔法国屈指の歴史と伝統ある名家ですから」

「いえ、私はエドワード様の方がずっとすごいと思います。リュミオール家は近年斜陽気味。対して、シャルリュス家はエドワード様のお力で目覚ましい発展を遂げている。本当に優秀な方だというお噂を伺っています」

「運が良かっただけですよ。能力で言えば、リネージュの地を感染症から救ったミーティア様の方がずっとすごい」


 エドワードは穏やかに微笑んで親しみやすさを演出する。


「それで、相談というのは何でしょう? 私にできることでしたら、どんなことでも協力させていただきます」

「実は、領地の井戸に獣の死体が投げ入れられるという事態が起きていまして」


 ミーティアは事の次第を話した。

 すべて知っていることだったが、エドワードは身を乗り出してうなずきながら聞いた。


「それはとても恐ろしい……大変怖い思いをされたのではないかと思います……」

「井戸には死体と一緒にこれが投げ入れられていました」


 ミーティアは古びたナイフをテーブルに置く。


「クィレル領の鍛冶師によって作られたものです。この方の工房はリネージュの近くにはない。加えて、犯人に仕事を依頼した男はクィレル領の商会とつながりがあることを確認しました」

「クィレル領の中に犯人がいる可能性が高い、と」

「ええ。なので、この辺りに強固な地盤を持つエドワード様のお力をお借りするのが最善と判断しました」


 ミーティアの言葉に、エドワードは心の中で口角を上げた。


(かかった)


 優秀な彼女は、彼の計画通りクィレル男爵家が怪しいと睨んでいる。


「お任せ下さい。ただ、協力する上でひとつお伝えしておきたいことがありまして」


 エドワードは言う。


「リネージュの地では代々当主と商会の間で収賄が行われているという噂がありました。実はその証拠が周辺地域の領主に流出しているようなのです」


 エドワードは証拠が記録された紙を大理石のテーブルに置く。

 ミーティアは視線を落として息を呑んだ。


「こんなことが……」

「事実が明るみに出れば、リュミオール家の名に傷が付きます。他地域の領主を刺激しないためにも、領地の経営はしばらくの間、周辺地域と足並みを揃えて行う方がいいかもしれません。前例がないことをするのはリスクも伴いますしね。失敗したとき、すべてミーティア様が悪いということになってしまいますから。貴方の未来を考えても、それは避けるべきです」


 ミーティアは記録に視線を落としたまま顔を俯けていた。

 前髪が目元を覆っている。


 深く息を吐いてから、言った。


「父と兄が行っていた不正、とても恥ずべきことだと思います。その上で、ひとつシャルリュス様にご相談したいことがあるのですが」

「ご相談? なんでしょう」

「まずはこちらの資料を見ていただければと。ヴィンセント、出して」

「承知いたしました」


 傍に控えていた執事が紙の束をテーブルに並べる。


(いったい何の資料だ?)


 視線を落として、エドワードは絶句した。


(なん、で……)


 脱税、贈収賄、裏帳簿……絶対に表に出ないようにエドワードが行ってきた不正の記録がそこに並んでいる。


「ど、どこでこれを」

「エドワード様の寝室にある隠し金庫です。だって、他の証拠はすべて徹底的に抹消されているでしょう?」

「ありえない。あのセキュリティを突破できるわけが」

「ついでに金庫に入っていた金塊も持ち出させてもらいました。随分貯め込んでましたね。すごいなって感心しちゃいました」

「な、何を言っている……! そんなものはない……!」

「こちら、私が金塊と一緒に記念撮影している写真です」


 魔導式の撮影機で撮られた写真。

 そこには、ミーティアと侍女と執事がエドワードの金塊を手に、楽しげにピースをして写っていた。


「自分が何をしているのかわかっているのか……! 犯罪行為だぞ」

「目的のためには手段を選ばないのが私のやり方です。このお金の半分は周辺地域の人々の生活を豊かにするために使わせてもらいますね。そして、もう半分は私の言うことを聞けば少しずつ返してあげましょう」

「弱みを握って私を傀儡にするつもりか」

「ええ。貴方が私にしようとしたように。クィレル男爵家の犯行に見せかけるのは悪くないアイデアでしたが、相手が悪かったですね」


 にっこり目を細めて言った。


「貴方のような小物とは違うんです。何せ、私は本物の悪女ですから」


 既に決着はついていた。

 会談が始まる前から、彼女はエドワードの策略の上を行き、致命的な弱点を押さえて絶対に逆らえない状況を作っていた。


 それは、エドワードが周辺地域の領主にしているのと同じやり方。

 しかし、その技量には途方もない差があるように感じられた。


 屋敷に張り巡らせた何重もの魔術結界を突破し、自分以外誰も知らないはずの隠し金庫からこちらの致命的な弱点になる資料を盗み出す。


 しかも、注意深いエドワードが侵入されたことにさえ気づけなかったのだ。


 いったいどのような方法で十歳の少女がそれを可能にしたのか。


(何者なんだ、この子は……)


 背筋に伝う冷たいもの。


 エドワードは言った。


「わかりました。私は貴方に従います」



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