第5話 魔法国で最も危険な場所


 馬車を用意され、一人でリネージュの地に向かうことになった私だけど、シエルとヴィンセントがリュミオール家の仕事を辞めて私に着いてきてくれた。


 優秀な二人がいなくなることになって、お父様は随分お怒りだったとか。

 特に平民出身のシエルは辞める際、ひどいことをいろいろ言われたらしい。


「『二度と侍女として働けなくしてやるからな』って言われました。ミーティア様以外に仕える気ないのでいいんですけどね」


 シエルは言う。


「正式にミーティア様にお仕えできるようになりましたし、これからはもっと私のことを頼ってくださいね。甘えて寄りかかっていただいて大歓迎です。ミーティア様は私にとって行き場のない母性を満たしてくれるこの世で最も尊い天使なので」


 最後の方は何を言っているのかわからなかったけど、多分シエルなりに私がお母様を亡くしたことを気にかけてくれてるのだと思う。


 折角だし、甘えさせてもらうことにした。


「シエル。抱きしめてほしいと所望するわ」


 かっこいい悪女っぽい所作を意識して髪をかきあげて言うと、


「はい。ぎゅっとしてあげますね」


 シエルは私を優しくなでなでしてくれた。


 幸せ空間だった。

 かっこいい悪女感がないことは不満だったけれど、これはこれでいいかと思えるだけの何かがそこにはあった。


 私はしばしの間、人肌のあたたかさに包まれてエネルギーを補充した。

 元気になった私は、これから向かうリネージュのことをヴィンセントに相談する。


「準備は予定通りできた?」

「はい。ミーティア様の計画通り進めております。密かに運用していた資金で魔法薬も予定していた量を確保しました。細部については私が独断で変更した箇所もありますが」

「いいのよ。ヴィンセントの判断を私は支持するわ。貴方が最善だと思う選択をしてくれたのならそれでいい。ヴィンセントは私より優秀だから」


 ヴィンセントは少しの間じっと私を見てから目を細めた。


「ミーティア様はやはり大きな方ですね」

「ほんと!? 大きくなってる!?」


 思わず声を弾ませてしまった。


 前世から続く呪い。

 かっこいい悪女を目指す私に神が与えた試練。


 身長が伸びない――


 まだ十歳だからと気にしないようにしていたけれど、私の身長は同世代の子たちに比べてもはっきりと低かった。


 理想とするかっこいい悪女は高身長でスタイル抜群。

 なんとか現実を作り替えるために、上げ底の靴を履き、毎日ぶら下がる運動をして懸命に努力を続けていたのだ。


 そんな私にとって大きく見られることは最高の喜び。

 この調子で成長すればスタイル抜群な大人のレディになる日もいつか――


「いえ、背丈が伸びたというわけではないのですが」

「………………そう」


 私は悲しい顔をした。

 現実はいつも残酷で厳しい。


「大丈夫ですよ、ミーティア様。時間が経てばきっと大きくなりますから」


 シエルになでなでされながら馬車に揺られること半日ほど。

 到着したリネージュの地は噂通りひどく荒廃していた。


 打ち捨てられた畑と野菜の残骸。

 町の商店は暴徒に襲われたらしく、食い散らかされた後のようになっている。


 人がほとんどいない町のいたるところから、ざらついた咳が聞こえていた。


 他の領地に比べ生産高が乏しい地域ではあった。

 それでも、ここまでひどい状況にしたのは間違いなく重税を強いた統治側。


(魔法適性がない住民を劣等種扱いして私腹を肥やして、手に負えなくなったらトンズラね)


 とはいえ、珍しいことではない。

 むしろこの国の貴族の中では、一般的な考え方とやり方。


 だからこそ気に入らない。許せない。


(欲塗れで信念のない惰弱な悪徳貴族。かっこいい悪女を志す者として、華麗にぶっ飛ばしてやるわ)


 決意を新たにしていた私は、外で何やら物音がしていることに気づく。

 何かあったのかしら、と窓の外を見る。


 隣で、ヴィンセントが深く息を吐いた。


「暴徒に囲まれましたね。どうしますか?」

「へ?」






 恐ろしいことに、ヴィンセントの言葉はそのまま真実だった。


 今、魔法国で最も危険と言われるリネージュの治安。

 お兄様が逃げ出すのも納得の荒れ具合。


 伯爵家の馬車を見つけて、金目のものを奪おうと集まってきたらしい。


「こんなところになんていられない! 引き返しますよ!」


 馬車を操る御者さんが馬の手綱を引く。

 しかし、暴徒の動きは想像以上に早かった。


「逃げられない……」


 真っ青な表情でつぶやく御者さん。

 暴徒たちによって退路は塞がれてしまった。


(だ、大ピンチじゃない!? どうすれば……!?)


 冗談抜きで命の危機だ。


 激しい混乱。

 停止する思考回路。


(ぜ、全力で命乞いすれば命だけは見逃してくれたり――ダメだわ! 魔法国の貴族って平民にめちゃくちゃ嫌われてるから絶対ボコボコにされる!)


 まして、この地の人々は長きにわたり劣等種扱いされて圧政に苦しんでいたのだ。


 私がどんなに説得しても、怒りを収めてもらおうなんて期待する時点で無理筋。


「ヒャッハー! ゴミ貴族どもぐちゃぐちゃにしてやんよ!」

「おらおら! ビビってんじゃねえぞクズどもが!」


 馬車の外から響く暴徒の声。

 投げられた石が窓にヒビを入れる。


(もうダメだ……死ぬんだ……!?)


 心の中で頭を抱えていた私だったけど、そのとき頭をよぎったのは憧れているその人の背中だった。


 前世で大好きだった小説に出てくるかっこいい悪女。

 どんなときにもブレない強い芯を持ったあの人なら、この程度の逆境では屈しない。


 何のためにたくさん努力してきた。


 憧れていたあの人みたいになるためじゃないか。


 だったら、このくらいのピンチであきらめてなんていられない。


 腹をくくれ。

 覚悟を決めろ。


 後回しにしてはいけない。

 今なるんだ。


 あの日、憧れたあの人のような悪女に――


 深く息を吐いて、精神を集中する。


 なりたい自分を思い描く。


「行きましょうかみんな」


 私は立ち上がり、ひらりと髪をなびかせて言った。


「本物の悪というものを教育してあげましょう」






 ◇  ◇  ◇


 馬車を取り囲んだ暴徒たちにとって、馬車を降りた三人の姿は意外なものだった。


 執事と侍女と幼い少女。

 落ち着いた所作で並び立つ三人の顔に恐怖の色はなかった。


 貴族の誇りというやつだろうか。

 背筋を伸ばし、凜とした所作で暴徒たちに近づいてくる。


 しかし、取り囲む暴徒の数は五十人以上。

 力の差は比べるべくもない。


 三人は獰猛な獅子の群れに囲まれた兎でしかないのだ。


 積もりに積もった貴族に対する恨みと怒り。

 衝動と欲望のままにすべてをぶつけ、憂さ晴らしをする絶好の機会が目の前にある。


 武器を持った暴徒達が嗜虐的な笑みを浮かべて距離を詰める。


 張り詰めた空気。

 迫る蹂躙の予感。


 暴徒たちが地面を蹴る。


「地獄に落ちろやカス貴族!」


 小さな少女に向けて鈍器を振り上げたそのときだった。




「跪きなさい」




 何が起きたのかまったくわからなかった。


 どうして自分は倒れているのか。

 身体に力が入らない。


 それは、純粋な魔力圧による暴力。

 毎日八時間以上のトレーニングに打ち込む中で少女の魔力量は、相手に根源的恐怖を植え付ける領域まで達していた。


 さらに暴徒の中で最も強い大柄な男は、傍らに立つ執事によって投げ飛ばされ、地面に叩きつけられている。


 芸術とさえ言えるところまで洗練された一切の無駄のない体術。


 どうして二メートル近い大男をあんなに軽々と投げ飛ばすことができるのか。


 その数秒で暴徒たちは理解する。


 この二人は、自分たちの常識の外にいる何かだ。


「貴方たちは弱いわ。悪とさえ呼べないほどに弱い。でも、私は貴方たちのあり方を肯定する。そうするしかないところまで追い込んだのはこの国の歪んだ正しさだから」


 少女は言う。


「魔法適性を持たない者は虐げて当然という魔法国貴族の考え方、私反吐が出るくらい嫌いなの。だから、歪んだ正義を振りかざす悪徳貴族どもをぶっ飛ばす。そのために私はここに来た」


 それから、少女は崩れ落ちた暴徒たちに馬車の積み荷を見せて言った。


「家族が流行病に苦しみお金が必要なのでしょう。薬を提供するわ。飲ませてあげなさい」

「こんな高価な薬をどうして……」

「敵対者には容赦しないけど、身内には優しいのが私が憧れる悪女だから。この地の新しい領主代行である私にとって、貴方たちは領民であり身内なのよ」


 少女は侍女と共に荷馬車に積んでいた薬を配りながら、回復魔法を使って暴徒たちの病と傷を癒やした。


「私は生活魔法しか使えない。だから、少しだけ効力が弱い回復魔法になってしまうのだけど」


 しかし言葉とは裏腹に、彼女が使う《小さな傷を治療する魔法》と《ほんの少し病気がよくなる魔法》は一般的な回復魔法の効力を上回るものだった。


「うそ……ずっと治らなかった傷が……」

「歩ける……これでまた歩けるぞ……!」

「娘を治してくださってありがとうございます! ミーティア様!」


 領主代行としてこの地にやってきた少女に、暴徒たちは呆然と立ち尽くした。


(なんて気高く強い方なのだろう。貴族なのに私たちを差別せず、自ら回復魔法までかけてくれるなんて)


 人に優しくされることなく生きてきた彼らは、信じられない思いで目の前の光景を見ていた。


(このご恩は決して忘れません。一生着いて行きます、領主様)


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