第2話 優雅で完全なる執事


 二年後、七歳になったときには、私はお世話係の侍女たちを完全に籠絡することに成功していた。


 みんな私のことを深く慕ってくれて、ことあるごとにお菓子をプレゼントしてくれる。


 特に私付きの侍女であるシエルなんて、「ミーティア様が尊くて愛しくて」と周囲の侍女に語るすさまじい心酔ぶり。


 なんという恐ろしいまでの悪女の才能だろう。


 子供というハンデを抱えながら、周囲を魅了せずにはいられない圧倒的カリスマ。


 私はもしかすると、とんでもない可能性の扉を開けてしまったのかもしれない。


 予想以上の進捗に満足しつつ、足を組んで紅茶を揺らす。


(悪女っぽい所作も良い感じにできるようになってきたわね)


 鏡を横目で確認してうなずいてから、私は思う。


(計画を次のフェイズに移行する時が来たわ)


 貴族社会で華麗に暗躍する悪女になるには、その目的に共感し慕ってくれる仲間が必要だ。


 私の手足となり、裏工作や敵対者を陥れる手助けをしてくれる優秀な味方。


 その大事な一人目の仲間を、私は既に見繕っていた。


 リュミオール伯爵家全体を取り仕切る執事――ヴィンセント・ベルベット。


 主としてお父様に仕えているため、私とは関わりが薄いこの人は、いつも美しい所作で完璧な仕事をしていることから、《優雅で完全なる執事》と私の中で呼ばれている。


 その優秀さはリュミオール家の中では誰もが知っていた。


「ご機嫌はいかがですか、お嬢様」


 やわらかい笑みと、知性と品格が漂う身のこなし。


 侍女たちは口を揃えて「あの人はすごい。かっこいい」と言うし、私も仕事ぶりを見ていて『すごい人だなぁ、かっこいいなぁ』と思う。


 背が高くてスタイルの良い大人の男の人。

 歩く姿にはまるで隙が無く、さながらスパイ小説の中のエージェントみたい。


 伯爵家の中で誰よりも仕事ができるこの人なら、暗躍する悪女の右腕としても最高の仕事をしてくれるに違いない。


 今はお父様に仕えているこの人だけど、うまくアプローチしてなんとしてでも仲間になってもらわなければ……!


 その日から、私はヴィンセントさんを仲間に引き入れる極秘作戦を開始した。


 まずは彼の周辺情報を集めるところから。


 不思議なことに、彼の経歴にはいくつか偽装されたところがあった。


 丁寧に裏取りしなければ絶対に気づけない巧妙な偽装。

 他の人はまったく気づいてないけれど、華麗なる悪女になるべくかっこいい裏工作と謀略を一日中考えている私の目はごまかせない。


 何故伯爵家に仕える執事が、経歴の偽装なんてしているのか。


 聡明な私は、すぐにその理由に気づくことができた。


(間違いない……! この人、私と同じでスパイ小説の裏工作とか大好きな人だ!)


 何せ行われている偽装工作のひとつひとつが、まるで本物のエージェントかのように徹底的かつ精巧に行われているのだ。


 こんなこと、熱心なファンでなければ絶対にあり得ない。


(まさか、右腕にしたいランキング一位の《優雅で完全なる執事》が私と同じ憧れを持つ同志だったなんて……!)


 なんという奇跡のような偶然。

 胸の高鳴りが抑えられなかった。


(同志ならきっと、私の夢にも共感してくれる。絶対に私の右腕になってもらわないと……!)


 私は気持ちを手紙にしてヴィンセントさんに送ることにした。


 彼が行った偽装工作について細部まで余すところなく書き綴り、私の夢と野望についても概要を書いて伝えることにした。


 よし、できた。

 同じ憧れを持つ同志であるヴィンセントさんなら、これくらい書けば後のことは読み取ってくれるだろう。


『二人きりで話がしたい』と書き添えてヴィンセントさんの鞄に手紙を入れた。


(遂に……遂に、仲間ができる……!)


 前世から含めて、趣味を共有できる相手なんて初めて。

 私は弾むような足取りで、ヴィンセントさんに隠れて会う準備をした。






 ◇  ◇  ◇


(なん、で……)


 ヴィンセント・ベルベットはその手紙に書かれた内容に戦慄せずにはいられなかった。


 自身がリュミオール伯爵家に潜入するために行った偽装工作。


 その詳細が、極めて微細なところまですべて白日の下にさらされている。


(私の偽装は皇国諜報機関の上司でも見抜けなかったのに……)


 彼は皇国諜報機関に所属していた元エージェントだった。


 中央大陸において最も質の高い秘密諜報機関に所属していた彼は、優秀な工作員の中でも最高傑作と称される伝説のエージェント――『名前のない男』として知られていた。


 幾多の絶望的な状況を卓越した冷静さと判断力で切り抜け、『機械人形マシンドール』と恐れられた天才。


 そんな彼がエージェントを辞めることを決意したのは、歪んだ正義と組織の体制に嫌気がさしたからだった。


 戦争で両親を失った彼がエージェントになった理由。

 自分のように寂しい思いをする子供を一人でも減らしたい。


 彼は自らの正義のためにすべてをなげうって戦った。


 敵対組織の幹部を罠にはめ、軍拡を指導する貴族の不正を密告し、ありとあらゆる手段で戦争を食い止めるために奔走した。


 しかし、彼がどんなに懸命に努力しても戦争はなくならなかった。


 戦争を首謀していたのが皇国であり、自身の所属する組織だったことに気づいたとき彼は世界のすべてに絶望することになった。


(すべて壊して終わりにしよう)


 彼は皇国と秘密諜報機関の悪事を詳細なメモにまとめてすべての新聞社に送った。


 諜報機関は解体され、把握しきれない数の人間が逮捕された。


 旧諜報機関の面々は血眼になって彼を探した。


 捕まってしまえばまず生きては帰れないだろう。

 考え得る最も残虐な方法で制裁が加えられるのは間違いない。


 それでも、千の顔を持つ『名前のない男』にとって姿を隠すことは難しいことではなかった。


 命の危機を感じるような事態はほとんどなかった。


 手に入れた自由と平穏。

 しかし、その生活は荒んだものだった。


 純粋で正義を信じていた彼は、諜報員として世の中の暗部を見る中で人間という生き物の醜さに絶望していた。


 救いようのない醜悪な現実が世の中の裏側にはある。


 それは彼がどんなにがんばったところで変えられないし、悪を倒せばまた別の悪が力を増すように世の中はできているのだ。


 正義も信念もその悪に利用され、気づかないうちに歪んでいく。


 深い落胆と絶望。


 すべてがどうでもよかった。

 死ぬのが面倒だから生きているだけ。


 感情のない人形のように送るヴィンセント・ベルベットとしての日常。


 ミーティア・リュミオールという名の少女と出会ったのは、そんなときだった。


 お世話係の侍女たちに強く慕われている彼女のあり方が、ヴィンセントは不思議でならなかった。


(魔法国の貴族社会で育ちながら、どうしてこんなに思慮深く思いやりのある少女になったのだろうか)


 魔法適性こそが人間のすべて。

 優れた魔法適性を持つ貴族は、劣った存在である平民を虐げて当然という空気が魔法国の貴族社会にはある。


 にもかかわらず、彼女は心からの敬意と愛情を持って周囲の使用人たちに接しているように見えた。


(子供のはずなのに、大人以上に大人であるように見える。まるでここではないどこかで別の誰かとしての人生を経験してきたみたいに)


 加えて、彼女には子供とは思えない知性と学習意欲があった。


 おそらく、ギフテッドと呼ばれる類いの突出した才能。


(できるなら、そのまま優しい大人になってほしいものだ)


 あまり関わりが無い少女に対して、密かにそんな思いを抱いていた折りのことだった。


 届いた手紙と、暴かれた偽装工作の数々。


 書かれていることを理解するまでに少なくない時間がかかった。


 ありえない。

 ありえるはずがない。


 どうして七歳の少女が私の偽装をここまで完璧に見破ることができる?


 とても受け入れられない現実。


(落ち着け。冷静に状況を整理しろ)


 ヴィンセントは自分だけが理解できる特殊な暗号で紙に状況を整理したメモを書いた。

 それはヴィンセントが自分の考えを整理するために習慣的に行っていることだった。


 主観をできるだけ排し、客観的に状況を捉えるためにこの方法が効果的だとヴィンセントは考えていた。


①ミーティア・リュミオールを名乗るこの人物は私の経歴偽装を見抜いている。

②その事実を私に伝え、内密に二人で話したいと希望している。


 事実だけを書き記せばこういうことになる。


(本当に私の偽装を見抜いたのは誰なのか。目的はいったい何なのか。それは話してみないとわからないか)


 ヴィンセントは手早く荷物をまとめ、この家から姿を消す準備をした。

 かかった時間は三分ほどだった。


 手順は無意識でもできるほどまで身体に染みついていた。

 ヴィンセントにとっては姿を消すところまでが、生きていくために必要な工程として当たり前かつ日常的な行為になっている。


 手紙に記載された時刻に、ミーティアの私室を訪れた。


 侍女たちはおらず、部屋の中にいるのはミーティアだけだった。

 ヴィンセントは上着の内側に、工作員時代から使っている特別製の折りたたみナイフを隠し持っていた。


(まだ差出人がミーティア様だと確定したわけではない。他の誰かがミーティア様を騙り、私を何らかの罠に陥れようとしている可能性もある)


 ヴィンセントは部屋の点検をしに来たふりをして、盗聴用の魔導具がないか確認した。


「何かお困りなことはありませんか、ミーティア様?」


 あくまで自然な調子でミーティアに話しかける。


「ひとつあるわ」

「なんでしょう?」

「優秀なパートナーが欲しいの。計画を実現するために」

「計画?」

「今日来てもらったのは貴方を計画に誘うためよ。詳細はそれを読んでもらえるかしら」


 ミーティアはテーブルに伏せられた一枚の紙を指さす。


(ミーティア様が差出人であることは間違いない、か)


 紙に手を伸ばすヴィンセント。


「すべてはそこに書いてあるわ」


 ミーティアは優雅な所作で紅茶を揺らして言った。


「《華麗なる悪女アルベルチーヌ計画》。その全容よ」


(これは……)


 そこに書かれていた計画に、ヴィンセントは激しく混乱することになった。


(十代前半の夢見がちな少女が妄想するような残念な内容……! 後で読み返して痛すぎる過去として死にたくなるような記述の数々……! しかし、私の計画を見抜いたこの子がこんな妄想を本気で信じているとは思えない。おそらく、この内容は誰かに見られた場合のことを考えての偽装。本来の意図は、その奥にある)


 ヴィンセントは書かれている言葉の奥にある彼女の真意を丁寧に読み取っていく。


(歪んだ正義に裁きを下し、世界を裏側から支配する悪女……この人は正義の危うさと人間の本性を知っている。その上で悪としてこの世に満ちる悪を裁き、虐げられた人々を救おうとしている……!)


 そこから見えたミーティアの真意に、ヴィンセントは思わず立ち尽くした。


 純粋だった頃の自分が追い求めていた正義。


 歪んだ世界の中で、それを実現できるかもしれない方法が想像さえしていなかった形で綴られている。


(この方、まさか私の絶望と失望を知って……!)


 息を呑まずにはいられなかったが、考えてみれば十分にあり得ることだった。

 この少女は、皇国諜報機関の誰も見破ることのできなかったヴィンセントの偽装を完璧に暴いて見せたのだ。


(まだ七歳の子どもだというのになんという才能……)


 息を呑むヴィンセント。


(このやり方ならもしかしたら――)


 数年ぶりに感じる心臓の高鳴り。


 胸に灯った希望。

 ヴィンセントは拳を握りしめる。


「協力してくれるかしら?」


 不敵に笑みを浮かべるミーティア。


(従者としてこの方をお守りし、支える。理想を形にしてみせる)


 ヴィンセントは膝を突いて言った。


「私のことはヴィンセントとお呼びください。共に悪を裁き、虐げられた人々を救いましょう」




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