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カイト

エピソード1 猟奇的な殺人事件

〈エピソード1 猟奇的な殺人事件〉

 

 表通りから外れた路地の奥まった場所には、何か大きなものによって叩き潰されたような惨たらしい死体があった。


 平穏な生活に浸りきっているような普通の人間に正視できる死体ではない。例え、死体を見慣れている人間であっても普通に目を背けるだろう。

 

 グロテスクという言葉はこの死体のためにあるようなものだ。


 漂ってくる血臭も噎せ返るほどだし、夏という季節も相まって、死体は早くも腐敗を始めている。


 腐臭を嗅ぎつけたのか、数匹の羽虫も死体の周りを鬱陶しく飛び回っていた。死体に蛆がたかるのも時間の問題と言える。


 こんな死体の処理を任せられる人間はさぞかし気の毒だろう。だが、その気の毒なことをやらなければならない人間は確実にいるのだ。


 それが警察だ。


 その証拠に所轄の刑事や鑑識班は込み上げてくる吐き気を堪えながら懸命に現場検証に勤しんでいる。


 彼らの表情は皆一様に暗い。


 仕事とはいえ、このような死体と対面することになるとは気が滅入るにもほどがあると、彼らの顔には書いてある。


 が、そんな参っているような警察官たちの中にあって、ただ一人、気骨溢れる顔をしている男がいた。

 男は紺のスーツを着た坊主頭でやたら肩幅の広い割には足の短い刑事だった。


 彼は本郷光国と言って、警察署では警部を務めている強面のベテラン刑事だ。


 その風貌を違わず、光国は強権的な捜査をすることで知られている。なので、犯罪者だけでなく、警察署内にいる身内の人間からも恐れられていた。


 もっとも、光国は正義感の塊のような人物なので、不必要に誰かを傷つけたりはしないが。

 ただ、部下を容赦なく叱りつける厳しさはある。


 さて、光国は第一線で活躍する刑事らしく死体を見るのは別段、珍しくはなかったものの、今、現場に転がっている異様な死体を見て、さすがに顔をしかめる。


 どういう力が作用すれば、ここまで人間の体を損壊させることができるのか考えあぐねていたからだ。


 はっきり言って、この死体の状況はベテランの光国にとっても初めて見るケースだった。


 それが、光国のただでさえ厳めしい顔を更に厳めしくし、周囲の人間に近づきづらい雰囲気を作り出していた。


 そこに、光国の気質をあまり知らない新米の平刑事がやって来る。


 平刑事は無残な死体の上がった現場に立ち会うのに慣れていないせいか、発する声がおかしな感じに上擦っていた。


「本郷警部、こりゃ誰の仕業でしょうね。殺すにしたって、やり方というものが酷すぎますよ。まるで、ハンバーグの挽肉だ」


 今にも胃の中のものを逆流させてしまいそうな顔をしている平刑事が頬の筋肉を大きく引き攣らせながら言った。


「俺は肉を食うのが人生の中の数少ない楽しみなんだ。それを奪ってくれるなよ」


 光国は忌々しそうに言って、胸ポケットから煙草を取り出した。


 が、今は勤務中。


 しかも、現場検証の真っ最中だということを思い起こして、ともすれば咥えたくなる煙草を強引に引っ込める。


 警察という職業に関わらず、愛煙家には厳しいご時世だ。


「すいません。それで鑑識からの報告によると、死体は何か大きなものを頭上から落とされてこうなったみたいだと言っていました。詳しい死因はもう少し時間をかけないと分からないそうですが」


 死体は頭上から股間までが原形を留めないくらい潰されていた。


 鑑識班は建物の解体作業などに使うクレーンの鉄球のようなものを落とされればこのような状態になるかもしれないと零していたが、今の捜査段階では定かではない。


 体の損壊が激しすぎて死亡推定時刻も絞り込めていないのだ。


 本当に凄惨な死体だ。


「大きなものか。もし、それが本当なら落とされた物も現場に転がってなきゃおかしいんだがな」


 凶器にはべったりと被害者の血が付着しているはずだ。それを持って逃げるというのは、精神的にはキツイ作業と言えるだろう。


 殺人事件の犯人にとって凶器をどう処分するのかは取り分け重要な事柄だった。


「ですよね。凶器が大きなものなら、それを運び出すのも大変でしょうし、人目にもつきやすくなります」


 凶器を持ち去るのは苦労に見合うだけの得のある行動だとは合理的な光国には思えなかった。


「状況を鑑みるに単独犯の仕業じゃないだろうな。それで被害者の身元は特定できたのか?」


 光国は肝心な部分を思い出し、切り込むように尋ねた。


「まだです。ただ、服の胸の部分に小さなバッヂのような物が着いていました。これは真理の探究者とかいう宗教団体の信者が着けるものだそうです」


 宗教団体と聞いて光国の顔色が急に変わった。


 この上八木市では三年くらい前から幾つもの宗教団体がこぞって支部施設や会館、集会場などを建て始めたのだ。

 そのせいで面倒なトラブルも起きている。


 特に昔から上八木市にあった羅刹組は羅刹神という鬼の神を芳信している宗教法人なのだが、その組織構造はそこいらの暴力団とそう大差がない。

 宗教団体の揉め事とくれば縄張り意識の強い羅刹組が関与しているケースが多々あるのだ。


「きな臭いな。まあ、後は鑑識に任せて、俺は聞き込みの方に力を入れる。事件とくれば羅刹組が関係している場合が多いし、そっち方面を当たろう」


 光国は羅刹組とは何度もやり合ってきた関係だ。それだけに何か事件があれば真っ先に羅刹組の関与を疑うのが恒例となっていた。


 もっとも、周囲の人間は決めつけすぎるのは良くないのではないかと苦言を呈してはいたが、光国が自分の捜査方針を改める気配はない。


 今までは、それで十分な成果が上がっていたのが大きな理由であり、光国の刑事としての自信にも繋がっていたからだ。


「了解しました」


 平刑事は恐縮したように言うと、もっと詳細な情報を得ようと再び鑑識班のいる方に戻って行った。

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