第十二話「運動部が部活引退してから受験勉強に集中力を発揮するみたいな感じ」8/6(1)


 愛しい恋人の温もりを感じながら目を覚ます朝は、何度経験しても幸せで。絶対に手放してはならないその幸せを噛みしめて、表情にも隠すことなくしっかりと浮かべて、昌也は良に軽くキスをした。

 昌也に腕枕されて寝ていた良が、薄っすらと目を開けて微笑む。染めたことのない漆黒の髪がさらりと零れ、その下の日焼けを知らないかのような白い頬が露わになった。そろそろ社会人としては切り時な長さだろうか。

「……おはよ」

「起こしてもてごめんな。あんまり可愛いから、つい」

 まだ少し口の中でむにゃむにゃ言いながら起き上がろうとする良に「まだ寝ててええで」ともう一度キスを落として、昌也は朝食の準備のために起き上がった。ベッドは窓際に頭を向ける方向で設置しているのだが、寝起きの悪い良のためにカーテンはそのままにしておく。薄暗いままの部屋を歩いてキッチンに向かい、すりガラスの扉を閉めて電気をつけた。

 昨夜、新幹線で会いに来てくれた良を駅まで愛車で迎えに行き、はやる気持ちも隠さず家に連れて帰って来た。良がこちらに遊びに来る時は、晩御飯は昌也が手作りすることがほとんどで、昨日も仕事から帰って良が来るまでの時間を利用して、豚肉に下味をつけておいた。二人で家に帰って来てから、その豚肉をキュウリと一緒に炒め、残りは夏野菜たっぷりのサラダにも利用して、夏バテ気味の良だけでなく、肉体労働の後の昌也自身にも嬉しいメニューを振舞った。

 食べ物の好き嫌いが少しばかり多い良のために、彼の好きなドレッシングは冷蔵庫に常備している。豚肉に絡めた酢が少し彼にはきつかったみたいなので、冷蔵庫に残っている分は朝食に回さないことにした。昨日のサラダの残りを皿に盛り……食パンをトースターに放り込みつつ目玉焼きとウインナーを焼き始める。

 寝起きの悪い良は食べる量も少ないので、ウインナーは昌也の分だけで良い。ちょっとご機嫌に鼻歌まじりに焼き終えて、ちょうどいいタイミングでトースターもチンと軽快な音を立てた。お気に入りの大皿達にそれぞれ盛り付けて、良が……二度寝を始めているであろう部屋へと持って行く。

 案の定、薄暗い部屋の助けも借りて、良はベッドの上で丸まっていた。お揃いで買ったスウェット姿が、本当に愛しい。ディスカウントストアで買ったどこにでもある安物のスウェットなのに、彼は『昌也が選んだものはスウェットでも、俺の持ってる普段着よりよっぽどカッコイイよ』と喜んでいた。

 まだ夢の中でむにゃむにゃ言っているその口元に思わず笑ってしまう。テレビの代わりとして置いてあるディスプレイ前のテーブルに皿を置き、テーブルの上に昨夜から置きっぱなしにしていた自分のスマホを手に取る。

 時刻はまだ朝の十時だ。昨夜はついつい盛り上がり過ぎて寝るのが遅くなってしまった。本来の予定ではそもそも、金曜日の夜に良がこちらに来るはずだったのだが、バイトのシフトを代わって欲しいと頼み込まれたらしく、土曜日の晩からの予定に変更することになったのだ。良からその旨の連絡が来たのが火曜日だったので、昌也も土曜日の仕事を断らずに出ることにした。

 とりあえず愛しい恋人はまだ起きていないので、キッチンの奥にある洗面台に戻り、洗顔と歯磨きを終わらせてしまう。それなりに水音は響いたが良が起きた気配はない。腰のポケットに入れて持ってきたスマホをチェック。寝ている間に届いたメッセージアプリの通知は五件。どうでもいい女友達二人からの通知は無視して、尊敬する女の先輩には丁寧に朝の挨拶を添えて返信し、その先輩の恋人にも同程度には誠意を見せて、そして……兄からの連絡には、新幹線の時刻を返信した。

 何食わぬ顔をして部屋に戻り、恋人の寝顔を見ながら自分のクズさ加減を再確認する。

「朝ごはん、できたで」

 悪いと思いつつも心を鬼にしてカーテンを開ける。小さく呻いて窓からの光に背を向ける良の身体を跨いで、昌也はもう一度キスを落として恋人を起こす。

「んー……ありがと……」

「冷めても食えるし、無理せんでええからな」

 優しく良の腰を摩ってやってから、昌也はぐっと伸びをして頭を切り替えた。一緒にいれる時間が予定より丸々一日減ってしまったので、以前良が行きたいと言っていたテーマパークには行けそうにない。その代わりと言ってはなんだが、今日は家からそう遠くない有名な神社に連れて行こうと昌也は考えていた。

 新幹線の時刻というリミットがあるので、あまり遠出もしていられない。テーマパークは逃げないので、次回のお楽しみにとっておく。多少混んではいるだろうが移動は車だし、参道を歩くだけでも運動不足気味の良にはちょうどいいかもしれない。ついでに合格祈願のお守りも買って帰ればバッチリだ。

 どこに行っても楽しめる関係は、心を本当に豊かにする。

「一緒に食べる……」

 まだ半分寝ぼけながらそういう良が可愛くて、それからついつい盛り上がってしまい、結局冷めきった朝食をとる羽目になったのも、二人の楽しい思い出になるのだった。




 目的地に向かうのは大幅に遅れた形で外デートに向かった昌也と良だが、思いの他すんなりと観光が終わってしまい、想定よりもだいぶ早い時間に神社の駐車場に戻って来てしまった。

 決して盛り上がらなかった訳ではないのだが、想定よりもスムーズに良の足が動いたのが誤算だった。出会った頃より充実した生活を送っているからか、最近の良は生き生きとしていて体力もついてきたのだろう。どうやら自分は普段の歩くペースが早いらしいが、そんな昌也に文句も言わずに今日は良もついてこれていた。

「新幹線の予約までまだ時間あんなー。どうする? どっか行きたいとこある?」

 時刻は只今、十四時半。新幹線の時間は十九時台だが、夕食をどこかで一緒に食べることを考えると、残された時間は中途半端だ。

「うーん……それなら一回昌也の家に戻ろうかな? ゆっくりお家デートも好きだし」

 むしろそっちの方が好き、と顔を赤らめて言うものだから、昌也は思わず外だということも忘れて抱き締めそうになって……なんとか理性が本能に勝った。その代わり、ちょっと強い力を込めて彼を愛車へと引っ張っていく。早く人目のないところに連れ去って、そのままずっと抱いていてやりたい。

「ちょっ……昌也、離して」

 遠慮がちな抵抗の声が聞こえて初めて、昌也は周囲からの視線に気付いた。駐車場にいた数組の家族連れが、まるで暴行の現場にでも居合わせたような目でこちらを見ていることに。

 良とデートをするようになって気付いたのだが、どうやら自分達は傍から見れば『仲が良くなさそうな組み合わせ』の二人に見えるらしく、今のように強引に手を引っ張ったりしていると、それこそ良が昌也からカツアゲにでもあっているように見えるというのだ。ちなみにそう教えてくれたのは、兄の友人の拓真だった。

 同じ黒髪短髪の二人だが、与える印象が真逆なのは自覚があった。自分の見た目に女が群がって来ることも理解しているし、良の見た目が所謂『オタクっぽい男の子』な空気なのもわかっている。それでも、まさか恐喝事件みたいに見えるなんて。指摘されても信じられない程だった。

「あ、悪い。痛くない? 大丈夫?」

 人の良さを最大限発揮する笑みを浮かべて良に問い掛ける――形で周囲の目を安心させる。オレは決して彼に危害を加える存在ではありませんよ。オレ達二人は仲良しですよと、声は発さずに空気で伝える。

「うん。大丈夫。ごめんね、足痛いなんて言っちゃって。早く帰ろ」

 良もこの空気への対策はもう慣れたもので、にこっととろけるような笑みを返してくれて、自分から昌也の愛車へと乗り込んでくれる。愛しい。本当に。壊れものを抱いている気分だ。

「わかった。帰りにコンビニ寄ろか。トイレ行きたいやろ?」

 昌也も車に乗り込みながら、なんとなく感じていたことを問う。すると良は少し驚いた顔をして、「凄い! さすがにあの空気でトイレ行ったら、逃げたみたいに見えそうだから我慢してた」と照れ笑いを浮かべた。

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