頁弐拾陸__感情
兄弟のように幼少期を共にした父親の弟子達の旅立ちや、度重なる親族の死去後、友知さんが孤独であったかと言えば……決して、そうではありませんでした。
ホムンクルスもそうですが、彼には紗凪さんがいたのです。
ホムンクルスは、紗凪さんを指して『最高傑作』だと言いました。
自分のような偶然の産物ではない、青瑞による理想にして研鑽の賜物だと。
彼曰く、青瑞の一族が目指していたのは『人間を造る事』だったそうです。
一見すると不遜にも見える目的ですが、あくまでも彼らは人間の可能性は何処まであるのかを試したかっただけなのだと。
そうやって完成したのがホムンクルスであり、紗凪さんでした。
一端の錬金術師からしたら両者とも称えられるべき偉業であり、目指すべき
けれども、彼らは一度たりとも満足はしませんでした。
ホムンクルスは全知であれどフラスコの中からは出られない小人であり、紗凪さんも入魂された通りに動く
それを人間と見做す事を、彼らは認めなかったというのです。
『彼らは向上心が高すぎた。否、人間の可能性とやらを信じ過ぎていた。まだ出来ると愚直に信じ続けていたんだ。自分達の成果が人間の果てであってはならないと──まるで火に身を投じる虫のように、誰もが生涯を研究に費やしていた』
「……その気持ちは、分からないでもないわ。研究者である限り、『満足』は無縁でないといけない」
『そうだろう。ただ、彼らは至るのが早すぎた。偶然の産物にしろ、傑作にしろ……先を行き過ぎたせいで、今の時代で目指せるだけの限界に到達してしまったんだよ』
「今の時代で、目指せるだけの限界……」
『そう。そして、次の時代を開くための力までは、今の青瑞に残されていなかった』
もしも、弟子が一人でも残っていれば。友知さんがまだ生きていれば。
そもそも、あの病がなければ──
何か一つ違えば、今の日本はもっと発展を遂げていたのかもしれません。
それを思うと、誰もが青瑞の一族の不幸を嘆く事でしょう。
……ええ、僕もとても残念に思っています。
『──これが、
「ええ、話してくれて感謝するわ。……春君、説明を頼んでもいい? こういうの、貴方の方が得意でしょう」
「えっ……はい、分かりました!」
ホムンクルスの話に呑まれていた僕はそこではっと我に返り、今の屋敷と紗凪さんの状態について説明しました。
……説明不足な部分は、白咲さんに補ってもらいましたが。
双方の話が終わり、情報の擦り合わせが済んだ後。
『友知は死に、紗凪は壊れたか……。予想こそしていたが、現実となると中々……』
ホムンクルスは若干暗い声で言いました。
「その、なんと言えばいいか……」
『……ああ、同情は必要ないよ。
「つまり、貴方には悲しみや後悔もないの?」
『涙を流し、打ち震える事で斯様な状態を表現する事を『感情』と言うのならば……『ない』だろうね』
「──本当に、そうでしょうか?」
僕がふと漏らした言葉に対して、白咲さんとホムンクルスが同時に「え?」と反応しました。
「春君、どうしてそう思うの?」
「いえ、何と言いますか……。表現出来ないからと言って、必ずしもそれが『感情がない』という事には繋がらないのではないか……と」
『ほう……根拠はあるのかね?』
「根拠と言われると、弱いかもしれませんが……。僕には貴方が、悲しんでいるように見えます」
『それは君の主観だろう?
「ですよね……。でも、僕は思うんです。どんなに感情を表に出さない──あるいは出せない人であろうとも、その奥底に何かがあれば、それを指して『感情』と呼べるのではないかと。そしてその何かは、自ら表そうとせずとも、自然と出てしまうものだと……。僕はそう思うんです」
これは白咲さんとの付き合いの中で、僕が感じていた事です。
白咲さんは一見すると常に無表情であり、感情などないように見えます。
しかし、彼女もまた普通の人のように理不尽には憤り、未知や憧れには目を輝かせ──悲しい時には、じっとそれを堪えるのです。
故に、僕はそう結論付けました。
『自ら表そうとせずとも、自然と出てしまうもの。──そうか。君もそう言うのか』
「え?」
『なに。友知も昔、似たような事を言っていたんだよ。……まさか、まだ錬金術師ですらない君がそれを言うとは思わなかったがね』
懐かしむように独り言ちると、ホムンクルスは当主の部屋にある机の引き出し……それらを開けるためのパスワードを教えてくれました。
彼曰く、『君達になら託しても大丈夫だろう』と。
『そこになら、森の抜けるための道を記した地図や紗凪の設計図などもあるはずだ。もしも、君達が紗凪の修理を引き受けてくれると言うのならば──いや、やはり……紗凪はこのままで良いのかもしれない』
「どうして?」
『紗凪の行動原理は、人間の──『ご主人様の役に立つ事』。友知亡き今、その行動原理は果たされないに等しい。それが、故障によって多少歪んだ物となっても……。彼女が、役目を果たせるのならば……』
ホムンクルスは、何処か苦悩しているようでした。
それもそのはず、行動原理を果たせない
……言い方は悪いかもしれませんが、当時の価値観ではそう見做されます。
ならば、故障したままでも行動原理が果たせるのならば……と思ってしまうのも、無理もないでしょう。
『いや、いや──……これは、
──────
かくして、僕達はホムンクルスと別れて屋敷へと戻りました。
……「ホムンクルスを連れていかなかったのか」、ですか?
最初はそうしようともしました。ですが、当人がそれを拒んだのです。
『今更、地上に出たいとは思わない。これまでも、これからも、
ホムンクルスの意志は固いようで、僕達は彼を置いていくしかありませんでした。
それでも、僕は「本当にこれで良かったのか」と何度も自問自答しました。
もしも、本当に彼にも感情があるのだとしたら……あの場所に一人で留まり続ける事は、寂しいでしょうから。
けれども、感傷に浸って彼の善意を無駄にする訳にもいきません。
僕達は主人の部屋にある机──例の書斎のスペースにある物です──の引き出しにあるダイヤルを回して開け、中身を確認しました。
そこには、確かに周辺の地図や紗凪さんのものと思わしき設計図の束と……一つの封筒がありました。何の変哲もない茶封筒です。
表には一筆、『この屋敷を訪れ、全てを知った人へ』とだけ書いてありました。
「春君、それは?」
「手紙……みたいです。読んでみますか?」
「そうね。あの
僕は封を開けると、中にあった手紙を読み上げました。
……実は、今でもその手紙を持っているのですよ。見てみたいですか?
では、後ほど実物をお持ちしましょう。
肝心の手紙の内容は、以下の通りでした。
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