頁弐__目色

 家に着くと、僕は母の部屋へ白咲さんを案内しました。

 母の部屋は物が少ない分綺麗でしたし、女性である白咲さんにとってはここが一番落ち着く場所だと考えたからです。


「そう言えば、白咲さんの荷物はその鞄……犬型の機械人形オートマタ? だけなんですか?」


 ずっと気になっていた事を尋ねると、白咲さんは側に控えていた機械仕掛けの犬の頭を撫でながら答えてくれました。


「ええ。この子は旅立つ前に作った機械人形オートマタで、個体名はウィルって言うの。荷物は最低限しか入ってないけれど、普通のトランクより便利な上に、盗難の危険性も減るでしょう? ほら、こんな事も出来るのよ。……ウィル、フォールド」


 彼女が軽く手拍子をすると、ウィルと呼ばれた機械人形オートマタは自動的に変形し、立派なトランクになりました。

 そこには安物の機械人形オートマタにありがちな大きな駆動音や、動きのぎこちない部分などは微塵もなく、一連の動きを見て僕はとても驚きました。


「これが自作だなんて……凄いです、白咲さん」


「そうかしら? これくらい、錬金術師なら誰だって作れるわよ」


「それでも凄いですよ。……あの、もっと錬金術の話を聞かせてくれませんか!? ずっと錬金術師に憧れてて……僕も錬金術師になりたいんです! お願いします!」


 僕が深々と頭を下げる姿を前に、白咲さんは少し考える仕草をすると


「別に、構わないけれど。……夕食のあとで良いかしら?」


 と答えました。


「ああ、はい! それなら、すぐご用意しますね」


 僕は喜び勇んで夕飯を拵えに台所へ向かいました。

 そして腕によりをかけて、今できる中で一番豪勢な夕飯を作りました。

 ……少々やる気が空回りしているな、と今なら思えるのですが。

 これも、若気の至りと言うものなのでしょうね。



──────



 完成後、白咲さんを呼びに母の部屋へと向かうと、そこに彼女はいませんでした。

 もしやと思って勉強部屋に行くと、白咲さんは立ったまま文机に置いていたはずの錬金術書を読み耽っていました。

 僕が声をかけると、白咲さんは「あら、勝手にごめんなさい」と特に悪びれた様子もなく文机に錬金術書を置きました。


「『錬金術師になりたい』と言う割には、専門書は一冊しかないのね。……しかも、こんな古本で勉強を?」


「やっぱり駄目でしょうか? ……白状すると、僕も新しい本が欲しいんですけど、買いに行くお金がなくて。その本も、村で唯一の錬金術師の方から譲っていただいたものなんです」


「そうなの。けれど、この本にある理論はどれも時代遅れで使えないものばかりよ。率直に言って、ゴミを押し付けられたようなものね」


「そんな事はありません! 判道さんはご厚意で──」


「気を悪くしたなら謝るわ」


 僕の抗議を遮るように言うと、白咲さんは僕に客間へ案内するように促しました。

 その態度に尊敬から一転して反感を覚えつつも、要望通りに客間へ案内し、彼女に食事を振る舞いました。

 ……食べ終わる頃にはすっかり機嫌が直っていた辺り、僕も単純でしたが。

 一時的な反感よりも、錬金術の話ができる事の方が余程大事だったのでしょう。


 期待に満ちた僕の視線に応えるように、白咲さんは錬金術の話を始めました。


「……さて、約束を果たしましょうか。まず、貴方の知識量を確かめるところから。最初の質問はこれよ。──『錬金術とは、どう言った技術を指す言葉か』?」


 あえて、ここで僕も同じ質問をしましょう。


 ──錬金術とは、どう言った技術を指す言葉でしょうか?


 ええ、はい、……そうですね。魔術から派生し、術式陣じゅつしきじんによって行使される、一定の理論に基づいた科学の一歩手前にある技術……はい、その通りです。

 僕も同じような事を答え──ただ一言、「長い」と一刀両断されてしまいました。


 では一体、どういった回答を求められていたのか?

 白咲さんの答えはこうです。


「『術式陣じゅつしきじんを用いる事で、錬成や入魂を行う技術』……で十分よ」


 簡易的な説明ならこの一言で良いそうです。むしろ、それ以外は余分だとか。

 続けて白咲さんはこう尋ねてきました。


「錬金術の体系は大まかに分けて二つのだけれど、それは分かる?」


 今では一緒くたにされて全く区別されていませんが、当時、錬金術の体系は二つに分かれていました。

 一つは物質の形を変えたり、怪我を治療したりする物理的錬金術。

 もう一つが、機械人形オートマタへの入魂……いわゆるプログラミングをしたり、身体能力を強化したりする概念的錬金術です。

 以上の事柄は錬金術師──または錬金術を知る人にとっては常識であり、もちろん僕も淀みなく二つの錬金術について答える事ができました。

 もしもここでまともに答える事ができなければ、その時点で話は打ち切られていたかもしれませんね。


「あの、錬金術師になるためには養成学校に通う必要があるんですよね?」


「確実になりたいならね。言っておくけれど、私は通ってないわよ」


「えっ!? それなのに資格が取れたんですか?」


「資格に必要なのは、国家試験に合格する事だけ。独学だろうと弟子入りだろうと、そこまでの知識と実力があればいい話なのよ」


「そうなんですね……。知りませんでした」


 先程、錬金術師の免許証の時に軽く説明しましたが、必ずしも錬金術を使える──あるいは、習ったから資格を取らなければならない、という訳ではありません。

 今では僕が『世界最後の錬金術師』と呼ばれていますが、『錬金術が使える』ならば他にも該当する人はいるはずです。

 ……例えば医師や鍛冶師、人形師……他にも職人ならば、ある程度は該当するかもしれません。

 当時もこういった職業には、使が多かったので。


 では何故、錬金術にまつわる国家資格が存在し、なおかつ資格を有する錬金術師が優遇されていたのか?

 それは、彼らが『』です。

 ……別に、頓智ではないですよ?


 錬金術は他の職業にも自由自在に転用できるほどに、汎用性に優れた技術でした。

 ですがそれ故に、錬金術を研究する人が少なかったのです。

 ですので、国家……もとい錬金術の更なる発展のために、国は錬金術師を優先的に支援していました。

 具体的な例を挙げると、個人や研究所に対する資金援助や、条件付きの人体実験の許可などですね。

 こうして、錬金術師達は己の研究のみに集中できた訳です。


 以上の事柄を説明したあとに、白咲さんは僕にこう尋ねました。


「貴方は、目的のための手段として錬金術師になりたいの? ……それとも、単純に研究者としての錬金術師になるのが目標なの? この二つの道は似て非なるもので、するべき努力も異なってくるわ。だから、ここで決めておきなさい」


 提示された二択を、僕は迷いながら選びました。


「まだ漠然としか考えられませんが……。僕が錬金術師を目指すのは、目的のための手段、なのかもしれません」


「なら、錬金術師にならないと満たせないその目的は何?」


「村の人達に、恩返しがしたいんです。……ああ、錬金術師になる事だけが恩返しの手段ではない事は理解しています。だけど、何の取り柄のない僕が、彼らに恩返しをしようと思っても、出来る事なんてほとんどなくて……」


 僕の独白を、白咲さんはただ黙って聞いてくれました。


「どうしていいか困っていた時に出会ったのが判道さんでした。錬金術で皆を助けるあの人を見て、僕もああなりたいと思ったんです」


「そう。──憧れや恩義で、目指すべき道を決める事もあるでしょう。その気持ちは私にも覚えがある。……だったら、弟子入りはしないの?」


「………………断られました」


 たった一言答えるのに、少し時間がかかってしまいました。

 断られた時の悔しさが込み上げてしまったからです。


「どうして?」


「僕の目の色です。『茶色には才能が無い』と……はっきり言われました」


 当時、錬金術の才能の有無は魂の色──ひいては、それを映し出す目の色で分かると言われていました。

 目の色が寒色の場合は物理的錬金術の才能が、暖色の場合は概念的錬金術の才能があり、中間色の場合は両方の才がある恵まれた人。

 更に目の色が明るければ明るいほど、才能に満ち溢れている……とされています。

 逆に黒や茶色の場合は、余程の事がない限りは魂の色が浮かんでこないほどに才能のない凡人と言われていました。

 これだけ聞くと、本当にオカルトじみていますよね。ですが、当時は魂の色を見るための専用道具もあったくらいです。

 それほどまでに魂の色、目の色は錬金術師達から重視されていました。


 さて、ここでもう一つ質問です。僕の目の色は何色に見えますか?

 ああ、今眼鏡を外しますね。……どうぞ。

 そうでしょうね。一見、茶色に見えますよね?

 幾度となく指摘されましたし、弟子入りを断られたのもこれが原因です。

 

 ですが実際のところ、僕の目は『暗い赤紫色』なのですよ。……見えませんよね。

 かなり近くに寄らないとほとんど茶色にしか見えないので、周りからそう誤解され続けてきたという訳です。

 その上、僕はこの妙ではっきりしない目の色を嫌うばかりに、わざわざ伊達眼鏡をかけてまで隠していました。

 ……ああ、流石に今は本物ですよ? 本物の老眼鏡です。

 ともかく、そんな事をするほどにあの頃の僕は目の色も、自分も大嫌いでした。


「……ごめんなさい。流石に聞くべきではなかったかしら」


「いえ、お気になさらず。……『才能が無い』と言われた時……一度は『きっぱりと諦めよう』って思ったんです」


 今でこそただの思い出として普通に語れますが、当時の僕は限界まで涙を流すまいと俯いて堪えていました。


「それなのに、まだ縋りついている。不可能だと理解しているはずなのに、この夢を捨てられないんです。……駄目ですよね、僕。はは、本当にどうしようも──」


 自嘲する僕に、白咲さんはぽつりと「そうかしら」と返しました。

 予想外の言葉に顔を上げると、彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめて言いました。


「貴方の夢は、貴方だけの物でしょうに。確かに『才能が無い』と否定されただけで諦めがついてしまうような夢なら、無い方が幸せなのかもしれないわ。──けれど、貴方は違うのでしょう? なら、諦めるにはまだ早いはずよ」


 それは、僕にとっては天啓に等しい言葉でした。


「少なくとも、私はそう決意して努力し続ける人を知っているし、自分も可能な限りそう在りたいと思ってる。……貴方はどう? 本当に、夢を諦めたいの?」


「……いいえ、諦めたくありません。才能が無くても、僕は……錬金術師に……!」


 眼鏡を外して、零れそうな涙を拭ったその時でした。


「あら? いえ、これは……そのままじっとして。貴方の目の色、よく見せて」


 前触れなくそう言うと、白咲さんはちゃぶ台から身を乗り出しました。

 そして僕の顔に手を添えると、至近距離で目をじっと見つめてきたのです。

 突然の事に僕は焦りながらも、身じろぎ一つできませんでした。

 本当に時が止まったかと思うくらい時間が長く感じられて、実際息は止まっていたかもしれません。

 ……その時に見た彼女の瞳は、眩暈を覚えるほどに綺麗な赤で、思わず魅入られてしまいました。

 ええ。どのような赤も彼女の瞳には劣るでしょう。今でもそう思います。


 見つめ合い始めて、一分経った辺り──体感としては永遠のようでした──で、「分かったわ」と白咲さんは佇まいを直し、どこか優しげに僕に告げました。


「貴方の目は茶色じゃない。葡萄色えびいろよ」


「葡萄色……ですか?」


「ええ。海の海老じゃなくて、山葡萄の方。どちらかと言えば、暖色に近いかしら。どちらにせよ、紫で違いはないでしょうし、もしかしたら物理的錬金術の才能もあるかもしれないわね。視魂鏡しこんきょうなら、どちらが向いているか確実に分かるはずよ」


「……って、事、は……」


「──ええ。おめでとう、春成君。貴方には錬金術の才能がある。私が保証するわ」


「……白咲さん……!!」


 その時ほど、嬉しく感じた事はありませんでした。

『才能がある』と認められたのもそうですが、一瞥で切り捨てたりせずに、しっかりと目を見て僕を認めてくれたのが一番嬉しかったのです。


 ……当時の僕は、天涯孤独であったのも相まって、常に心の奥底で疎外感や孤独を感じていましたから。

 そんな卑屈で臆病者だった僕が粉々に砕け、光が差し込んだように思えました。

 喜びのあまり泣き出した僕を軽く慰めると、白咲さんは先に就寝しました。

 ……あれは、彼女なりの優しさだったのでしょうね。


 そのおかげで、僕はみっともない姿をそれ以上晒す事なく、満足するまで泣く事ができたのですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る