1-3 妹と、謎の少女

 失恋した遊星は、生きる希望を失った。

 しかし希望は断たれど、時は止まらず腹も減る。


 遊星ひとりの空腹なら我慢もできるが、妹の千斗星ちとせはそうもいかない。


「おにいぃ~、お腹空いた~~! ごはん~~~!」


 千斗星が強引に布団をひっぺがえし、カーテンを全開にする。


「……やめろ、僕にはこの世界は眩しすぎる」

「わけわかんないこと言ってないで、メシ作れ!」

「まだ食パンが残ってただろ」

「飽きた」

「贅沢いうな」


 仕方なく体を起こすと、腕組みした千斗星がこちらを見下ろしていた。


 千斗星は一歳下の十五歳、今年から高校一年生である。


 遊星とは別の高校だ。

 なんでも去年テニスの全国大会で好成績を収めたらしく、強豪校から声がかかり推薦入学を果たしている。運動オンチの遊星とは大違いだ。


 その妹とは現在、二人暮らし。

 両親は出張で帰らない日も多く、千斗星が高校に上がるタイミングで別にマンションを借りることにしたらしい。


 千斗星はテニスで普段から帰りが遅いので、遊星が主に家事を担当していた。


「ということで出来たぞ」

「うぉー! ハムエッーグ!! サーモンサラーダ!!!」

「落ち着いて食べろ、のどにつまらすぞ」


 バカ騒ぎする千斗星を見て、思わず頬がゆるんでしまう。

 すると千斗星もそれに気付いたのか、ためらいがちに聞き返してくる。


「すこしは元気になった?」

「……おかげさまで」

「まったく。お兄が泣きながら帰ってきた時はびっくりしたよー」


 十五回目の失恋を迎えてから一週間、遊星は家事のすべてを放り出して泣き崩れていた。

 兄が失恋をくり返してることは千斗星も知っていたが、いつもと違う様子にただ事ではないと気付いたらしい。


 そのため千斗星にはしばらく迷惑をかけてしまった。

 家事を放棄したこともそうだが……情けなくも失恋の愚痴まで聞いてもらった。


 だが千斗星は情けない兄をバカにすることなく、親身になって話を聞いて怒ってくれた。


「自分のためにカッコよくなってくれたのに、好きにならないなんて頭おかしいよ!」

「あんな高飛車タカビーな女、さっさと忘れちゃえ!」


 そうやって胸の内に溜まった泥を吐き出し、なんとか現実復帰するまでに至ったのだった。


「ま、お兄としては残念かもだけど。千斗星は会長をあきらめてくれて良かったと思ってるよ」

「千斗星は会長のこと嫌いだったもんな」

「嫌いっていうか、お兄が家でも会長の話ばかりするから。興味のない千斗星の身にもなってよね?」

「そ、その節は申し訳ございませんでした」

「お兄には高嶺の花なんて似合わないって。好きになるなら千斗星みたいな、カワイイ年下のコにしておきなさい!」

「千斗星がカワイイかどうかは別として、年下のコかぁ……」


 ずっと桐子以外の女子を恋愛対象として見てこなかったので、年下と言われてもピンとこない。


「……って、さすがにまだ次の恋愛なんて考えられないかな」

「そっかー」


 千斗星は急に表情を消し、考え込む仕草を見せるとスマホになにかを打ち込み始める。


「食事中にスマホ触るなー、行儀悪いぞー?」

「はーい」


 言いながらもスマホを手離さない千斗星に苦笑する。

 思えば千斗星とのんびりした時間を過ごすのも久しぶりだ。


 千斗星も入学式まではヒマなのか、最近はずっと家でゲームばかりしている。

 だが学校が始まればテニス中心の生活が始まるだろう、千斗星と一緒にいられるのはこの春休みくらいかもしれない。


 だったら千斗星と過ごす春休みも、悪くないかもしれない。


「千斗星、最近なんか面白いゲームある?」

「最近、マリカーに新しいステージが増えたから今はそれやってる。お兄もやる?」

「……やってみようかな」

「ホント!?」


 千斗星が目を輝かせる。

 期待せずに言ってみたら、思わぬ反応をもらえた。そのことがよほど嬉しかったのだろう。


「じゃあ朝ごはん食べたら千斗星の部屋に来て! オススメのキャラ教えてあげる!」

「まずは皿洗いして、洗濯物を干してからな」

「千斗星も手伝う!」

「頼むわ」


 こうして遊星は春休みの残りを、千斗星とゲームをして過ごすことにした。


 生徒会も辞めたので、これからヒマな時間も増えるだろう。

 春休みが終われば学年も上がり、クラス替えだってある。


 新しい出会いや、友達だって出来るだろう。

 だったらその時までにメンタルを回復させ、少しでも元気な自分で登校したい。


 その時、千斗星のスマホがピロンと鳴る。

 メッセージでも送り合っていたのか、返ってきたメッセージに表情を明るくする。


「……お兄、そのうちいいことあるよ。千斗星がホショーしてあげる!」


 無責任だなあと思いながらも、遊星は千斗星の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。



***



 ついに始業式を迎えた。

 だが久しぶりに登校した遊星を待ち受けていたのは……腫れ物を扱うような周囲の視線だった。


 遊星は有名人だ。

 どうやら春休みのあいだに「ミスター失恋が、ガチ失恋」とのウワサは、全校生徒に広まっていたらしい。


 新しいクラスにも知り合いはいた。

 だが遊星の暗い表情を見て、あいさつ以上の会話はしてこなかった。


 遊星も春休みで持ち直したつもりだった。

 だが片思いをしながら過ごしたこの一年、学校のいたる所に桐子との思い出が残っていた。


 そんな思い出に触れるたび、遊星の気持ちはどんどん落ち込んでいった。

 新クラスのホームルームが終わると、遊星は逃げるように教室を出た。


 いつまでもクラスに留まれば、桐子や生徒会役員が訪ねてくるかもしれない。

 生徒会を無責任に辞めたことを糾弾し、連絡を無視し続けたことをなじられるかもしれない。


 いずれ向き合わなければいけないとはいえ、まだその心構えはできていなかった。


 早歩きで昇降口を抜け、校門に差し掛かる。

 だが遊星の足音とは別に、後ろから駆け足が聞こえてきた。


(誰か、追ってきた!?)


 つい走って逃げ出したい気持ちに駆られる。

 が、遊星を追ってきたのであれば逃げても仕方ない。


 学校に通い続ける以上、いつか顔を合わせることになるのだから。

 遊星にできることは、この駆け足が通り過ぎていくことを祈るだけ。


 だが、その目論見もくろみはたやすく崩れ去った。


「天ノ川、先輩ですよねっ!?」


(…………先輩?)


 聞き慣れない先輩という響きに、遊星はつい足を止めてしまう。

 そして振り返った先に立っていたのは、息を切らせた小柄な少女だった。


 毛先にクセのある黒のショートカットに、内気な印象を思わせる長めの前髪。

 その前髪からのぞく丸い瞳と目が合うと、少女は恥じらった表情でうつむいてしまう。


 新品のバッグに垂れるアジサイのキーホルダーに、着られてる感の拭えない大きめのブレザー。その襟についた学年章は、緑の「Ⅰ」


 緑は卒業した三年生が付けてた色だ、つまりこの少女は新一年生。


 あいにくと顔立ちに見覚えはまったくない。だが――


(このコ、すごくかわいいな……)


 遊星の近くには比較的、気が強かったり根の明るい女子が多い。

 だが目の前の少女は守ってあげたい、そんな庇護ひごよくをかき立てられるタイプの女の子だった。


「……天ノ川先輩で、あってますよね?」

「あっ、うん。僕が天ノ川だけど」


 思わず少女に見惚れてしまい、返事ができていなかった。

 後輩ちゃん(仮)は遊星を知ってるようだが、面識があるようには思えなかった。


 とりあえず少女が話し出すのを待っていると、なぜか謝られた。


「ご、ごめんなさいっ! 急に呼び止めたりしてっ、気持ち悪いですよね!?」

「別に気持ち悪くはないけど……」


 遊星が言いかけたところで、少女の額から一筋の汗が垂れてくる。


 先ほど駆け足で追ってきたせいだろう。

 すると自分が汗をかいてることに気付いた少女は、顔を真っ赤にして大慌て。


「ああっ!? 私ったら先輩の前で汗なんてかいてっ、気持ち悪くて本当にごめんなさいっ!」

「す、すこし落ち着こう!?」


 このままでは会話も成り立たない。

 そう思って少女をなだめようとしていると、近くからヒソヒソと話し声が聞こえてくる。


「……ねえ、なにあれ?」

「あいつってミスター失恋だろ。なんで女の子に頭下げさせてるんだ?」

「まさか会長にフラれた腹いせに、無垢な少女にやつあたりを!?」


 遊星たちが立っているのは校門前。

 こんなところで話してれば、下校する生徒全員に見られてしまう。


「き、君っ! ここは目立つから、とりあえず場所変えない!?」

「え? きゃっ!」


 遊星は少女の手を取り、ひと気のない体育館裏へと連れて行った。

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