倀鬼の玉座

木古おうみ

 天穹てんきゅう二十九年、巫蠱ふこ事作おくる。

 帝、離宮に使者を送らしめ、巫蠱の獄を治めしむ。使者、宮を掘って云う、木人を得ることもっとも多し、と。

 帝、詔して三輔の兵を発す。文虎ぶんこげて湖に至り、死す。その骸、漆身して炭の如し。

 兄・昴龍こう、之を憐れみ、帰来望思の台を湖に作り、御霊を慰むる。民聞いて大いに悲しみ、泣血漣如のこと限りなし。



 ***



 そこにいるか。


 閨は暗い。燭台に火があろうと、おれの目には闇と同じだ。耳も随分と衰えた。もっと近くに来てくれ。

 寝台に入らずともよい。その椅子に……。



 お前を後宮に召し上げたのは愛妃としてではない。周りはそう思っているようだが。

 さりとて、己は今まで賢臣のみを重用して政を行い、貧しき民の飢えと病を慰め、国を良く収めた。

 皆己を名君だと言う。

 最期に一度、孫ほどの女官を愛妃にしようと咎める者もいないだろう。


 己がお前を側に置くのは、目が弟に似ていたからだ。馬桶洗いの仕事をするお前を見て、そう思った。

 弟も奴婢のような仕事を自ずから行ったものだ。


 己が弟の話をするのは意外だったか。

 そうだろうな、後宮で噂は耳にしているだろう。

 お前も訝しんだか。己は一体誰なのだろうと。


 確かに俺はこの国の天子だ。それを疑う者はない。

 昴龍こうりゅう、字は永生えいせい。お前が疑っているのはそちらの方だな。まことしやかに囁かれている、「帝は本当は昴龍ではなく、弟の文虎ではないか」と。


 何故そう言われるのか、若いお前は知るまい。

 話してやろう。そのためにお前を呼んだのだ。息子にも妻にも話せなかった。

 己が誰なのか、最期に聞いてくれ。このままでは己は亡霊だ。



 我が世は初めから呪われていた。

 己と文虎ぶんこは真夜中に生まれ、その上、双子だったのだから。


 古来より双子は凶兆だ。

 遠き異朝では、双子が生まれたときは弟をすぐ殺し、厠の土に埋めることもあるらしい。

 だが、我が国は違う。いや、厠の土の方が幾分かましか。


 お前も巫蠱こどくを知っているだろう。

 五月五日に百種の虫を集め、壷中に置き、互いに喰らわせ、最後の一種に残ったものをもってひとを殺す。

 四百年続く我が国はそうして、奸賊や逆徒を殺し、保たれてきたのだ。


 皇子が双子で生まれたときは、兄を皇太子として、弟をこれから起こる禍の身代わりとして、呪術を収める巫者として育てるのだ。



 それ故、兄の昴龍は幼い頃から馬術に武術、詩歌から文に至るまで、絢爛たる宮で数多の師をつけ、王に至る道を整えられた。


 弟の文虎の友は蟇に蛇、虱のみだった。

 かつて刑場とされた最果ての離宮に留め置かれ、呪術のみを教えられた。


 だが、その性は正反対だった。



 兄の昴龍は心根が冷たく、決して笑わず、些細な咎を犯した奴婢を決して許さなかった。

 対して、弟の文虎は光射さぬ離宮に住みながら、常に太陽の如き笑みを浮かべる聖人だった。


 宮廷の皆は、兄と弟が逆ならどれほどよかったかと囁いた。



 あるとき、ひとりの侍女がさる貴妃に毒を盛ろうとしたとして、酷吏に囚われた。

 侍女は給仕の際に杯を取り違えただけだと泣きながら弁解した。


 昴龍は「疑わしきは罰せよ」と告げたのみだった。

 侍女の首が斬られる寸前、離宮から文虎が駆けてきた。

 彼は地に額づき、侍女に代わって懇願した。

「兄上、どうかご容赦を。咎なき者を罰することは王道に背きます。兄上の道を血で穢してはなりません」と。


 曲がりなりにも第二皇子が、髪を振り乱して裸足で懇願したのだ。聞き入れぬ訳にはいかん。

 昴龍が剣を収めると、文虎は何度も額を地につけて礼を言った。



 その夜、昴龍は弟を呼びつけ、「何故女官を救ったのか」と聞いた。文虎は月のない夜に太陽の如き笑みを見せて答えた。

「私の生は常に暗く冷たい死と共にあります。それ故に、私は明るく温かい善なるものを信じたいのです」と。



 だが、その二月後、さる貴妃は毒殺された。

 下手人はあの女官だった。

 貴妃を殺した女官はその日に逃げ、行方は知れなかった。


 昴龍はまた文虎を呼び寄せた。

「お前のせいで貴妃は死んだ。お前は暗く冷たき死を呼び寄せただけではないか」

 文虎は震えながら落涙した。

「どう責を負えばいいか……」

 兄は跪く弟に歩み寄り、肩に手を置いた。初めて兄弟の触れ合いだった。

「お前の巫蠱であの毒婦を殺すのだ」

 文虎の顔はいっそう青ざめた。



 三日後、女官の死体が湖に上がった。

 水中にありながら、亡骸は黒く焦げつき、火に焼かれたようだった。


 昴龍は弟の呪術の腕を恐れたが、それ以上に、己の指先でそれを使える愉悦を感じた。

 文虎に褒美を取らせたのもそのためだ。


「此度は大義であった。お前の望みを何でもひとつ叶えよう」

 自ら救った女を殺した男の顔を見ようと、昴龍は弟ににじり寄った。かえったのはいつもの笑みだった。

「祭りを、見とうございます」

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