第2話 【仕事】

夜の蝶には毒がある。

「孤蝶花魁。今日は......」 やり手さんがためらいがちに孤蝶の部屋に入ってきた。孤蝶は丁度、火縄銃の手入れをしていた。


「なんですか?」

「今日は、この方だよ。お迎えにいっておやり」

そして紙に書かれた名前を孤蝶に見せる。

「ああ、南の旦那様ですね」

孤蝶はそう言うと表情を崩さず、銃をしまい、禿を何人か呼び寄せ、衣装の準備をさせはじめた。

「南の旦那様はいつも強引でわっちは嫌いです!」

元気のよい禿の一人がそう言いながら、孤蝶の簪を机の上に並べる。

「こら、お客の悪口を言うんじゃないよ」

やり手がそう叱ると、禿は黙ったが、孤蝶の方を伺うようにみた。孤蝶の表情はいつもと変わらない。

「孤蝶花魁......」

「なに? ほら準備をして」

孤蝶はそう冷たく言うばかりだった。



「揚羽屋の花魁道中や」

「ほんま、揚羽屋の花魁は妖しゅうほどに美しくて」

「一夜がまるで夢のように終わるんだとさ」

「ほら、通るぞ」

しゃらん、しゃらん。 遊女や禿、そして中央をあるく孤蝶の髪についた飾りが煌めくような音を立てる。 孤蝶花魁は普段の無表情の様子とは違い、妖艶にほほ笑んでいる。 真っ赤な口紅や、豪華絢爛な着物姿。髪に何本もの簪を付けて、花魁らしく高嶺の花というような雰囲気を漂わせている。 客がいる茶屋に着くと、南の旦那こと、税を管理する官吏の中年の男が待っていた。

「孤蝶や」

と言いながら、孤蝶の手を触ろうとする。孤蝶はふっとまるで蝶が網から逃げるように、

しかしもったいぶるような様子も残しつそれをよける。

「そんなにつれなくせんでくれや。ほら、今日は珍しい髪飾りを持ってきたぞ」

「ありがたいことでございます」


そして、夜には半分押し切られるような形で、床にはいる。 「ほおら、悦がれ」

そう言って、乱雑に自分の欲望の赴くままに動かす男に孤蝶は合わせるふりをして、感じ ているふりをする。


達したのを確認してから孤蝶は息を整えているふりをして、男に聞く。

「ねえ、旦那様。おんなじことを奥様にもしているの?」

「なあに、あいつはもう女とは呼べないわ。それにお前にはかなわんが他の女を妾にしたか らな」

「妾の方はどんな方ですか? 私よりも美しいの?」

そういじらしく言うと、男はにやにやと気味の悪い笑みを見せる。

「そんなわけないだろうお前ほど心地よくないし、あいつはあれなんだ。ほら、大きい声で は言えないが、実はまだ結婚してなくてな、兄嫁なんだ」

それを誇るような口調で言う男に一瞬だが孤蝶は冷めた目をする。しかし、次の瞬間はや きもちを焼く少女のような表情に様変わりしていた。

「お悪いことをなさっていますのね」

「そうかもしれんが、兄はもう病気で長くないしな。でもお前が機嫌を損ねるならもう会わないよ」

「私は別にそんなことに口出しできませんけど......ほら、お水をどうぞ」

「ああ」

そして、孤蝶はゆっくりとほほ笑む。

「それでは続きでもいたしますか?」

男はそそられた顔をして、孤蝶を床に押し倒す。しかし、次の瞬間男は眠りについていた。

「さて、こんなものか。さようなら。旦那様」

孤蝶はそう男の耳元でささやくと、部屋を出る。

「花魁。お客様は......」

「お客様なら少々疲れていたようでお眠りになられています。わっちは風呂に入っておく から、お客様が起きたら教えておくれ」

「はい。花魁」

禿が行儀よく礼をしたのを見てから、孤蝶は風呂に向かう。

「花魁。花魁、お客様が起きられました」

「そう。では、蝶の道にご案内して」

「はい」

下では少し騒がしいような音がする。

「もう朝か? 暗いようだが」

「そりゃあ、旦那様。まだ冬ですから」

「そうか。そいで、孤蝶は?」

「ああ、孤蝶はちょいと、旦那様の刺激に籠絡されてしまったようで、休んでますの。次来られるときはもっとよい接待ができるようしつけておきますんで」

「そうか、そうか。ではまた来る」

「はい」


孤蝶はゆっくりと火縄銃の準備をしていた。そして、チリンチリンと裏口の戸につけられ

た鈴の音が響く。

孤蝶は窓から身を乗り出して、狙いを定める。 ガラガラと他の店の客がわらわらと出てくる。騒がしい。 男は何故自分が行きとは違う、狭い道を歩いているかわからないまま、歩いていた。


そして、誰にも見えずに男は死んだ。 誰にも銃声は聞こえなかった。あまりにも騒がしい朝の喧騒が非情な死のため息を搔き消した。

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