敗者の刻印(2)

 二人が歩いたものと同じ通路を駆けてきたのは、すらりとした体躯の女だった。視界の端に映った彼女の髪は意外にも短く、デュレイはよそ見をしそうになったが、その一瞬は剣を払ってきたフェルティアードの動きに向けられる。力の強さには自信のある腕に痺れが走った。


「立会人不在での決闘が禁止されているのは、けいもご存知でしょう」

「いいところへ来たな、ティエナ」


 会話をするためか、デュレイから目を離さないままフェルティアードは手を止めた。その隙に、ティエナと呼ばれた女性をちらりと確認する。草木の生い茂った川辺を思わせる色合いのドレスは、美しいと思ったが飾り気はなかった。瞳は大貴族を前にしているというのに動じず、腰が引けている様子はない。それどころか、この試合を今にも止めようとせんばかりに、置いていたを詰めようとさえしていた。


 このひとは何者だろう。フェルティアード卿も見知った人物らしいけれど。自分より幾分か年上に見える彼女は、フェルティアードの台詞に眉をしかめ、割り入れようとしていた腕を泳がせた。


「おまえがこの決闘の立会人になれ。おまえがここに来た時に始まったのだからな」


 フェルティアードの両目がティエナを捉える。ティエナは困惑したように、


「な、何をおっしゃるのです。わたくしが声をかけた時には、お二人とももう剣を……」


 最後まで聞かず、闘いを再開させたのはフェルティアードだった。構えを解いていなかったデュレイは攻撃を受け止め、だが少し後ずさる。

 ティエナはそれ以上言うのは諦めたらしい。邪魔にならないようにと気を遣ったのか、数歩後ろに下がった。大貴族と青年を見守りつつ、時折裏口や窓のほうを見ているのは、人目を気にしてのことだろう。


 デュレイといえば、このままではかすり傷の一つもつけられないだろう、と観念し始めてもいた。途中で気を抜いて、やすやすと剣を奪われるつもりもないが、こちらの突きはかわされ、あるいは止められてばかりだ。


 長期戦になれば、不利になるのは確実におれだ。戦争をくぐり抜けたであろう彼と自分とでは、剣の腕はもちろん戦いの慣れも桁違いだろう。次第に息が上がってきたデュレイに対し、フェルティアードは表情一つ変えていない。


 体力には自信はあったが、そこにこんなにも緊張感がのしかかったことはなかった。右腕が重くなっていく。突いた剣先に速さはなく、それは簡単に弾かれ胸の前が空になる。


(まずい)


 とっさに身をよじり、予想通り真っ直ぐ向かってきた追撃をかわす。反動で勢いをつけたはずの反撃は、気持ち悪いほどにゆったりとしていた。


「……っ!」


 大貴族の剣が、青年の喉を刺し貫いた。そう見えてしまったのだろう、ティエナの口から声になりきらない音が漏れた。その口元をふさごうとしていたらしい両手は、彼女の持つ気丈さに負けたか、胸の上で留まっている。


 実際には、フェルティアードの剣はデュレイの首に傷こそつけたが、薄皮一枚程度のものだった。しかし少しでも動けば、不用意に傷を深くしてしまう。フェルティアードの冷たいままの目を凝視していると、ぴりぴりとした痛みが少しずつ広がっていった。


「勝敗はついたぞ、フロヴァンス」


 フェルティアードは得物を首から離すと、その先端をデュレイの鼻先に突き付けた。デュレイは一旦目を伏せ、己の意見を口にする。


「いいえ。これでは、他人の目にはどちらが勝者か判断がつきません。真の決闘であれば、敗者には敗者たる証が必要でしょう」


 負けた者には、勝者により刀傷という烙印が刻まれる。すぐにその行動に移らなかったところを見ると、フェルティアードはやはり形だけの決闘と位置づけていたらしい。


「そこまでこだわるつもりか、おまえは」

「はい」


 フェルティアードにぶつけぬよう、デュレイは右腕を下げると剣を逆手に持ち替え、鞘に納めた。両腕をだらりと下げ、戦意のないことを示す。


「潔い男だな。よかろう、おまえの望み通りにしてやる」

「お待ちください、フェルティアード卿!」


 ティエナが割り込んできたのは、フェルティアードが剣を引いた瞬間だった。


「この決闘、私は内密とする所存でございます。しかしそれ以上手をお出しになるならば、陛下にこのことをご報告して頂かなければなりません」


 毅然とした口調に、懇願するような音色がにじむ。


「敵兵と戦うことはないといえど、あなた様は戦地に行かれる身なのですよ。どうか、今一度お考え直しを」


 敗者に対し手傷を負わせなければ、決闘をなかったことにもできる。だが決闘沙汰を起こすのは、白黒はっきりさせなければ満足しない者が多い。よって彼女の進言は、ほとんど意味を成さなかった。


「ティエナ。おまえはこの男の申し出を踏みにじれというのか? 負けを恥じて背を向けず、自ら敗者たる証を求める勇気を」


 勇気か。デュレイは心の中で苦笑した。おれには“無謀”としか聞こえなかったな。


「で、ですが」


 なお続けようとするティエナを遮るように、フェルティアードは剣を左手に移し、空いた右手で彼女の肩をそっと押しやった。手が下ろされると、その後を追ってデュレイの前で刃が踊った。


「フェルティアード卿!」


 悲鳴にも似た声が聴覚を刺激する。それと一緒に、左腕を鋭い痛みが走った。思わずもう片方の手で押さえ込むが、疼くのは一ヶ所ではない。見れば、服は二の腕の中ほどから皮手袋のふちまで切り裂かれ、その合間からは鮮血を流す肌が見えた。


 血を見るのが怖いわけではなかった。今目の当たりにしている光景が、自分自身に起きているものだと思いたくない節があったのだ。だが、脈打つ鈍痛の大元は、確かにこの裂傷である。


「いけません、そんな汚れた手で触れては」


 奥歯を食いしばるのと共に、手にも力を込めていた。先の仕事で黒ずんでいた手袋に気付いたらしいティエナが、草に膝をつき右手をどけさせる。傷口に目立った汚れが付着していないのを確認すると、彼女は息をつき、体を支えるように、立ち上がりながらデュレイの右肩に手を添えた。


 ――女の人にしては、結構背の高い人なんだな。それに、大貴族相手にこんな話し方ができるなんて。


 ずいぶんとどうでもいいことを考えている、と思っていた。しかし、こうでもして気を紛らわさないと、すぐにあの痛みが強くなってくる。腕を曲げることも叶わないので、手袋を取って素手を押し当てもできなかった。


「……では、フェルティアード卿。私は彼を医務室まで送り届けます。そののちに、私とご同行願いたい。よろしいですね」

「ああ、構わん」


 機械的なフェルティアードの返答に、デュレイは傍らの女性が、決闘の経緯を何一つ知らないことに気付いた。

 立会人とは、負けた側の言い分を伝えるための存在だ。無理やりも同然だったが、立会人になってくれた彼女には、自分が決闘を願い出たことを言っておかなければ。


「あの、ティエナ……様」


 どう声をかけていいかわからず、デュレイはおそるおそる彼女の名前を口にした。初対面で、しかもどう解釈しても自分より上の身分の人に対し、姓でなく名を呼ぶのは抵抗があったのだ。

 ティエナはそんなデュレイに煩わしげな目を向けることもなく、むしろいたわるように碧眼を覗いた。


「どうしました」

「その、立会人を拒んだのは私なのです。フェルティアード卿は日時を改めるよう言ってくれたのですが」


 するとティエナは厳しい顔つきになり、


「決闘については、あとで詳しく話を聞きます。今は傷の手当てをすることを一番に考えなさい」

 まるで母親が子どもに言いつけてるみたいだ。命令というには一歩届かない言い草は、デュレイにそんな印象を与えた。


「失礼致します、フェルティアード卿。医務室にてお待ちしております」


 素早く頭を下げ、ティエナはデュレイの肩を抱いたまま、早足で王宮への戸口に向かった。その場に佇んでいたフェルティアードがどこへ行こうとしていたのかは、デュレイには見えなかった。

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