対面(2)

 部屋の貴族は、それに対しまた何か言ったようだったが、廊下に待機させられていたゼルには、声はおろか姿さえ見えない。扉は細くしか開いていないうえ、女性の体がそのわずかな視界を遮っていたからだ。しかしそれもわずかなあいだで、女性が内側から扉を開け広げてきた。漏れた光の上を歩くように、先頭にいた者から順に中へ入って行く。


 顔が見えるよう、一列に並んだ同期の横につきながら、ゼルは部屋の主をやっと見ることができた。子供用の寝台かとも思える広い机と、背後にある眩しいまでの光を放つ窓。その狭間で立ち上がった男こそ、大貴族と称されるフェルティアードその人だった。


 ゼルよりも長い漆黒の髪は、貴族らしく肩まで伸びていた。試験の部屋で会った貴族に比べるとうねりも目立ち、手入れを怠っていない、という印象には遠い。大貴族も案外そういうものなのか、と力を抜こうとした肩が硬直した。


 逆光のせいで読み取れなかった顔の奥で、金色の目がこちらを見ていた。樹液が固まったものを宝飾品として売っているのを見たことがあったが、あの石そのものみたいだ、とゼルは思った。

 そんなことを思い出しながらも、目が合った時の射抜かれるような感覚は、未だゼルの心臓を騒がせていた。まるで獣に狙いを定められたようだ。


 ゼルに続いて隣に並んだエリオも含め、フェルティアードは目だけを動かし、新兵を一瞥した。その表情は固い、という程度では済まなかった。不機嫌そうにつり上げられた眉に、鉄扉の如く引き結ばれた唇。歓迎などとは程遠い態度である。


 彼の口髭は刈り揃えられ、顎鬚のほうは、髪に隠れた耳の辺りまで顔を縁取っているように見えた。年の頃は四十半ばだろうか。一見して粗野とも取れなくない風貌は、すっと伸びた背と、何事も隠し通せなさそうなその目で、打ち消されているようであった。


「わたしのところへ寄越されるとは、きみ達も不運だな」


 第一声がそれだった。試験場の貴族に似た、低く落ち着いた声だったが、街中まちなかでこんな声が聞こえたら、ついその主を見つけたくなりそうな、不思議と惹きつけられる響きがある。しかし今の言葉には、かすかに嘲りの色が見えた。


「わたしは他の者ほど暇ではない。よって、きみ達に直接何らかの指導を行うことはまず不可能だ。そこは了承して頂こう」


 ゼルは、開口一番の台詞にこそわずかな怒りを覚えたが、二言目の内容には納得した。二年間の師とはいえ、何から何まで一人の貴族に教わるわけではない。ここが特異なだけで、普通ならこの倍では済まない数の兵を、貴族は受け持っているのだ。剣の指導や軍の基本は、その貴族の騎士、あるいは幹部兵が行うことがほとんどなのだ。


「心得ております」


 発言したのは、先頭近くにいたため、列の端に並んだ青年だった。ゼルが少しだけ身を乗り出して見ると、短い黒髪の下に、きっと締まった表情があった。凛とした声色は、大貴族という身分に対して遜色のないものだったろう。


「お喋りなやつだな」


 しかしながら、フェルティアードはそれをにべもなく一蹴した。

 返された青年は羞恥からか、赤くした顔を隠すように伏せた。そんな彼を気にした風もなしに、フェルティアードは机の前に回り込んできた。暗い青色の外套が斜光のせいで明るく見え、それを留める金色の金具には、深すぎる森を彷彿とさせる深緑の宝石が灯っていた。


「意気込みを語る自己紹介は結構。名前だけ順に言ってもらおう」


 机を滑った手が、一枚の薄い紙を取った。光に透けて反転した文面には、短い文字列が箇条書きになっている。どうやら、彼に渡されていた新兵の名簿らしかった。

 出身地を含めた形式で、順に新兵が名乗りを上げていく。二人目が、先ほどの気の毒な青年だった。彼らに続いた兵も、ほとんどがベレンズ出身の人間だ。やっぱりこれだけ巨大な街だからか、と聞いているうち、あっという間にゼルの番になった。


 ゼルが同様に己の名前を口にすると、名乗る度に一人一人の顔を見ていた目が、ゼルの前で細められた。あの威圧のある視線が、今度は自分だけに向けられている。


「ウェール? 聞かん地名だな」

「ここから東の方にあります、小さい村です」


 そうか、と呟いて次を促した大貴族に、ゼルは安堵の息をついた。いつの間にこんなに空気を溜めていたのか、自分でも驚いてしまう。最後のエリオの口が閉じると、フェルティアードは薄紙を戻し、言った。


「早速だが、これより国王陛下に謁見する。今期兵の代表として、陛下と国に対し尽力することを誓うものだ。ベレンズの者なら知っているな」


 頷けなかったのは、ゼルとエリオを含む、地方から来たわずかな人数の新兵だけだった。ゼルなどは瞬きすらできていない。そんな彼に、フェルティアードが気付かないはずがなかった。


「どうした、ル・ウェール。陛下にお目通りするのが不服かね」


 明らかに問いかけの口調に、ゼルはなんとか答えを絞り出した。


「いえ、とんでもないです」


 もう少し丁寧なほうがよかったか。しかし早く返答しなければ、という焦りから早口になっていた言葉は、すでに口から出ていった後だった。


 それにしても、まさか国王にお会いすることになるとは思わなかった。兵全員が国王に会うことは、数の多さからして難しいため、一人の貴族の指導下にある新兵が代議するのはわかる。それが大貴族なのも、腑に落ちないところなどない。そんな立場にいるというのが、ゼルにとっては自分にそぐわない気がして仕方がなかった。


「ならば、くれぐれも陛下の御前みまえでそのような醜態を晒すな」


 当たり前だ。ゼルは口にこそしなかったが、顔つきはやや険しくなっていた。突然国王に会う、なんて言われたから驚いただけで、事前に説明されるなら心の準備はできる。


「もちろん、そんな真似は致しません」


 黙っていようとしたのに、一瞬だったがゼルを支配した感情は、いらぬことまで口走らせていた。しまった、と我に返ったと同時に、複数の視線が自分に集中したのを感じる。ここでまた顔に出したら、さらに何か言われてしまう。それだけは避けようと、ゼルはぐっと口をつぐんだ。


 これが功を奏したのかはわからないが、フェルティアードが追い討ちをかけることはなかった。一息つくもない、ほんのわずかなあいだだけ、柔らかくもない視線が寄越されただけだった。


「よかろう。その言葉を偽る行動はしないことだな」


 言い終わるやいなや、彼はゼル達が入ってきた扉へと歩き出した。エリオの脇を通り過ぎると、ついて来い、という抑揚のない声がかけられた。

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