第8話 婚礼など認めん!


「そこのおまえ。さっきから、ずいぶんと睨みつけてくれるじゃないか」


 自分では気づかなかったが、どうやら感情が表に出てしまっていたようだ。

 もう脳内じゃなく直にぶちのめしてやりたい。

 俺もよく我慢したよな、うん。


「タロウ、我慢だ。頭を下げておけ。ここで揉め事を起こして、一番困るのは姫なんだぞ」


 ひそひそと声を抑えて、シュガーが俺に耳打ちしてきた。

 レイナックに目を向けると、彼女が不安そうな顔で俺を見ていた。


 暴れて目の前の雑魚を消し去るのは簡単だが、争いごとが苦手で心優しいレイナックに惨劇を見せるわけにもいかないか。


 それにレイナックはおそらく、父の期待に応えたいと考えているはずだ。

 王族から邪魔者扱いされているがゆえに、家族から必要とされることは彼女にとって最重要事項になっているに違いない。

 第二王女のパシリでさえ喜んで引き受けていることからも、それが伝わってくる。

 やっかいな呪いだな。


 直接ぶちのめす方法は、やはり彼女を悲しませるだけか。

 レイナックにも気づかれないよう、裏で上手くやるのが最善だろう。

 この場は仕方あるまい。


「申し訳ありません。目つきの悪さは生まれつきでして。なにとぞご容赦ください」


 ベスケットに頭を下げ、謝罪する。

 こんな姿を魔王城の部下たちに見られたら、暴動が起きそうだな。

 特に過保護なヴァディーゲあたりが知った日には、人間の国一つ滅ぼしかねないぞ。


 そんな裏事情など知る由もないベスケットは、何を思ったのか怒りの表情を解いてニヤニヤしだした。


「まあ、いいだろう。確かに先ほどは少々言い過ぎた。俺様の妃になる女だ。仲良くしないとなあ」


 そう言うとベスケットは嫌らしい笑みを俺に向けたまま、レイナックの腰に腕を回して抱き寄せた。


「あ、あの……。ベスケット様?」

「どうした? 恥ずかしがらずに、俺たちが仲良しだってことを見てもらおうじゃないか。なあ、姫よ」


 見下した目を俺に向けている。

 いや、それよりもこいつ。

 まさか俺のレイナックに対する気持ちに感づいて、見せつける気か?


 あたふたと困惑するレイナックに顔を向け、ベスケットが彼女の唇を奪おうとした。

 その瞬間、体が勝手に動いていた。


 間一髪、ベスケットと姫の顔の間に、俺の手を割り込ませる。

 ベスケットの口が、俺の手のひらに吸い付いた。


「うわ! キモ!」


 俺はついつい本音を叫びながら、ベスケットの口が引っ付いた手をブンブン振って、手に残っている感触を払った。

 くそ、気持ち悪いなホント。

 ベスケットも「ぶべっ」とか言ってるし。


「ぷっ!」


 シャインという女がその様子を見て噴き出していた。

 いや、笑い事じゃねぇっての。


 レイナックの純潔が守られたのはいいが、俺の手のひらがこいつの唇に奪われてしまったではないか。

 当のベスケットは服の袖で口を拭きながら、こめかみに血管を浮き出させて怒りの表情を俺に向けている。


 こうなったら仕方ない。

 ここはひとつ、姫を守るナイトが古より使うというセリフを放っておこう。


「きさまなんぞに姫は渡さん!」


 決まったな。

 本来なら勇者が使うというカッコいいセリフを、ファルコより先に言ってやったぞ。


「きっさまぁぁぁあああああ! 許さん!」


 予想どおりというか、ベスケットが腰にぶら下げた鞘からレイピアを抜く。


「ベスケット様、やめてください!」

「どけ! 小娘が!」


 レイナックがベスケットの腕にしがみつくも、乱暴に振りほどかれて後方へ倒れる。


 ついにレイナックに手を出したな。

 もはやこれまで。魔王の力を開放するしかあるまい!


 そう思って腕輪に手を伸ばしかけた瞬間、ファルコが俺の背後に回り込んだ。

 そのまま腕をひねられ、床に押し付けられてしまった。


 魔王の姿であれば反応できただろうが、人間の姿の俺は圧倒的にファルコより劣る。

 しかも腕輪を付けている右腕を取り押さえられて、完全にロックされている。

 こうなると、さすがになす術がない。


「こいつの処分はこちらで行います。ベスケット様の剣を下民の血で汚すわけにもいきませぬゆえ」

「いいや、ダメだ! こいつは俺が直々に切り刻んでやる」


 ベスケットは顔を真っ赤にして、レイピアの剣先を俺に向けた。


「やめてください! おねがいします!」


 レイナックが再び、ベスケットの腕にしがみつく。


「離せ! きさま、俺はおまえの主人だぞ! 離せ!」


 激しく腕を振り回して引きはがそうとするベスケットだが、レイナックは執拗に腕にしがみついている。

 見かねてか、シュガーがレイナックとベスケットの間に割って入った。


 そんな一連の様子を楽し気に眺めていたシャインが、半笑いで言った。


「これ以上の揉め事はまずいんじゃないですかあ、ベスケット様。王のいない間に人材の引き抜き、姫に対する辱め。さらに暴れて人を斬り殺したってことになったら、国同士の友好関係が崩れちゃいますよ」

「シャイン、やめろ! ベスケット様に無礼だぞ」

「はいはい」


 ファルコに注意され、シャインは両手を広げてやれやれといった感じで肩をすくめた。


「ちっ! 第三王女なんて安い女をめとってやるんだ! むしろきさまらの王も、俺に拾ってもらえてさぞ喜んでるだろうさ! 兵士の一人や二人斬り捨てた程度で、友好に傷がつくこともあるまい」


 ファルコによって押さえつけられている俺の鼻先に、ベスケットが再びレイピアを向ける。


「くくく……」


 ああ、ダメだな。

 笑いが込み上げてきてしまう。


 姫を侮辱されるほど、この男をどのような目に合わせてくれようかと、楽しみで仕方なくなってしまうのだ。


「何がおかしい」


 床に抑えつけられたままだが、殺気を放って軽く睨みつけてやった。

 やつのほうが優位であるにも関わらず、俺に対してひるんだのが分かる。


 この程度でビビるクズのくせに、よくもレイナックを侮辱してくれたな。

 しかし放った殺気に気づいたらしく、俺はファルコに頭を掴まれて床に叩きつけられた。

 額から流血しているのが感触で分かる。


 人間の姿だから魔族のではなく人間の赤い血が出ているとは思うが、一瞬だけ正体がバレやしないかと心配になった。


「やめて! おねがいです! もうやめてください!」


 レイナックがシュガーに押さえられていた手を振りほどいて、俺のところまで走ってきてくれた。


「おねがい……。もうやめて……お願いします……お願いします……」


 ついにレイナックが泣いてしまった。

 なんで泣いている。


 やはりシュガーの言ったとおりだったのか。

 俺が暴れたことでレイナックを困らせて、悲しませてしまったのか。


 先ほどまでベスケットをどのようにしてくれようかと思っていた気持ちが冷めていき、どうでもよくなってくる。

 とにかく、レイナックが泣き止んでくれることを祈った。


「ふ、ふん! もういい。そいつの処分、しっかりやっておけよ。それより、王と王妃はまだか?」


 興が覚めたとばかりに、ベスケットがレイピアを鞘に納める。


「シャイン。ベスケット様を王のところへ案内してさしあげろ」


 ファルコに促されたシャインは「はいはい」と答え、ベスケットたちを引き連れてこの場を去っていった。

 しばらくして、ファルコがロックしていた俺の腕を開放する。


「タロウさん!」


 床に突っ伏したままの俺に、レイナックが手を差し伸べようとしてきた。

 俺は手のひらを向けて、姫が近づくのを制止する。


「大丈夫です、姫! せっかくのドレスが俺の血で汚れてしまいますので、どうか放っておいてください」


 実際、本当に大した傷ではないし、これ以上レイナックの手を煩わせたくなかった。

 しかしレイナックは怪我をいたわるように、優しく俺の顔を自分の胸に抱き寄せた。


「ごめんなさい、タロウさん……。私のために……。ごめんなさい……」


 震える声で、レイナックは何度も謝り続けた。

 ああ、せっかくのドレスが汚れてしまった。そう思いながらもレイナックの胸の中が心地よくて、思わず身を預けてしまった。


 くそ!

 この暖かくて気持ちいい姫の体を、あんなやつに渡してたまるか!


「姫、こいつの頭は頑丈だから、大丈夫ですよ。な、そうだろタロウ」


 シュガーが俺に向かってそう言った。

 しかしもう少しだけこのまま胸にうずまっていたかったので、思いっきり無視してやった。


「シュガーさん。タロウさんを医務室へ。傷の手当、お願いします」


 レイナックはそう言うと俺から離れて立ち上がり、ベスケットたちが向かっていったほうへと歩き出した。


「姫! あんなやつのところへ嫁ぐなんて、やめてください!」


 そう叫ぶと、レイナックは振り返って俺のところまで戻ってきた。

 そして、俺の手を両手で包むように握った。


「私、嬉しかったです。タロウさんが私をかばってくれて。タロウさんと出会えて本当に良かったって思います。タロウさんから、いっぱい勇気をいただきました!」


 それだけ言うとレイナックは再び背中を向けて、駆け出していってしまった。

 どうやら、本当に覚悟を決めてしまったらしい。


 だが、ベスケットとの婚礼など絶対に認められない。

 必ず、つぶしてみせる。


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