現代の青春はダンジョンとともに

三歩ミチ

1章 夏休み、ダンジョンに潜る。

第1話 夏休み、ダンジョンに潜る。

 夏休み。

 それは日本中の学生にとって、甘美で心浮き立つ響き。ここ聖美学園高等部も例に漏れず、一学期最終日の教室に集う生徒たちは皆浮ついた雰囲気を漂わせていた。1年A組の教室、窓側最前列に座る涼木さらりもそのひとり。視線は教壇に向け話を聞く格好はしているものの、つま先が忙しなく揺れ、気もそぞろな様子が滲み出ていた。


「夏休み明けに、ひと回り成長した君たちと再会できるのを楽しみにしています。では、良い夏をお過ごしください。さようなら」

「さようなら」


 担任の号令で挨拶を交わした直後、教室の温度がふわりと一段上がる。


「夏休みはどちらへ行かれますの?」

「カナダへ越した友人に会いに行きますの。覚えてらっしゃる? 幼稚部の頃、同じ組に居た……」

「ああ! 懐かしいわ、よろしくお伝えくださいませ」


 この地域では伝統あるお嬢様学校と名高い聖美学園の、品のある同級生たちですら浮いた話題に花を咲かせる。さらりは彼女たちの世間話を何となく聞き流しつつ、帰宅の準備を手早く進めていた。


「ごきげんよう、涼木さん」

「あ……ごきげんよう、です」


 級長に挨拶され、さらりは慣れない口調でそう返事をして廊下に出た。歩きながら、唇をもごもごと動かす。ごきげんよう、という挨拶はあまりにも上品すぎて、まだ違和感が抜けないのだ。

 挨拶だけではない。同級生とも敬語で話し、素敵な先輩を「お姉様」と呼び、「あはは」ではなく「うふふ」と笑う学園の雰囲気に、入学して3ヶ月経った今でもさらりは慣れていなかった。

 友達のひとりでもできれば違ったのだろうが、さらりは入学早々に風邪を引いて一週間休んでしまったのである。中等部から持ち上がった生徒が多い上に、数少ない高等部からの入学生も一週間経てばすっかり馴染んでおり、友人を作るタイミングを逃してしまったというわけ。

 父親の転勤で高校入学と同時にこの来見町へ越してきたので、中学時代の友人とも遠く離れてしまった。夏休みもぼっち確定。なのにさらりの足取りは、飛ぶように軽かった。

 通学バスの中でもそわそわと足踏みをし、最寄りのバス停からはついに駆け出す。指定のセーラー服のえりが弾み、膝丈のスカートが捲れる。裾から白い膝小僧を惜しみなく晒して走り、そのままの勢いで自宅に駆け込むと食卓の上を確認した。重なった郵便物を、どきどきしながらひとつずつ確かめる。


「……あった!」


 真っ白な封筒。差出人に「聖美学園学生支援課ダンジョン係」の文字を見て、さらりは喜びの声を上げた。

 父親の転勤が決まったときに前の家に残るのではなく引っ越しを選んだことも、わざわざ聖美学園の高等部へ特待生で入学するという狭き門を目指して受験勉強に励んだことも、全てはこのため。


「ダンジョン探索許可証……!」


 鞄を放り投げて駆け込んだ自室の、ベッドの上に倒れ込んで両手で掲げる。何の変哲もない手のひらサイズの紙切れが、さらりにはきらきらと輝いて見えた。

 ダンジョン探索許可証。高校から発行されたこの紙により、さらりは堂々とダンジョンにもぐれるのだ。

 ダンジョンは日本各地にあり、出入りは自己責任とされている。高校では校則でダンジョン探索を禁じられていることが多いのだが、聖美学園高等部では「来見ダンジョンのみ」「学業に支障をきたさない限り」という条件付きで探索が許可されている。だからさらりは、聖美学園を選んだのだ。

 名門聖美学園で「学業に支障をきたさない」という条件を満たすのはなかなか大変だ。学期中は学業に打ち込み、7月に入ってダンジョン探索の申請を出したさらりは、見事に探索許可証を手に入れたのである。


「明日の荷物、用意しておかなくちゃ」


 許可証は、クリアファイルに大事にしまう。それを取り出しやすいよう、リュックの前ポケットに入れた。ダンジョンの出入りは自由だが、もし見咎められたらこれを見せるつもりなのだ。

 その他ダンジョン探索に必要な物品は、貯金してきたお小遣いとお年玉を全部はたいて購入した。丁寧にリュックに詰め、試しにしょってみる。


「お、おもい……」


 ずっしりした重みが肩にかかる。肩紐が食い込んで痛い。だがさらりは荷物を減らすことはせず、ゆっくりした動作で肩から下ろした。これ以上減らすことはできない。頑張って持っていくしかなかろう。

 夕飯をしっかり食べ、寝る前のストレッチも終え、明日に向けた準備は整った。ベッドの上のさらりは、うつ伏せになり本を広げる。カバーは色褪せ、ページは黄色く日焼けした古い本である。何度も何度も読み返してきた小説『異世界冒険録』シリーズは、幼いさらりに祖父が買ってくれたものだ。ひょんなことから異世界に転移してしまった主人公ルイが元の世界に帰る手がかりを探しながら未知の世界を探索する、心踊る冒険小説である。

 特に好きなのが、全八巻の中の五巻。今さらりが読んでいる『炎竜ギラドスとの戦い』では、ルイが仲間と協力して街を襲う巨体の炎竜を討伐する。討伐を祝うパーティで「ドラゴンのステーキ」が振る舞われるのだが、これがとても美味しそうなのだ。

 顔よりも大きな輪切りの尻尾肉を、強火でこんがりと焼き、塩をふったステーキ。噛むと肉汁があふれ、噛み締めるほどに旨みが増してゆく。その描写を読み返すと、何度でも唾液が湧いてくる。


「食べてみたいなあ、ドラゴンのステーキ……」


 物語は、物語でしかない。幼い頃は叶わぬとわかっている憧れでしかなかったドラゴンのステーキは、数年前に見たある動画で現実にあり得るものとなった。

 30層を探索していたアメリカの配信者が投稿したのは、口から火を吹く黒いドラゴンの姿だった。噂によれば、外国の調査隊ですらドラゴンの巣食う30層を未だに突破できていないという話だが、さらりの興味はその強大さには微塵も向かなかった。その巨体には、立派な長い尾が付いていたのである。

 30層まで行けば、ドラゴンのステーキを本当に食べられる。そんな憧れが、さらりの頑張りの原動力。


(いよいよ明日、ダンジョンに入れるんだ……!)


 遠足の前みたいに、わくわくして仕方がない。本を枕元に置いたさらりは、何度も何度もそわそわと寝返りをして、日付が変わる頃にようやく眠ったのであった。


***


「お母さん、おはよー」

「おはよう、さらちゃん」

「あっ、コーンスープ! やったあ」


 いつもよりのんびり寝たさらりに、母が遅めの朝食を出してくれる。ふかふかのオムレツにさっくり焼けたトースト。今日のスープは、さらりの好きな甘いコーンスープだ。


「……あら、今日はお出かけ?」


 早速コーンスープをスプーンですくうさらりは、夏らしいノースリーブのワンピース姿。背中まであるストレートの黒髪はすでに綺麗に梳かされており、外出の準備はすっかり整っていた。


「昨日、ダンジョン探索許可証が届いたの。だから今日は来見ダンジョンに行ってくる。大丈夫だよ、ちょっと様子を見てくるだけだから」


 さらりがダンジョンと言っただけで、母は表情を曇らせた。気付いたさらりはすぐに安心させる言葉を付け足したが、母は変わらず不安そうだ。


「でもねえ……さらちゃんも見たでしょう、あのニュース。ダンジョンに入ったまま何日も出てこなかった中学生の女の子が、昨日やっと外で見つかったって。随分怯えた様子だったそうよ」

「かわいそうに……外で見つかるって、そういうことだもんね」


 時々聞かれるニュースである。ダンジョンの中は広く、準備無しに安易な気持ちで入ると迷って出られなくなることがある。襲われるか、あるいは飢えるか、事故に遭うか。いずれにせよダンジョンの中で死んだ場合、入った時と同じ体の状態でダンジョンの外へ戻されるという。外で見つかったということは、中で一度死んだということだ。

 実際には死なないからと言って、死の恐怖がなくなるわけではない。中学生の味わった恐怖を想像し、さらりも少しだけ顔を曇らせる。


「そうなのよ。モンスターに襲われたのかもしれないけれど、人が襲ったのかもしれないって話だったわ。中には悪い人もいるんでしょう? そんなに危ない場所に、女の子ひとりで行くなんて……さらちゃん、やっぱりやめておいた方がいいんじゃない?」

「大丈夫だよ。危ない目に遭わないように、お父さんと選んだドローンもちゃんと持っていく。あれすごいんだよ。頑丈だし、充電も長持ちする最新のやつだから。ダンジョンでの防犯にもなるって店員さんも言ってた。お父さんも、あの配信用ドローンを持っていくならいいって言ってたでしょ」

「それでもねえ……女の子がダンジョン探索なんて、危ないこと」

「ダンジョンの中なら、最悪死なないからさ。もちろん気をつけるけど」

「最悪死なないって、そんな乱暴な言い方ないわよ。いくら死なないからって、さらちゃんがひどい目に遭うことを想像したら、恐ろしくてたまらないわ。さらちゃんはしっかり者だから大丈夫だと思ってはいるのよ……でも」


 さらりがダンジョンの探索をしてみたいと言い出してから、このやりとりはもう何度も繰り返している。ダンジョンは世界中に無数にあり、その中では毎日何らかの事件が起きて報道されているわけだから、心配する母の気持ちもわかる。そのためさらりは面倒臭がらず、毎回真摯に対応することにしていた。


「お母さんが心配してくれるおかげで気が引き締まるよ、ありがとう。充分に気をつけて行ってくるから」

「……そうしてね」


 危険があることは、さらりが夢を諦めることとは関係ない。『異世界冒険録』では、ルイは命の危機に何度も直面しながらも楽しそうに冒険している。あんな冒険を自分も経験してみたい。その向こうで食べるドラゴンのステーキは、さぞ美味しいことだろう。


「18時には帰るからー!」


 高校生にしてはいささか早い18時という門限にも、特に疑問は持たない素直な少女さらり。つばの広い麦藁帽子を被り、快晴の夏の空に繰り出した。目指すは聖美学園からさらにバスで20分ほど揺られた先にある、来見ダンジョン。バスに乗るさらりの爪先は、今日もうきうきと揺れていた。

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