終章 俺達の明日

第27話

『ご覧いただいたように、昨夜何者かの手によりスクランブル交差点で謎の花火が上がった事件について、帝都大学名誉教授の斉藤さん、いかがですか』

『うん、まあ一言で言うと綺麗でしたよね。僕も久しぶりに花火をこの目で見ましたけどね、やはり良いなあなんて思いましてですね』

『はあ、しかし観覧した若者達の間では暴動が頻発し、逮捕者も出る騒ぎとなったようですが――』

『娯楽産業規制法の制定から二十年近く経過し、世間的にも窮屈な期間が長かったわけです。今の若者達は禁欲的を通り越し、欲に対する同調圧力に疲弊してすらいるのでは? もう実は皆……そう、これを見ている貴方だって、そろそろ我慢できないんじゃないですか?』

『なかなか踏み込んだご意見ですが、今話題に上がった娯楽産業規制法について、娯楽の規制がGDPに好影響を与えたのか検証したグラフが――』

 ニュースを映し出していた画面を消し、俺は満足感を滲ませて欠伸をした。締めの冠菊は画面越しでもよく映えていた。

 昨夜は長時間やったお陰か、一連の花火の様子を撮影したり生配信をしたりしていた者が数多くいたようだ。こうした騒ぎは全国的なムーブメントに発展して、どの局のニュースやSNSでも議論の的になっていた。皆長い長い夏休みからようやく目が覚めたらしい。秋の足音はもうすぐそこまで迫っている。

 ワンルームに差し込む朝日に伸びをして、軋む身体に顔を顰めた。

「いてて……」

 あちこち筋肉痛だった。長距離飛行ロングフライトにリリイを抱えての逃避行、どちらもなかなか無理をしたようだ。まあ……でも、楽しかったからいいか。

 目を閉じれば今でも、夜空に瞬く花火と二人で空を駆けた感覚がラムネの香りに乗って蘇る。あれは確かに、色鮮やかな青い春の真っ只中だった。

 ラムネは青い容器ごとどこかに落としてしまったけれど。

 授業には少し早いが、鞄を掴んで家を出る。たまには朝の街を散歩しても罰は当たらないだろう。晩夏の朝の清涼な空気に一呼吸。ヒグラシの鳴く声ももうすぐ聞き納めだ。

 つい足が寄り道をして、子供の頃辿った道を行く。何処へでも行ける歳になってもこうして不意に向かってしまうから、きっと俺は永遠の童心を抱えて生きていくんだろう。

「……常盤さん!」

 昭和から変わらない飴色の店先では、白髪の店主が自慢の品を並べていた。立てかけられた看板の『準備中』の文字も、今日は朝日を浴びて自信ありげに踊っている。

「おや、隼人くん。今日は早いね」

「再開するんですか?」

「そうなんだよ。朝イチで来てくれるなんて嬉しいな」

 振り向いて笑顔で迎える常盤さん。その顔は何か吹っ切れたように晴れやかだった。

「昨日の花火見た? 僕は中継で見たんだけど、凄かったよねえ……なんかさ、同じ娯楽もん同士、頑張らなくちゃって思ってさ」

 張り切って店先を掃く姿にこちらまで嬉しくなる。

 そうだ、と常盤さんは振り返り、一等地に並べたラムネをひとつ俺に放った。からりと軽い音を立てて、涼しげな青い容器は俺の掌に着地する。

「再オープン第一号のお客さんだ。これはサービスしよう」

「え、良いんですか! やった!」

 微笑む店主に礼を言い、揚々と足を大学に向ける。早速口に放り込んだ白い粒がしゅわりと甘さを放った。

 誰かがこうして希望を見出して歩み出していく。俺達の花火は誰かの心に希望の火を灯すことができる。それが分かった今は、この味はより特別なものになった。

 ポケットに容器を仕舞うと、携帯が震えた。入れ替わりに取り出して通話をタップする。

「リリイか。おはよ」

「……おはよう」

 おずおずとした様子のリリイ。今更何を躊躇う必要があるんだろう。顔も名前も見知った相手なんだから、別に電話くらい気軽にかけてきたらいいのに。

「朝から珍しいな。どうしたんだ?」

「……シューズの電源、切り忘れてる」

「え、また?」

「また」

 またかよ。確かに昨夜切った覚えはない。学ばねえな、俺も。バツが悪くなって頭を掻いた。

 しかし電話口の彼女はくすくすと楽しそうだ。

「どっちが大人か分からないわね」

「うるせえ」

「……ね、ニュース見た?」

「ああ」

 身を乗り出していそうな声のリリイ。きっとベッドの上でもさっきのニュースを見たんだろう。

「ようやく日の目を浴びるときが来たようね、私達みたいに誰かの為の娯楽を扱う活動も……今まで散々日陰者扱いされてきたんだから、これを機に盛り返せたら良いんだけど。だから私、決めたわ。将来偉くなって世間に認めさせてやるの。人々が自由に娯楽を楽しめる社会を」

 朗々と語る彼女に、俺は笑い交じりに言う。

「総理大臣にでもなるつもりかよ」

 しかし電話の向こうの彼女は一瞬考えるように沈黙を置いて、

「なってやろうじゃないの!」

 大胆不敵に言い放った。凄まじい意気込みだ。こいつ本当になるんじゃないのかという気すらする。

 でも良かった。こないだまでの、先行き不透明で死んだように生きていた彼女はもういない。自分で見つけた光に向かって、大海へ漕ぎ出そうとしていた。

「あ、これから診察だ。またね、ジェット」

「おう、またな」

 いつも通りあっさりと切れた通話。俺はしばらく立ち止まって黒い画面を見つめた。

 そうだよな、人生は一度きり。誰かと出会い、何かを見つけて藻掻き苦しみ、それでも自分で選び取った明日に向かって歩いていく。俺も何か、暗雲から差す細い光を見つけた気がする。誰かの心に火を灯し続ける、そんな風な生き方が出来たら。

 携帯を仕舞って鞄を開き、数週間前に突っ込んだ封筒を取り出す。それは就業可能な国民全員に一人一通届く、未来を決定づける書類。現代の赤紙。

「……俺もやりたいことが出来たぜ、リリイ」

 就職決定通知書を封筒ごと粉々に破り捨て、俺は俺が決めた未来に向かって歩き出した。

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