第23話
『まずい』
「どうした!?」
視界に短く浮かんだ懸念の文字に、俺は思わず飛び移った管理棟の屋根で急ブレーキをかける。避雷針を掴んで息を吐くと、緊張感を帯びた文字が次々と届いた。
『十四ヶ所目の花火の場所』
『人だかりができてる』
『なんだろ』
リリイは俺の視界を共有しながら、残りのポイントの状況も同時にモニターしているようだ。今頃あいつの視野はどうなってんだろう。高度な並行作業に頭が下がる。
『分かった』
『建物の前で政治家が演説やってる』
『警備に警察もいる』
厄介なことになった。俺達はあらかじめ人が集まるようなイベントがないか調べ上げていたのだが、突発的な催しには気が付かなかった。こっちもゲリラ花火だが、あちらもゲリラ政見演説を実施しているらしい。
残る花火は最後の火筒を合わせあと十一。そのうちひとつを諦め、十三ヶ所目を打ち上げた後に直接スクランブル交差点に向かう道順を頭の中で組み立てる。行けないことはないが、時計回りに打ち上げていた花火が途切れる形になり少し不格好ではある。
打ち上げ装置は遠隔で操作することができない。技術的には可能だが、そうすると打ち上げに気付いた警察が通信を妨害する電波を発する可能性がある。だからいつも手動で作動させているのだが、今回はそれがあだになっていた。
「そのポイントは諦めるか……」
悔しさに小さく舌打ちをしかけたその時。意外な文字が浮かび上がった。
『いや』
『私が行く』
『私一人なら目立たない』
「は?」
お前が? 十四ヶ所目は臨海エリア近くの繁華街だ。確かにリリイの病院からは歩いてすぐの場所だけど……。いやいやいや、と頭を振って否定する。
「お前、何言ってんのか分かってんのか!? 病み上がりで、歩けないって言ってたくせに外に出るなんて――」
「大丈夫」
俺の不安を、リリイの擦れ声が遮った。
「嬉しかったの。花火……一緒にやろうって言ってくれて」
「お前、声が――」
彼女の濁った肉声に言葉を失う。音声入力をやめ、通話に切り替えたらしい。衣擦れする音と共に、リリイは生を噛み締めるように言葉を吐く。
「ジェットのお陰で……明日が来るのが、楽しみだって思ったの……だから、最後くらい……頑張らせてよ」
ガサガサに枯れた声は荒い吐息を混じらせ、それでも伝えたい想いを乗せてヘッドホン越しに響く。
すう、と息を吸う音がして、彼女は慄く相棒を鼓舞するように凛と叫んだ。
「私を信じて――飛べ!!」
「……ああ!」
受け取った想いを笑みに変える。もう止める理由は見つからなかった。格好つけやがって。お前がその気なら信じて飛ぶぜ。
俺は避雷針を放るように駆け出して、宙に身体を躍らせる。耳元でもリリイが移動しているのか、何やらガチャガチャと音がした。
「代わりに約束してくれ、ヤバそうだったらすぐに言え。無理して死んだら元も子もねえからな」
「……分かってるわよ」
街路樹に飛び移ったと同時に、ヘッドホンの向こうでがらりと戸を引く音がした。あちらも部屋を出たらしい。
「ゴーグル外したから……現在地が掴めないの。何番目のスイッチを押したか、都度教えて」
「分かった!」
「次の五番目と六番目は真正面から向かうと速度が落ちるから……建物の給水塔伝いに飛んで……落下の勢いを活かして」
見てなくてもサポート出来るのかよ。どうやら完全に頭の中に詳細な道順を叩きこんでいるらしい。本当最高だな、俺の相棒は。
「おう!」
電柱を蹴って指示通りに白いビルを回り込み、給水塔に着地する。そこから飛び降りる勢いを利用し、前転して着地すると目の前に二台の打ち上げ装置が現れた。駆け抜けながらどちらもスイッチを入れる。
「五! と六!」
背後でバチバチと火花を散らし、煙と共に空へ
「左のビルの非常階段に向かって飛んで!」
「おう!」
ビルの切っ先で踏み切り、空中で背を丸めくるくると前転しながら鉄製の非常階段へ滑り込む。階段を駆け上がり、最上階の踊場へ向かう。ポケットからラムネを取り出し、走りながら口に放った。
「空中で待機してる重量ドローンを辿って!」
「よっしゃ!」
階段の柵を踏み越え、躊躇なく宙に身体を放る。彼女の言う通り、闇夜に紛れる黒い重厚なドローンが、大きな羽虫のような音を立てて飛び石のように浮いていた。鉄製の打ち上げ装置を運搬するのに使用している
「よっ!」
暗視ゴーグルで正確な位置を捉え、五十センチ程のドローンの頭を踏み次々と飛んでいく。その高度は階段のように少しずつ高くなり、背の高いビルが足元に見える空に身体を躍らせた。星屑のように小さく見える無数の夜景と車のテールランプを踏み抜いて、次の装置に向かう。七から九番目まではすべて空の上に設置してある。
「……七!」
二連結の重量ドローンの片側に乗った打ち上げ装置のスイッチを入れると、空飛ぶ浮石は少し沈み込みながら打ち上げの衝撃に耐えた。しゅるるるる、と空を滑るような音を立てて煙が昇り、左右半球で青黄に分かれた
眼下に行き交う観客達も見上げているだろうか、この何もない所から手品のように上がる花火を。口内で甘酸っぱい粒を転がし、粋な演出に笑う。全部リリイのアイデアだ。
次々に空中の床を蹴って八番目、九番目、とスイッチを入れていく。
「八、九!」
背中で二つの
「そのままドローンを辿って次へ――きゃっ!」
突如指示が途切れ、耳元で何かが倒れる固い音とリリイの悲鳴がした。
「どうした!?」
空中で立ち止まれない俺は、列を成したドローンを踏み抜きながら聞く。ずるずると何かを引き摺る音がしていた。
「……気にしないで、十四番目があるビルの……すぐ下まで来てるから」
「何があったんだよ!」
「車椅子が入口の段差を越え切れなくて、ちょっと転んだだけよ……大丈夫、どうせあれじゃ階段は上れないから……」
十四番目の打ち上げポイントを思い出す。繁華街の雑居ビルだ。確かエレベーターはなかったはず。歩けないという彼女がどうやって階段を上がって屋上に行くのか、今更ながら考えただけで冷や汗が出た。這って上がるつもりか。
「もうやめとけ! 上がるったってどうやって」
「これでも私……打ち上げが決まってから少しは歩く練習したのよ? ……手摺があるから大丈夫」
俺の心配を遮る彼女は、どうしても屋上へ行く気らしい。途中で転がり落ちても助けは来ない場所だろうに。割れたラムネの破片を噛み潰し、不安と信頼したい気持ちを綯い交ぜにして空中で跳躍する。
「後で迎えに行くから! 待ってろ!」
約束に対する返事はなかった。代わりに次の指示が飛ぶ。
「……十番目から先は全部川の向こう。河口近くの吊橋のケーブルを駆け下りて……そこから街の方へ飛んで」
「……分かった!」
とにかく言われた通りに飛ぶ他ない。今俺にできるのはそれだけだ。逸る胸の内を抑えながら、目の前の飛び石に集中する。河口にかかる大吊橋はもうすぐ近くに迫っていた。
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