向かい合わせに咲いたひまわり

宮下愚弟

第1話 あなたはひまわり

「ひまわりが黄色いのはおひさまを飲んでるからだよ!」


 懐かしい声が脳裏に響いた。

 誰がどこで言ってたんだっけ。

 覚えてるのは女の子の笑顔だけ。眩しそうに目を細めて、にぱっと歯を見せて──



 車窓の奥で流れる寂れた景色をぼうっと眺めていると、突然、ゴウと音がして自分の顔がガラスに映った。


 びっ……くりしたぁ。

 なんだ、トンネルに入っただけか。

 窓の外は暗い。

 冴えなく映る顔に、ため息が漏れる。


 しょうもない夏休みだ。


 未婚の母が彼氏と旅行に出かけてしまうというので、10年ぶりに母の実家を訪れる羽目になった。ふざけた話だ。軍資金を握らされたので拒否権も無かった。

 渡されたって使い道なんて浮かばない。


「楽しんでらっしゃい莉理依りりい


 笑顔で放り出された。ああはなりたくない。

 母のようになりたくなさすぎて、私は高校で真面目に生きてる。クラス委員をやって、生徒会に所属して、勉強では上位をキープし続けている。先生からも信頼されてるし内申点では困らないだろう。物心ついたころからずっとそうして生きてきた。


 でも。

 ひとりで背筋を伸ばしつづけるのには疲れてしまった。

 真面目にしていると、真面目で居つづけることを求められるようになるから。

 窓に映る冴えないツラが、我ながら恨めしい。

 いつまでこんな顔でいればいいんだろうか。


 パッと光があふれた。目の前に広がる緑、遠くに連なる山々、ばかみたいに青い空、陽ざしは温かい。


「おぉ……」


 トンネルを抜けたらしい。

 ポォンと、地名がアナウンスされる。青原あおはらだか、なんだかっていう馴染みのない響き。

 それが私の心を軽くさせる。

 バスはタイヤを転がしてゆく。私を知らない土地を。



 ひとけのないバス停で降りてキャリーバッグを引いて炎天下を歩いて、それで、何分経っただろうか。

 さっき気付いたが、どうやら降りる場所を間違えたらしい。それから地図と格闘してさらに歩いて。


「あづぃ……あづ……」


 帽子の一つや二つ被ってくればよかったなと茹だりかけたところで、ようやく点々と民家が見えた。

 そのなかに見覚えのある屋根が見えた。

 水田とビニールハウスに囲まれた緑と茶と灰色ばかりのなかで、やけにわざとらしい黄色の屋根が。

 あれだ。おじいちゃんかおばあちゃんの趣味で染まった原色みたいな黄色。

 せかせかと歩き、表札に「天野」と──私と同じ苗字が書かれていることを確認し、インターホンを押す。

 水が飲みたい。水。

 自販機で買えばいいやと思って舐めてたら干からびそうだ。

 何度鳴らしても人の気配はない。

 こうなったら田んぼに飛び込んで水を……いやいや。

 普通の人はそんなことしないもんな。ちゃんとしなきゃ。


「あんれー? お客さん?」


 後ろから明るい声がした。

 振り返ると、ひまわりが立っていた。

 榛色ヘーゼルのポニーテールが揺れる。

 大きな瞳がくりんと煌めく。

 健康的な少女だった。ホットパンツにタンクトップと、さらされた素肌が眩しくて。

 でっかいひまわりを担いだ、日に焼けた小麦肌の女の子が立っていた。


 誰?

 互いに同じことを思っていたに違いない。

 私は頭を下げる。


「えと、私は天野莉理依、です。母から実家に帰省しておいでと言われて、その……」

「え!?」

「へ?」

「もしかして、りりちゃん?」


 りりちゃん。

 懐かしい呼ばれ方に記憶が甦る。黒髪短髪の女の子。

 ひまわりみたいに笑うその子の名前は。


「……ひなちゃん?」


 百地ひなた。一つ年下の従妹だ。

 私の呼びかけに小麦肌の彼女の目がゆっくりと開かれていき。


「ひっさしぶり~~~!!」


 いきなり抱きついてきた。

 ひまわりの、黄色と緑の匂いがぶわっと広がる。


「ぐぇ……ひなちゃん、くるし……」

「わあ、ごめんごめん。やー、美人さんがいるから誰かと思っちゃったじゃんかー! りりちゃんってば立派な都会のオンナだねえ」


 ひなちゃんは目を細めて笑う。私のほっぺたをフニフニとさわりながら、にひひと笑う。

 ようやく思い出した。

 ひなちゃんはこういう子だった。

 眩しいくらいに自由な女の子だった。

 年下だけれど、私の憧れの女の子だったのだ。


「ひなひゃんは、はわっへあいえ」

「あ、ごめん。ほっぺ白くて可愛くて、つい」


 つまんで伸ばされていたほっぺたが自由になる。

 白くて可愛い、ですか。天然たらしは健在だ。


「ふふ。ひなちゃんは変わってないね。相変わらずひまわりみたい」

「へ?」


 ひなちゃんがきょとんとする。


「あたし、ひまわりみたい?」

「うん。……変なこと言ったかな」


 不安になって尋ねると、ひなちゃんは目を細めて笑う。


「めっちゃうれしい」


 ひなちゃんはくるりと一回転してから、鼻歌交じりに玄関を開ける。靴箱にひまわりを立てかけて振り向いた。


「いらっしゃい、りりちゃん」


 にひっと笑った。

 どこまでも眩しいなと思う。私と違って。

 しょうもないと思っていた夏休みだけれど、少しは楽しいものになるかもしれない。

 期待を胸に忍ばせて、私は至って澄ました顔で言う。


「おじゃまします、ひなちゃん」

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