バスに乗り遅れるな

「単刀直入に聞こうか」アニメの司令官風のポーズを崩さず、部長は言った。「君はあの川村嬢の話、どう受け取った」


「どうって……現地を調べてみないことにはなんとも言えないですけど、まぁまぁオーソドックスな妖怪譚ですよね」


 物怪が通行人に声をかけて驚かせる類の民話は、そう珍しいものではない。

 たとえば『遠野物語』には笛吹の男が深い谷で怪しい声に囃された話が収録されているし、本所七不思議の『おいてけ堀』もこのパターンだろう。中には「とっつくか、ひっつくか」とこちらの勇気を試し、「ひっつけるものなら、ひっついてみろ!」と威勢のいい返事をした者に大量の小判をひっつかせた、気前のいい妖怪もいる。


 しかし部長は、僕とは意見を異にしているようだった。「私はあの話、眉唾だと思うね」


「眉唾? 彼女が嘘をついていると? まさか彼女は狐の化けた姿だなんて言いませんよね?」


「ああ、古くからの俗信だね。眉に唾をつけると、狐や狸に化かされないっていう……そんなこたぁどうだっていいんだよ君」


 部長会心のノリツッコミである。


「彼女の話には、『赤い紙・青い紙』や『赤いチャンチャンコ』とは決定的に異なる点が一つあるだろう」


「決定的に異なる点、ですか」


「物怪の立場に立って考えてみれば、自明のことなんだがね」


 僕はしばし、眉根を寄せて黙考した。

 一般的な民話との決定的な相違点……あげればキリがないような気もするし、同時に何も思いつけない気もした。

 物怪の立場に立て、と部長は言った。この世ならざるものが嫌がる要素が、シチュエーションに含まれていたのだろうか? 


 僕の沈黙を、部長は降参のしるしと受け取ったらしい。返事を待とうともせずに、彼女はいささかわざとらしく、フフンと鼻を鳴らせてみせた。


「チッチッチ、ダメだなぁワトソン君。全然ダメだね。君には想像力が足りていないよ」


 誰がワトソンじゃい。

 他の人なら怒り出してもおかしくない不遜な態度だとは思うけれど、僕はあえて何も言わない。

 この人は無神経には違いないけれど、ただこの状況を楽しんでいるだけなのだ。本気でこちらを貶めたり、閃きをひけらかす気なんて毛頭ない。そこそこに長い付き合いで、それは十分に承知していた。


 それと、人差し指を左右に振る動作が、どこかぎこちなくて可愛らしい。


 僕の寛大な眼差しなどどこ吹く風、ホームズ気取りは処置なしと言わんばかりに両手を広げ、聞いてもいない答えを教えてくれた。


「ほら、昔話や怪談のオバケは、きまってで人間に語りかけていただろう?」


 あ、と間の抜けた声を上げてしまった。


 なるほど、確かに部長の指摘した通りだ。

 聞こえてくるはずのない環境で聞こえてくるはずのない声がするから、この手の怪異は恐ろしいのだ。ただ山のふもとで怪しげな鳴き声がするだけでは、そもそも怪異譚として成立していない。


 いや、待てよ。

 僕は反駁を試みた。「ほら、川村さんが言ってたじゃないですか。昔、あのあたりで無理心中事件があって、犠牲者の女の子は喉を潰されていたって。仮に声の正体が亡くなった娘さんの亡霊だとしたら、意味ある声を上げたくても上げられなかったんじゃないですか」


 彼女言うところの“伝説”を拠り所にするのはなんとなく面白くなかった。

 が、「実はやっぱり野生動物でした」なんてオチよりは、よっぽどマシだ。


 しかし部長は首を左右に振った。「声帯を潰された人間が、果たしてそんな声を上げるだろうか?」


「わかんないじゃないですか、そんなの」


「それに、それなら声は旅籠、つまり今の資料館で聞こえないと不自然だろう。どうして犠牲者が山中なんかに移動しなきゃならないんだい」


「さぁ、そこまでは……あ、こんなのはどうです。死んだと思われていた娘には、実はまだかすかに息があったんです。だけど当主はそうとは知らず、山の隠し場所に捨ててしまった……とか」


「衝動的な無理心中事件だぞ。これからこの世にオサラバしようとしている人間が、そんな隠蔽工作をするもんか」


 ぐうの音も出なかった。

 つい渋面をつくってしまう。意見を戦わせれば戦わせるほど、当初思い描いたロマン溢れる“現代に息づく民話”像が遠のいていく。それがなんとも言えずやるせなかった。


 次に口を開いた時、僕の声には自分でもそれとわかるほど、徒労感が滲み出ていた。


「“幽霊の正体見たり野生動物”かぁ……生物部にでも聞いてみますか? 甲高くてかすれた声で鳴く、一般的に知名度の低い鳥や動物が、この辺りに生息していないかって」


「まぁまぁ、そう結論を急ぐこともないだろ。もしかしたら、私が見落としている重要なポイントか何かがあるかもしれないし」


「そうですね、まず現地を調べてみないことには」


「それもなるべく早い方がいいよね」


「そうですね、できる限り早く」


「なんなら今日の午後にでも、ね」


 不意に嫌な予感がして、僕は身構えた。「……まさかとは思いますけれど、今からフィールドワークをしてこいなんて言いませんよね?」


「ちょうどよかったじゃないか、今日が午前授業で。どうせ暇なんだろ?」


 思わず、悲鳴じみた大声を上げてしまった。「勘弁してくださいよ、こんな雨の日に!」


 色をなす僕とは裏腹に、部長はどこまでも泰然と構えていた。


「調査が済んだら、直帰していいよ。そのかわり現地で見たこと聞いたこと、細大漏らさずすべて報告してくれ」


「冗談じゃないですよ! 全然暇なんかじゃないです! この本だって、来週までには読み終えて返却しないといけないんだ! なんで僕にばっかりこんな厄介ごとを押し付けるんですか! B組の木塚とか、部員なら他にもいるじゃないですか!」


「仕方ないだろ、今ここにいるのは君だけなんだから。それに他の連中は、こう言っちゃなんだけど、まるで戦力にならないからね。君の取り柄はなんといってもそのスポンジのような記憶力、それに民俗学にかける情熱だ。期待してまっせ大エース殿」


 なんという見えすいた文句! さらに反駁しようとして、けれども二の句が継げずにいる僕に、部長はダメ押しの一手を打った。


「そりゃね、行けるものなら私が行くよ。むしろ行きたいくらいさ。だけど私がここから動けないの、君はよく知ってるだろ? ……それともなにかい、部費の申請とか諸々の書類の処理とか、君が私の代わりにやってくれるのかい? ん?」


 何を多忙アピールしてやがるんだ、ついさっきまでソファでグーグーグーグー寝てたくせに。


 ……とは、年功序列を中学で叩き込まれた僕にはもちろん言えない。

 それに部長が煩雑な事務仕事を一手に引き受けてくれているのも、否めない事実なのだ。


 僕は嘆息した。どんなに盾ついたところで、結局はこうして言いくるめられ、押し切られてしまう。いつものパターンだ。


「もう一度伝えるけど、君には期待してるよ」憮然として鞄を取り上げる僕の背中に、いけしゃあしゃあと部長は言った。「確かうちの学校前のバス停から、小津田方面行きのバスが毎時一本出ていたはずだよ」


 そして、追い打ちをかけるようにこう付け加えた。「次のバスは五分後だね。ダッシュしないと間に合わないな。はい、オンユアマーク」


 僕は歯軋りをした──このアマ、いつか絶対祟ってやる。

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