第2-11話

薬品による身体能力の極限強化により、ノアの動きはまさに人間離れしていた。

デスクローラーの体当たりや毒の魔法、その全てをノアは見事に避け切っていた。彼女は体を酷使する狼牙流の技や薬品の限界を感じつつも、決して諦めることはなかった。

しかしどうしても体は正直である。


彼女は奥歯を噛みしめ、白目を真っ赤に充血させ血涙を出しながらデスクローラーと戦った。

隙があれば刃を突き立て、デスクローラーと果敢に闘う。

デスクローラーが繰り出す攻撃の全てがノアにとって致命的なもの。一撃も食らえば終わりという重圧を背負いながら彼女は只管に体を酷使する。


「なんなのよあの化け物……」

「ベル! 怖気てないでノアさんのサポートをしますよ!」

「お、おう……」

「ノアさんもそろそろ限界です! 閃光玉でもなんでも投げてサポートしますよ!」

「あ、ああ! やるぞ!」


デスクローラーが松ぼっくりのように頭部の鱗を逆立たせ、カラカラと音を立てる。

鋭利な毒麟による広範囲攻撃。一度あの鱗が射出されてしまうとベルとエリナも巻き込んでしまう。

クソ……避けるので精一杯だ。

ノアの体力は限界に達し、筋肉も限界を超え、精神も限界に迫っていた。

薬品による自己強化は代償を伴うことを知っている。

アランから叩き込まれた「三分以内に仕留めろ」という制限時間は、もはや過ぎ去って久しかった。

道具を使って攻撃を防ぐ暇もない彼女は、死を覚悟するしかなかった。


「くらいなさい!」


轟音と共に、まばゆい閃光が一斉に放たれる。

デスクローラーが咆哮しながら激しく体をくねらせて怯んだ。その姿からは絶望の兆候がにじみ出ており、傷口からは鮮血が勢いよく噴き出している。

辺りに飛び散る鮮血の中、デスクローラーは次第に衰弱していく様子が見て取れた。

もう一歩。エリナは直感的にその時を悟ったのだ。


「ノアさん! これが私の全魔力です!」


デスクローラーが怯んでいる隙に、エリナはノアの元へ駆け寄り、抱きしめながら全身全霊を込めて治癒の魔法を施す。限界を迎えていたノアの体は次第に活力を取り戻し、再び技を繰り出すための力がみなぎってきた。


「ありがとうエリナ……最後の一発ぐらいなら行けそうだ」

「がんばって……くださいね」


全ての魔力をノアに注いだエリナは、そのまま力尽きて倒れた。

解放されたデスクローラーが再び邪眼を開けると、ノア達に襲い掛かるかのように咆哮した。

しかし、その攻撃は特大の火炎球により阻止された。まばゆい炎が一瞬にして広がり、デスクローラーは悲鳴のような雄叫びを上げながら炎に包まれた。


「へへ……私も以外とヤるだろ?」


ベルも全魔力を一つの魔法に注ぎ込んでデスクローラーに叩き込んだのだ。

得意げに笑いながら背中を倒れた木に任せて戦闘不能となる。

残されたノアは剣を構え、最後の一撃を叩き込まんと集中した。


「狼牙流剣術……十二の型、焔舞 (えんぶ)!!」


独特な呼吸と圧倒的な進撃。

アドレナリンが全身を駆け巡り、最高潮に達した状態で、デスクローラーの動きは停止しているかのように見えた。

毒の魔法が繰り出されるたびに、闘気によって燃え上がる刀身が打ち払っていく。

デスクローラーが最後の切り札と言わんばかりに自慢の二本の前歯から毒霧を発するも、ノアが生み出した一振りによる突風で彼方へと消えて行った。

ノアは一歩、また一歩と確実に距離を縮めいく。

デスクローラーに残された最後の攻撃手段である突進がノアに迫る。


「これで終わりだあああああああああああああああああああああああああああ!」


喉から血が吹き出るほどの咆哮と共に、全身全霊を込めた一太刀が――デスクローラーの首を絶つ。

意識が朦朧とする。

全力を出し尽くしたノアは、剣を握る力さえ残されていなかった。

彼女は力尽きるようにして膝から崩れるようにして倒れた。


「終わった……」





ノアの意識が徐々に戻る。

まぶしさを感じながらまばらな照明の灯りの中で目を開けた。暗めの病室は薄暗さが漂い、その中で彼女は頭がぼんやりとした感覚に包まれていることを感じる。


辺りには痛みとともに鈍い疲労感が広がっていた。体の隅々に力が抜け、筋肉は重たいしんどさを抱えているのがわかる。

ノアは眼前の部屋を見回す。

壁にかかる古びた絵画や薄暗い照明の光が目に入る。

時折聞こえる時計のチクタクという音がどこか遠くから漏れ、医療器具の冷たさと独特な匂いが鼻を刺激した。


彼女はゆっくりと手を動かすと、激痛が走った。筋肉の緊張と疲労が身に染みる感覚と骨の奥まで響くような痛みに顔を歪める。

体を起こそうにも僅かな動作で激痛が全身に響く。

彼女は深いため息をついた。


「やっと目覚めたか」


部屋の奥から歩く音が近づいてくる。

ドアが無造作に開けられると、そこにはアランが立っていた。

短く刈り込まれた髪と逞しい顎鬚。筋骨隆々の長身の身体。黒いレザーアーマーとぼろぼろにくたびれた鼠色の外套。

ノアは彼の姿を見て安心感を覚えた。


「アラ……ン?」


アランは鼻を鳴らし、ベッドの横にある椅子に腰かけた。


「今回は偉く張り切ったようだな」

「あはははは……はあ。……まあ、ね」

「身の程知らずめ」


アランは呆れたようにため息を吐く。


「お前の為に受けた依頼は長く見積もって一ヵ月もあれば余裕だと思っていたんだがな。まさかあの中型の固体とやりあったなんてなあ。全く……。馬鹿げてる。まあ、そうだな……回収した二人の嬢ちゃんを見りゃあ凡そ予想は付くが……無茶しやがって」

「見捨てられなかったよ」


ノアはか細い声で言った


「昔からお前はそうだったな。死にかけてる子犬一匹の為に魔物の前に出て突っ走る大馬鹿者だが、今回は大目に見てやる」

「はは……。アランが褒めてくれるなんて珍しいな」

「褒めてないわ馬鹿者!」

「いだだだだだだ!」


アランは躾のつもりでノアの頬を抓った。


「お前は十五にもなってまだ闘気も剣術もロクに扱えない半人前だ! しかも霊薬を使ってこのザマだ! 一から修行し直せ!」

「いだだだだだ! いだいいだい! ごめんてアランンンンンン!」


二人の会話を聞きつけたのか、白衣を身にまとった金髪の女性が顔を覗かせた。彼女はまさに美貌の具現化と言える美しいエルフの女性だった。碧眼をパチパチと瞬きさせながら、興味深そうに微笑みながら二人の様子を見ていた。


「あら、二人とも楽しそうね」


愉快そうに、クスクスと笑いながら彼女は言う。


「楽しくなどない!」

「ふふ、そうかしら? この人ったらノアちゃんが目覚めなかった五日間の間付きっ切りで面倒を見ていたのよ?」

「アリー! それは言わない約束だっただろ!」


アランが怒気を含んだ声色で言った。

彼女はアリアンナ・エルミスタル。

エルフの女性であるので特徴的な尖った耳と眉目秀麗な美しい顔立ち。出る所はでていて、締まる所は締まっているプロポーション。

薄着の上に白衣を羽織るだけの、目のやり場に困るような服装をしている妖艶な雰囲気のある女性だ。


彼女の名はセントリアの街において、知らぬ者はないと謳われるほどだ。卓越した治癒魔法使いでありながらも、貴族の下に就く事なく一般市民や冒険者の為に勤務している。


「あらあら、お邪魔したわね」


アリアンナは上品に口元を隠しながらこの場を去った。


「ったく……。まあ、お前は怪我が治るまで当分ベッドの上だな」

「そのようだねぇ……あ、ベルとエリナはどうなったの?」

「あの二人の少女の事か?」

「そうそう」

「あの二人なら一晩寝たら普通に起き上がったぞ。怪我も無かったな。二人とも毎日お前の顔を見には来ているぞ」

「そうなんだ……。へへ……それなら良かった」


ノアは嬉しそうに笑む。

アランは椅子から立ち上がり、ノアの頭をくしゃくしゃと撫でる。


「お前が倒したデスクローラーの件だが、少女達がしっかりと報酬をお前宛てに持ってきていたぞ。なかなか義理堅い友人じゃねぇか」

「え、そうなの?」

「ああ。報酬金を含めて倒したデスクローラーの素材はいったん俺が預かるという形になっている。なかなかの値打ちもんだから暫くはこの稼業から足を洗って過ごす事ができるぐらいの額だ」

「それはそれは……動けるようになる日がたのしみですなあ」

「今はしっかりと身体を休めろ」


アランが部屋から出ようとした時、ノアが彼を呼び止める。


「ありがとうアラン」


彼は少しだけ立ち止まり、何も言わずに部屋を出て行った。

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