温泉の中の秘密

 夜の温泉っていいですよね。人がいなくて貸し切り状態。ちょっと鼻歌を歌えますしね。途中で人が来たら恥ずかしいですけど。


 僕が大学生の時に家族旅行で旅館に泊まったときの話です。旅館には『鬼地獄の湯』という名前の温泉がありましてね。その旅館の温泉は、深夜の二時から四時の清掃時間以外は入り放題でした。その日は三連休で宿泊客が多く、夕方の温泉は人が多くて困りましたね。僕は時間をずらして入ることにしたんです。

 旅行の疲れからか、一寝入りと目をつぶって起きた時間はもう夜中の一時過ぎでした。朝早くから出かける予定があったので、僕は今からお風呂に入ることにしたのです。


 清掃時間まで時間がないので大急ぎで温泉に向かいましたよ。夜中ですから、廊下で誰かに会うこともありません。脱衣所の電気は消してあり、誰も温泉にいませんでしたね。僕は急いで服を脱ぎました。

 温泉は大浴場と露天風呂のあるシンプルなもので、薄暗い空間に誰もいないのはなんだか幻想的でわくわくです。僕は体を洗うと大浴場で体を温め、せっかくだからと露天風呂にも入りました。階段に腰掛けて、いい湯加減のなかで満天の星空を眺めるのは極楽気分でしたよ。


 しばらく温泉に浸かって、ふと自分の足を見ると足が青白く見えました。その日は満月だったので、月の光と照明の明かりでそのように見えるのかと思ったのですが、見ているとだんだんと血の気のない色に変わっていくのです。

 暖かい温泉に浸かっているのに、急に悪寒が走りました。ゆらゆら揺れる水面が不気味に思えてきました。僕はこの温泉の中に何かがあるような気がしたのです。僕はお湯に顔をつけて温泉の中を見ました。


 温泉の底の光景を見て、僕は一気に息を吐き出してしまいました。温泉の中は見たことない世界が広がっていたのです。さっきまであったの温泉の床がなく、階段から先はとても深い空間になっており、奥底にぐつぐつと煮えたぎるマグマが見えました。

 マグマの中は人でごった返しており、マグマの外周を恐ろしい鬼たちがうろうろしていて怖かったですね。鬼は人を引きずりながら運ぶと、マグマの中に放り込むのです。僕は恐ろしさと好奇心で夢中になって見ていると、誰かが僕の足を掴みました。鬼です。いつの間にか鬼たちが何段もの肩車をして僕のところまで来て、温泉の奥底に引きずり込もうとしていました。


 今度は誰かが僕の腕を掴み、上に引っ張り上げました。温泉から体を引き上げられると、顔を真っ赤にしたおじさんが怒った顔をしていました。

「お客さん、清掃時間ですよ。規則を守っていただかないと困りますよ。あと温泉に顔をつけないで」と厳しい口調で僕に注意してきました。僕はおじさんの顔を見て、安堵していました。おじさんが来てくれなかったら、僕は温泉に引きずり込まれていたでしょうから。おじさんは突っ立ている僕をせかされるように温泉から追い出しました。


 あの温泉は地獄に繋がっていたんです。あのおじさんが助けてくれなかったら僕は今頃マグマの中ですね。

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