第9話 persiguiéndose

「こりゃマズいぞ」


 ヨハンナは目の前に鎮座するセダンの男達を見て呟いた。特大の爆発、目の前に転がる目出し帽を被った二人の怪しい人影。セダンの男達がゲリラか治安当局であるかに関わらず、まず間違いなくこの主犯だと察せるだろう。

 ヨハンナが呟き終わらぬうちにセダンの扉が開き、男達がゆっくりと降り始めた所でサキが動いた。サキはすっくと立ち上がり素早く拳銃を抜くと、男達の方へ向けて発砲した。サキがフロントガラス、開いた両方のドアに向けた制圧射によって男達は素早く屈んで身を隠し、僅かに出来た隙でヨハンナも姿勢を立て直して拳銃を抜いて発砲し、弾倉一本、計八発を撃ち切ったサキのカバーに入った。


「ブラック!ブラック!」


「カバー!サキ、運転しろ、車出せ!」


 サキは飛び込む様に運転席へ滑り込み、キーを回してエンジンを始動する。流石にドイツ車の頑丈さは大洋を越えたバティスタでも変わらず、あれほどの衝撃を受けたにも拘わらず、窓ガラスが粉々に砕け散りボンネットや屋根が降った破片で凹んだ以外は快調そのものであった。


「あぁ流石安心と信頼のW126だね、ハンナは車に興味が無くても選ぶ物の勘だけは良い」


「だぁれがクルマ音痴だ、聞こえてるぜ。さっさと出せ!誰だか知らねえが奴ら撃って来るぞ!」


 ヨハンナが後部座席に姿勢を低くしたまま乗り込むと同時に、ルームミラー越しに見えるセダンから複数の発砲炎が瞬き、ヨハンナ達へと放たれた弾丸がミラーを粉々に撃ち砕いた。顔に破片が散るのを気にせずサキはギアを入れ、アクセルを吹かすと甲高いスキール音を響かせながらベンツの車体は勢いよく発進、ベルトを締めないヨハンナがリアシートの上を転がるのも意に介さず全速でその場を離脱する。


「奴ら追ってくるぜ、何者かな」


「相手が誰かは分からないけど、治安当局じゃないのを祈ろうよ。警察とかだったら大変だよ」


 後部座席から僅かに身を乗り出してヨハンナが背後を見れば、男達はセダンを飛ばして追いすがり、内数名が窓から身を乗り出し、短機関銃を構えるのをヨハンナの視界が捉えた。のどかな田園風景を二台のセダンが疾走し、けたたましい銃声が響き激しい発砲炎と共に無数の弾丸が吐き出されれば、ベンツのトランクに弾痕を幾つも穿っていく。しかし悪路の高速走行と不安定な姿勢では、まぐれ当たりを期待せねば有効な命中弾を送り込むのは至難の業であった。そしてそれはヨハンナにとっても同様で、お返しとばかりにセダンに向けて拳銃を発砲するが、跳ねる車体が照準を逸らし、9㎜弾を明後日の方向へと送り出してしまう。


「サキ!もうちっと丁寧に運転できねえか。当たらん!」


「無理言わないでよ、洗濯板みたいな道路でどうやって安定させろっていうのさ。それにハンナは元々射撃下手じゃない」


「うっせぇ!」


 ヨハンナの射撃は弾倉二本を空にしてもフロントグリルに数発命中させただけに留まり、反対に敵の放つ弾丸はその弾数の多さも相まってサイドミラーとブレーキランプを全滅させ、トランクを穴だらけにしていた。

 隠れ家襲撃での騒ぎを考慮し、大きい通りに出れば警察との接触は避けられない為、サキは街から離れる田舎道を猛スピードで逃走する。敵とは互いに付かず離れずの距離で、しかも射撃はサキもヨハンナの両名で撃ってはいるがまともに命中せず、敵味方双方共に有効打を与えられない平行線をたどっている。しかし敵の方が弾数は多く、ヨハンナ達の方が残弾は少ない為このままではジリ貧であった。


「残り何発!」


最後の一本ラストマグだぜ、お前のSMGとマカロフは?」


「SMGは爆発で何処か行って、マカロフも残り三発。さっき奪ってきたバッグの中身は?」


「バッグはトランクだぜ、リアバンパーにしがみついてでも取り出せってんなら自分でやってくれよ」


「もう、最悪!」


 隠れ家から逃走する際、二人ともバッグをトランクに放ったのを思い出し、サキは珍しく悪態をついてハンドルを叩いた。背後からの銃弾がヨハンナの頭上を掠めて助手席シートの背もたれの通気性を良くし、グローブボックスのプラスチックに穴を穿ってひしゃげさせる。タイヤを狙った銃弾がホイールカバーを弾き飛ばし、弾けたホイールカバーは転がりながら路肩のトラクターに直撃、農夫が抗議の声を身振りと共に上げるが、追撃戦を繰り広げる二台の車は既にその声が届く範囲には居なかった。

 サキは視線を脇へと巡らせ、田舎道が高速道と並行しているのを確認するとハンドルを思い切り左へと切って道から飛び出し、畑を突っ切り高速道へと向かう。当然追撃するセダンもお構いなしに土煙を巻き上げながらヨハンナ達のベンツに追いすがる。


「何処へ行こうってんだサキちゃんよ、そっちは高速道だぜ警察連中が今頃大挙して押し寄せるか道を塞いでるんじゃないか」


「だからってあの道を行ってても弾切れでおしまいでしょ」


「そいつは同感だが広い道に出たって奴らを撒くには弾が足りんぜ」


「撒くだけなら、ね」


 サキがヨハンナの方をちらとみて一瞬笑みを浮かべる。ヨハンナはサキの表情に何某かの意図を汲み取り、黙って笑みを返すとそれ以上文句を言う事は無かった。


「ブッ殺すには充分か」


「そういう事」


 ベンツは大きく跳ねて高速道へと飛び出し、追撃するセダンもそれに倣った。唐突に割り込んだ二台の車に高速道を走っていた一般車の群れは、抗議のホーンを鳴らすがそれはすぐさま短機関銃の銃声にかき消される。車内に飛び込んだ銃弾が跳ね、ピラーを貫いて火花を散らす。サキは反撃にマカロフ拳銃の最後の三発を撃ち切り、助手席シートに放って運転に集中した。

 アクセルを踏み込み、ぐんと加速してスキール音を鳴らしながら右へ左へと車線を移動し、背後からの射撃を躱していると巻き込まれた不運な一般車にも銃弾が襲い掛かり、その内の幾つかは更に不運なことに運転手に命中、姿勢が乱れた車両が他の車にぶつかって多重事故を引き起こした。


「奴ら見境なしだな!」


「少し派手に行くよ。ハンナ、ヒューズパネルを探してABSのケーブルを抜いて」


「なんだって?」


「私の足元のパネル!」


 ヨハンナは後部座席から助手席へと這い、サキの足元へと手を伸ばしてヒューズパネルを探る。しかしパネルを発見したまでは良かったが、車に対して興味のないヨハンナにはどれがABSのケーブルか判断がつかなかった。


「どれだ、どのケーブルだ」


「わかんないの!? ああもう、じゃあ全部引っこ抜いて!」


「ええくそ、もうどうにでもなれ」


 ヨハンナは目に見えるケーブルを全て乱暴に引き抜き、後部座席へと放った。尚も銃撃は続き、車内へ飛び込む至近弾がヨハンナの耳を掠った。


「ってぇ!掠ったぞ!」


「もっと頭を低くしてなよ。ハンナ、銃を貸して」


「どうするつもりだい、一応弾倉はフルだぜ」


 サキにハイパワーを差し出し、ヨハンナは助手席の足元にうずくまる。片手でスライドを引き、薬室の弾丸を確認すると左手に握りなおしたサキは後ろを振り向いて追跡するセダンの位置を確かめた。


「無茶をするよ」


 サキはハンドルを目一杯右方向に切った。ベンツは勢いよく高速道のアスファルト上でスピンを開始、半周を過ぎたところでサキは左へと向けた拳銃の照準内に追手のフロントを捉え、サキは右でハンドルを握り、左で拳銃の引き金を引いて弾倉の中身を全て撃ち込んだ。

 フロントガラスに幾つもの穴が開き、それを中心として血糊がパッと散って赤黒い花をガラスに咲かせた。身を乗り出していた男も胸に弾丸を受けて仰け反り、そのまま道路上へと落ちて視界から消え去った。そしてトドメとばかりにスピンした勢いに載せ、ベンツのリアフェンダーを追手のセダンの右側面に叩き付けると、既に事切れた運転手は衝撃でハンドルを左へと傾け、セダンは制御を失って道を逸れて中央分離帯に激突、高速走行の勢いは失われずに車体は空中高く舞い上がった。

 錐揉み回転しながら舞い上がった車体はやがて高速道に叩き付けられ、ドアやボンネット、ガラス片をまき散らしながら数度道路上を転がり、やがて勢いを失って沈黙した。


「どうなった?」


「始末した。返すよ」


 スピンから車を立て直し、高速道から脇道へと進路を向けながらサキはヨハンナに拳銃を返す。銃撃、複数台が絡む多重事故、大騒ぎとなった高速道からパトカーのサイレンで満たされていくのを聞きながら、二人を乗せたベンツはマタンサスの街を離れるコースを辿る。


「これじゃあアンブルゲサはお預けだね」


「まったくだ、また今度だ」


 ヨハンナはマスクを脱ぎ捨て、煙草に火をつけた。





《…もしもし、誰だ?》


「俺だ、セリオだ。マタンサスの隠れ家がまた襲われた。撤収作業中だったが、ホセのチームも皆やられた」


 ヨハンナ達のカーチェイス騒ぎから暫くの後、原付バイクに跨った青年が携帯電話を片手に高速道の事故現場を眺める。視線の先にあるのは外装がバラバラに吹き飛びフレームがひしゃげたルノーのセダン「だった」物。潰れたキャビンからはまだ収容できていない人体の一部がはみ出し、溢れ出す赤色がアスファルトに広がるエンジンオイルに混じっていた。


《憲兵隊か、ここ最近の奴らはやけに動きが良い》


「それが、どうも違うんだ。二人組で、マスクをしていて、姿はよく見えなかったがどうにも治安当局とは雰囲気が違う」


《なに、それは…いや、とにかく分かった。お前はすぐに街を離れて他の同志に合流しろ》


 通話を終えた青年は集まりつつある救急隊と警察の目に留まらぬよう、バイクのアクセルを吹かしてその場を後にした。


 通話相手の男は額に滲む汗をタオルで拭い、携帯電話の電源を落とす。マタンサスから南に数十キロ、シエナガ・デ・サパタ国立公園内に隠されたキャンプにその男は居た。鬱蒼とした樹木がキャンプを覆い隠すと同時に直射日光を遮りはするが、熱帯気候特有の蒸し暑さだけはどうする事も出来ない。

 オリーブドラブの古い戦闘服に身を包んだ男は水筒の水を飲み干すと、装備の点検や折り畳みベッドに寝そべって休息する部下たちに声を掛けた。


「お前たち、悪い知らせだ。マタンサスの同志が危機的状況だ。彼らを脱出させる必要がある。これから俺達は、同志達から敵の気を逸らし、脱出の隙を作る為に陽動を行う。同時に、このキャンプを引き払って東へ移動、他の部隊と合流を目指す。ハバナから来た同志達にも手伝ってもらうぞ」


 戦闘服の男は部下達を見渡し、最後にナナカとマルシオ視線を移す。ハバナを脱出し、ミレイラ達と別れたナナカとマルシオは、他の仲間達と共にこのキャンプに身を置いていた。


「勿論だ、我々は居候と同然だ、喜んで力を貸す」


 マルシオはカービン銃を掴んで立ち上がり、合流したハバナ地方の同志たちに手を振って合図する。マルシオは大統領親衛隊と国外のPMC達による掃討作戦で大打撃を受け、落ち延びてきたハバナ地方のゲリラ達の実質的リーダーとなっていた。ゲリラ組織は一枚岩ではなく、各地方ごとに分かれて行動し、更にその地方内でも多数の分派に分かれており、特定の指揮系統の元に統率されているわけではなかった。そういった事情がありながら、マルシオという一人のリーダーの下に統率されているハバナ地方の部隊はそれほどまでに打撃を受けているのが伺い知れた。

 キャンプのリーダー、クラウディオは平静を装い的確に指示を出しているが若干の焦りを覚えていた。ハバナ地方の組織はバティスタ国内でも大所帯であり、敵の本拠で活動するとあって横の繋がりもあり、よく連携が取れており精強だと知られていた。それがつい数日前に壊滅的損害を受け、そしてマタンサスでも多数の拠点が襲撃を受け始めた。それも、幾つか用意していたダミーに掛かる事なく、的確に本命のみを押さえてきていたのだ。

 これまで幾度も出し抜いてきた憲兵隊が今になって急に優秀になったには何か理由がある。まさかスパイが潜んでいるのか。ハバナの連中がそうか。などと疑いを持ちたくなる程の異常事態だったが、確たる証拠も出ぬ内からそのような思考を持ち始めては、互いを疑い足を引っ張り、組織が瓦解するのは避けられぬ結果となってしまう。


「それで、具体的に何をしろと」


 マルシオの呼びかけにクラウディオはハッとする。今はスパイ狩りなど考えている場合ではない。目の前の問題を解決するのが先である。


「マタンサスでの攻撃に対する報復行動、大小問わない妨害や破壊工作、予てより選定していた暗殺対象への攻撃。何でもいい、マタンサスの同志から目を逸らせるなら自由にやっていい」


「随分派手に動くが、大丈夫なのか? 我々が逆に追撃されて各個撃破は良くない」


「それは織り込み済みだ。リスクはあるが、此処でマタンサスの仲間を見捨てる事の方が今後の各方面との協力関係を維持するのに影響を及ぼす」


 武力革命を戦う部隊としての体裁を整える為の作戦行動。クラウディオもあまり口に出して言いたくは無かったが、この状況下で隠しても仕方がない。身内向けのパフォーマンスの面もあるが、マタンサスの人員も可能な限り助けて戦力の低下を避けるという理由もまた事実であり、様々な事情の板挟みに頭を悩ませるクラウディオの苦悩を知ってか、マルシオは彼の肩を叩いた。


 暫しの後、出立の準備を進めるナナカの元にマルシオが訪れる。マルシオは周囲を見回し、自分の声が他に届かぬのを確認するとナナカに顔を寄せて静かに話し始めた。


「マルシオ」


「そのまま聞け、クラウディオに聞いた。マタンサスでの憲兵隊の活動以外に、どうにも怪しい動きが有るらしい。今日、ついさっきの話だが、憲兵隊とは別の誰かが隠れ家を襲撃して派手に騒ぎを起こしたらしいんだ」


「別の誰か?」


 ナナカは眉を顰め怪訝な表情を浮かべる。憲兵隊でなければ誰だというのか。当然思い当たる者はいくらでも出ては来る。国家警察、国軍、特殊部隊、そして件のPMC等その他諸々…この国でゲリラ達を追い詰め、始末しようとする者は枚挙に暇がない。その中にあって敢えて「別の誰か」と言うのだから、それ等とはまた違う、何か特筆すべき事項があるのだろうとナナカは勘ぐった。


「確定情報ではないがな、先程隠れ家を襲撃した連中の中に、素性の知れない二人組が居たらしいんだ」


「二人で隠れ家を襲撃?まさか」


「襲撃を受けた隠れ家の生き残りが見たと言ってたそうだ。素性の知れない二人組、それも腕利きと来た。何か気付かないか」


 そこまで言われたところでナナカはある事柄を思い出す。ハバナ・ヒルトンの襲撃を制圧したのも、ミレイラ達を始末したのも二人組、それも素性の知れない相手であった。マルシオは今回のその襲撃者が、その二人組ではないかと言うのだ。ナナカも流石に話が出来過ぎているとは思ったが、あの二人がこの国に現れてから、周囲の環境が劇的な変化を遂げている事実をナナカも認めざるを得なかった。


「それで、どうするのさ。まさかその二人を追いかけようってんじゃないよね」


「追うさ、ミレイラとエルナンドの仇討ちは果たす。自由に動く許可は得た」


「方法は?そこら走り回って聞き込みでもしようってんじゃ」


「方法はある。確実じゃあないが、メモ帳片手にぶらついて、観光客の顔と見比べるよりは確実な手だ」


「何にせよ、手段が有るならいいさ。付き合うよ、助けられた恩もあるしね」


 ナナカは弾丸を込め終えた弾倉を銃に叩き込み、マルシオに向かって笑って見せた。





 西の地平と水平線に陽が落ち、マタンサスの街に影が落ちる頃。市街から郊外へと延びる主要幹線道路は軒並み封鎖され、憲兵隊が厳重に防備を固めて検問を敷いていた。白昼堂々の銃撃戦に大爆発、そして高速道でのカーチェイスとあれば、この措置も妥当と言えただろう。しかし、一度郊外へ脱出したヨハンナ達にとっては、市内へと戻る際の大きな障害となっていた。流石に弾痕だらけのベンツで検問を通過しよう等と言う阿呆ではないので他の車を調達したが、日が暮れて間もない時分に身一つの観光客が郊外から訪れるなど、怪しいにも程がある。しかし、着替え含め様々な荷物がマタンサスのホテルにある以上、どうしてもヨハンナ達は市内へと戻らねばならなかった。


 そこでヨハンナが利用したのがマタンサス市に流れる河であった。サン・ファン河の流れに沿って下り、市内に入った所で上陸してそのまま宿泊していたホテルへと向かう。街を封鎖する憲兵隊はヨハンナ達が提供した「匿名の密告」に基づいて良い仕事はしたが、あくまで彼らは情報に従って仕事をしたに過ぎず、元々やる気も練度も無い彼らの警戒網は穴だらけであり、幹線道路の検問以外はお世辞にも充分と言えるものではなかった。事実、夜間とは言えカヌーを使用して堂々と市内へ侵入できてしまったのだから杜撰と言う他に思い当たる言葉など無かった。ヨハンナは最悪、身一つで泳いでの侵入も考えていたが、まったくの杞憂であった。

 パスポートにはドロテオのサインと通行許可証があり、それを用いれば恐らくは検問も通過できたであろうが、ヨハンナはそれで憲兵たちの注意を曳いたり、ドロテオ達大統領親衛隊に動向を察知されるのを嫌っての行動であった。なにしろ、バラデロへと向かうと伝えていたが、一度たりともバラデロへと向かってはおらず、あの目聡く頭の回る大佐の事であろうから、バラデロに姿を現さなかった事でヨハンナ達が何某か良からぬ事をしでかしているのではないか、そう勘繰っているに違いないとヨハンナは思っていた。事実、ヨハンナ達は「良からぬ事」を現在進行形で遂行中であるので、此処で目立ったり、ドロテオに所在を知られる訳にはいかなかった。


「いやぁ、警備はザルも良い所だ。ラテン野郎ってのは本当に仕事しないんだな」


 首尾よく荷物を回収してきたヨハンナは再びカヌーで川を遡上し、待機していたサキとの合流を難なく果たして見せた。武器弾薬、各種日用品類を詰め込んだ荷物は一人で持つには些か多かったが、車を使えば難なく運び出す事が出来た。当然この際使用した車も道中市内で調達した盗難車であるが、ヨハンナは市井の皆様方の財産を拝借する事については何の抵抗も示さなかった。

 市内へ入れば後は行動を阻害する障害も無く、ふらりとホテルへと立ち寄ってカウンターでチェックアウトする旨を伝え、荷物を車に積み込んで再び川岸へと向かって現在に至る。この間、憲兵や所轄の国家警察を目にする事はあったが、怪しまれる素振りなど一切無く、ヨハンナは些か拍子抜けしていたほどだった。その証拠に、ヨハンナは昼間話していたアンブルゲサを二人分買ってくる程の余裕を持っていた。


「ほら、コイツが例のアンブルゲサだ」


「パンと肉だけだね」


「そういうモンだ。市場の屋台でテキトーに買って来たから味の保障はしないぞ。そもそも、発展途上国の屋台とかで味の保障なんて」


 ヨハンナはやや捲し立てるように念を押す。多少の余裕はあったとは言え、危険を冒してせっかく買って来たと言うのに、此処で文句を言われては堪ったものではない。しかし当のサキはと言えば、食事の味にうるさいとはいえ、人が買ってきてくれた物に文句をつける程無粋な性格をしてはいなかった。

 

「ビールもあるぞ」


「まさかここで飲むの?」


「いいだろ、こんな川っ縁、誰も来やしねえさ」


 ヨハンナは周囲を見回して言う。周囲の明かりはと言えば、脇に置かれているランタン以外には遠くに見える街の明かりと、少し離れた高速道の街頭のみだった。


「酒なんか飲んだら運転が」


「今夜はここで良いだろ。どうせ街には戻れねえし、今からどっかの宿を探しに走るって?そんなの御免被りたいね」


 あっさりと野宿する事とを決めるヨハンナに、サキは呆れながらビール瓶の栓を抜く。荷物の片付けもまだ、明日からの行動指針も決定していない。しかしいつもそうだ、明日考えられる事は明日に回せば良い。ヨハンナの、良く言えば臨機応変な、悪く言えば行き当たりばったりな考えには常に振り回されて悩まされる。しかし、さすがのサキも今日は少しばかり疲れていた。今日ばかりはヨハンナに全面的に同意する。普段から酒はやらないが、今日ぐらいは良いだろう。


「ロスの搭乗ゲートじゃこんな危険な旅になるなんて思わなかったよ」


「危険な旅になったって、楽しまなけりゃ人生やってく値打ちは無い。だろ?」


 瓶を打ち鳴らし、星空と街の明かりを肴にビールを呷り、アンブルゲサを一口齧る。味はいたって普通、不もなく可もなく。大量生産の業務用バンズは不味くも無ければ取り立てて美味くもなく、強いて挙げるならば肉は胡椒が効き過ぎてやや塩辛く、叩いて薄く伸ばされたそれは肉汁のジューシーさの欠片も無かった。


「なんか、期待外れっていうか」


「だな。まぁ、いつも美味い飯に在りつけるなんて思っちゃいないさ」


 ヨハンナは残りを口に押し込むと、ビールでそれを流し込んで寝転んだ。明日は明日の風が吹く、ヨハンナはそう頭に浮かべながら、瞼を閉じるのだった。

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