白昼夢の影

Slick

第1話 白い彼

 私は昼が怖い。

 なぜなら夜は、怯えずに済むからだ。


□ □ □ □


 それは何の前兆もない、突然の出来事だった。

 あの夏の日、会社の昼食時間に。オフィスビルを出た私は猛暑にげんなりしつつも、馴染みの蕎麦屋へと一人足を運んだ。

 会社にも知り合いはいるが、私は人と組むのが苦手だ。小さいころから一人が好きだった。

 店に入ると常連はすでに顔を見せていた。カウンター席に座った私は混ぜ蕎麦を頼み、何をするまでもなくスマホを取り出す。

 その時だった。


 カタン。


 隣に腰を下ろした男性に、私はふと寒気を感じた。

 横目でチラリと盗み見ると、男は奇妙な出で立ちをしていた。

 真夏の猛暑日にも関わらず、かれは白いチェスター・コートを着ていた。首に巻かれた青藍色のマフラーが涼しげな印象を与えるのが、何とも妙な雰囲気を醸し出している。年齢は、若いと思えば若く見え、老けていると思えば老けているようにも思われた。見ている私まで暑くなりそうな厚着なのに、何故かスーッと脳が冷めるような気がした。

 かれは冷やし中華を頼むと、ふと私に振り向いた。


「あなたは、孤独ですか?」


 歯切れのいい爽やかな声で、男は不思議なことを聞いてきた。


「......そういうアナタも、お一人でしょう?」私は逆質問で答える。


 確かに、男に連れはいないように見えた。

 無礼なことを言われた皮肉のつもりで返した言葉に、しかし男は涼しい顔で答える。


「そうですねぇ」かれは自身のおとがいに指を当てると、ふと私に頭を傾けた。「では僕たち、<御友達>になりませんか?」

「......<御友達>?」


 思わずオウム返しになった私に、男は不思議な笑みを浮かべる。


「えぇ、良いでしょう? 僕たち、お互いに孤独なんですから」

「......」


 全く訳が分からなかったので、私は男を無視した。するとそれきり、男も何も言わなかった。



 それで、お終いだと思っていた。


□ □ □ □


 その日の退勤時間、夏特有の長い夕影の中。私は自宅アパートへの帰路を歩んでいた。

 その日は急な仕事が入って、てんやわんやした挙句、些細なことで上司から叱られさえした。それでも何とか、日暮れまでに仕事を終わらせることが出来たのだ。

 あとはスーパーで総菜を買って帰宅、一人ゆっくり風呂に浸かって休みたい。

 そんなことを考えていた時。


 ふと隣を見るといつの間にか、あの男が私の横を歩いていた。


「......どうしてアナタがここに?」


 しかし私は、どういう訳かあまり驚くこともなくかれに問うた。

 一瞬ストーカーかとも思ったが、私みたいな人間を追い回しても楽しい筈がない。私には金もコネも魅力もないし、何より私自身、自分が嫌いだったからだ。

 男は相変わらず、捉えどころのない笑みを浮かべて答えた。


「<御友達>だからです。今だってほら、あなたには飲みに行く友人もいない」

「......私がいると、場の邪魔にしかならないんだ。だから呼ばれない」

「でしょうねぇ。だからこそ、僕が一緒に居て差し上げるんです」


 かれは親しげに私の肩を叩くと、また近いうちに、と囁いて去っていった。

 夕闇の中、セミの暗い喧騒を背景に純白のチェスター・コートが翻った。

 

 肩に載せられた手の重みは、しかし家に帰っても消えることはなかった。

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