第7話 作業小屋と紫の鉢巻

 招待された先にポツンと建っていたのは、住居と言うよりほとんど作業小屋と言った方がピッタリくるような建物だった。

(……ここがこがらしの家?)

 かねたちの家とのあまりの差に呆然とした露草つゆくさだったが、凩は慣れたように我が家の中を歩き回っていた。

 入り口すぐの所に簡単な調理台が取り付けられ、作業台を兼ねたテーブルと椅子が置いてある。奥にもう一つ扉があり、そちらは仮眠室という名の物置き部屋だと説明された。

 とりあえずご飯を作ろうとなり、露草はもう余計なことは考えずにその小屋にあった食材をかき集め、大丈夫そうなものを鍋に突っ込んだ。

 じきに決して広くはないその空間に、空腹を刺激する匂いが漂った。

 露草がかき混ぜる鍋からはもわもわと湯気が立ち上っている。あるだけの野菜を煮込んだスープだった。


「うわあ、ここでこんなに美味そうなスープが食える日が来るなんて感動だわ」


 金髪の少年が小さな子どものようにわくわくとした表情で横から鍋を覗き込み、感嘆の声を漏らす。


「凩、お前は城の一角に部屋を用意されてるだろ。何でわざわざここに居ついてるんだよ」


 夕凪ゆうなぎと一緒に簡素なテーブルの上を片付けていた矩が呆れたように言った。


「え、そうなのか!?」


 露草は思わず声を上げてしまった。

 まさかここが本当に家ではないだろうと疑わしく思っていたが、よりによって城の住人とは。


「ええ……ほら、あそこは刃璃はり朝凪あさなぎがいるだろ。何か息苦しくなるっていうか……」


 あの二人いつもビシッとしてるからさー、と唇を尖らせる凩はやはり小さな子どものようだった。


「つまり、凩を相手にしてくれないわけだ?」


 露草が口を挟むと、彼は複雑な表情で小首を傾げた。


「うーん、まあ、そうなんだけど……それだけじゃないって言うか……」


 今までの会話では軽快に切り返してきていた彼にしては、妙に歯切れの悪い返答に思えた。


「それに、魔獣を倒す仕事もあるからここにいた方が何かと便利ってのもある」

「凩も魔獣を倒す仕事をしてるのか? 夕凪と一緒だ」

「凩は私と違って魔力で倒すんですよ」


 夕凪が補足してくれる。


「魔力を使わずに易々と倒しちまう夕凪の方がすげえけどな」


 肩を竦める凩に、夕凪は「お褒め頂きありがとうございます」と微笑んだ。


「ああ、そういうとこだよな。夕凪は笑ってくれるけど、朝凪はいつも無表情だからちょっと苦手なんだ」


 何かを思い出したように呟いた凩に、矩が小さく笑った。


「その点についてはあたしも同感だ。本当に双子かってくらい違うよな。夕凪はこんなに親しみやすいのに」

「そうそう」


 凩と矩がお互いに頷き合う。どうやら二人の朝凪に対する認識は一致しているらしい。そんな二人を前に、夕凪は少しだけ眉を八の字にして困った表情をしていたが、特に反論することはなかった。


「夕凪から見た朝凪ってどんな人なの?」


 思わず尋ねた露草に夕凪は一瞬だけ驚いた顔になり、それから暫し考え込んだ。


「そうですね……凩と矩の言う通り、無表情が普通ですね。そうでなかったら、不機嫌な顔をしています」


 兄弟としてもっとフォローの言葉が出て来るかと思いきやそうでもなかった。露草は拍子抜けした。


「でも、何だかんだで面倒見が良いところがあるように思います。……伝わりにくいですが」

「ものすごく伝わりにくい」


 凩のツッコみに夕凪は苦笑しながら頷いた。


「あいつは刃璃様の面倒見てれば良いんだ。あたしの面倒は別に見なくて良い」


 矩が溜め息を吐くと、「向こうもお前の面倒なんか見たくないだろうよ」と凩が冷静に呟いた。


「それよりもう腹が鳴って仕方ないんだけど。早く食おうぜ」


 とうとう凩の我慢の限界が来たようで、露草は最後の味見をしてから鍋の火を止めた。

 片付けられたテーブルの上にスープと、それから軽く焼かれたパンが並ぶ。幸いなことに、パンにカビは生えていなかった。


「あったかい食事久しぶり!」


 キラキラした瞳で合掌した凩に、矩と夕凪が揃ってため息を吐いた。


「だから城に帰れば良いのに……」

「ちゃんとした食事をとるようにして下さいね」


 勢いよく食べ始めた凩はずっと笑顔で、「城のご飯よりおいしいぞ!」と恐れ多いことを言ってくれる。

 露草は気恥ずかしさを誤魔化すように、「黙って食え」と彼の取り皿にパンを追加してやった。

 適当にあった食材を放り込んだだけだが、矩と夕凪にもスープは好評でとりあえずほっとする。

 腹が満たされた凩はまたくだらないことを喋り始め、それに付き合っていたら思ったより時間が経っていた。

 まだまだ話が尽きることがないといった凩には一種尊敬の念を覚えるが、そろそろ勘弁してほしい。そんな露草を察したのか、はたまた同じ気持ちだったのか、矩と夕凪が慣れたように話を切り上げにかかった。


「これから凩はまだ仕事か?」

「ああ、まーね。面倒だけど一応オレの仕事だからねー」


 頭の後ろで手を組んだ凩はいかにも面倒くさそうな態度を隠さない。


「じゃあ私たちもそろそろ帰りましょうか」


 食器を洗い終えた夕凪が手を拭いながら言い、露草は大きく頷いた。


「露草、ごちそーさまでした! また来てねー」


 小屋の前で凩が見送ってくれた。


「こちらこそお邪魔しました」


 露草は軽く手を振って、先に歩き出していた矩と夕凪の後を追いかけた。


「どうだ? 凩のあの喋りは。お前の兄ちゃんよりすごいんじゃないか?」


 矩の隣に並ぶと、彼女がニヤリとした顔で訊いて来た。


「……うん、すごかった。疲れた……」


 露草の正直な感想に矩と夕凪が苦笑した。


「露草は真面目過ぎるんですよ。全部聞こうとするから疲れるんです」

「そんなこと言ったって……てか二人はちゃんと聞いてないってこと?」

「あたしたちはほとんど冗談は聞き流してるからな。もう慣れたってのもある」

「あんまり慣れたくないんだけど」

「そうかもしれませんね」


 夕凪がおかしそうにくすくすと笑う。

 露草はまだ日が高い位置にあるのを確認してげんなりした。

 午前中の半日が、まるで一日のように感じられた。

 帰り道も桜の森の中を抜けて行くことになる。魔獣が出ないようにと祈りつつ、夕凪と矩が一緒なら大丈夫だという安心感があった。


「そういえばもうすぐ記念祭だな」


 矩がふと思い出したように言い、夕凪を見た。

(記念祭? 何の……?)


「……そうですね。まあ今年はあるかどうか分かりませんけどね」


 二人の間で不思議そうな顔をしていた露草に矩が教えてくれた。


「記念祭ってのは、この雲世界ができた日を祝うんだ。毎年城下町で派手にやるんだぞ」

「へえ」


 この世界ができた記念日となれば、この世界全体の祝い事だ。この世界の人々みんなが賑やかに祭りを楽しむのだろう。


「今年は露草も一緒に行こうな」


 矩がにっかと笑って当たり前のように言う。


「お、おう」


 いつまでここにいるのか分からない露草はとりあえず頷いておいた。

 夕凪を見ると、彼は何も言わずにただ微笑んでいた。



***


 その夜、寝る前になって誰かが部屋のドアをノックした。


「どうぞ」


 この家にいるのは露草つゆくさを除いてあの二人だけだからどちらかだろう。

 露草の返事を確認してからひょっこり顔を覗かせたのはかねの方だった。


「どうしたんだ」


 もう就寝の用意に入っていた露草は樹氷のベッドの上で胡坐をかいた。


「これを渡しておきたくて」


 矩はベッドの傍まで歩いてくると、小さな小箱を突き出した。


「え? 何?」

「開けろ」


 言われるままに小箱を開けると、中には紫色の布が折り畳まれた状態で入っていた。

 露草が「これ何?」と目で問うと、彼女はじっと紫の布を見つめたまま答えた。


「兄ちゃんが付けてた鉢巻だ。昔、母上がお守りとして作ってくれたんだ」


 なぜ鉢巻という形態なのかは置いておいて、


「何でこれをオレに? お前が持っているべきものじゃないのか」


 露草は小箱を矩に突き返そうとした。だが、彼女は受け取ろうとしない。


「露草に持っててほしいんだ。兄ちゃんもきっとそうするような気がする」


 それに実はあたしのは別にあるんだ、と言いながら、矩はさっと踵を返した。


「じゃあ、おやすみ」

「……ああ、おやすみ」


 露草は手元に残った紫の布を見つめた。

 手に取ると、細長い布がベッドの上に垂れた。色褪せることなく綺麗な色を保っている。余程樹氷じゅひょうは大切に扱っていたのだろう。


「樹氷。これ、オレが持ってて良いのか?」


 写真立ての中にいる少し幼い樹氷に訊いてみる。

 当然答えは返ってくるはずもなく、露草は鉢巻を小箱に戻してベッドに倒れ込んだ。

 今日はもう色々と疲れた。すでに瞼は重く、気を抜くとすぐに意識を手放せる自信があった。

 そんな眠りに落ちる前の僅かの時間。


『露草にきっと似合うよ』


 どこからか、聞き覚えのある少年の声が聞こえたような気がした。

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