第2章 桜の樹と悪友

第1話 魔力を持つ者

 今朝も早くから二人の朝稽古は行われた。昨日少し気になっていた露草つゆくさは、疲労は溜まっていたものの興味に負けて早起きし参加した。


「露草はなかなか筋が良いかもしれません」


 かねと一緒に木刀で素振りをし、夕凪ゆうなぎと軽く打ち合いをした。

 幼い頃から祖父と兄の影響で剣道をしてきた露草が普段は竹刀を使っていると言うと、夕凪はどこからか竹刀を取り出して来た。樹氷じゅひょうがいた頃はよく使っていたらしい。


「……いやいや、夕凪こそ一体何モンなんだよ」


 汗だくの露草と矩を涼しい微笑みで見守っている夕凪は、手合わせ中も風の如き軽やかな動きで打突は正確だった。彼にとっては刀の素材も、木でも竹でも大差ないようだ。

 露草ではまるで相手にならないということが分かった。


「私はただのこの世界の住人ですよ。ところで矩、今日はあの日では?」

「あ、そうだった。めんどくせーなあ」


 息を整えた矩は首の後ろで一つにまとめていた髪を下ろし、横を向いて小さく舌打ちした。


「何かあるのか?」

「ああ。定期健診」

「定期健診? お前どっか悪いのか」


 こんな朝から木刀を振り回して元気な彼女が、と眉を顰めた露草に、矩は顔の前で手を振った。


「あー違う違う。別にどこも悪くない……多分」

「多分?」

「いや、体は間違いなく健康だ。あたしが行くのは『魔力調整検査』だから」

「魔力……何?」

「『魔力調整検査』。魔力を持つ者に義務付けられた定期健診だ」


 矩は投げやりに言って、自分の木刀を持ったまま玄関へ向かった。


「夕凪。あたしがいない間、露草を兄ちゃんが好きだった桜の所でも連れて行ってやれ。もしかしたら何かあるかもしれない」

「そうですね。矩も後で合流しますか」

「うん。――ああ、それにしても二日も連続であの城に行かなきゃならないなんて最悪だ」


 矩はぶつぶつと文句を言いながら家の中に入って行った。

 その背を見送った露草は、手の平で木刀を無駄に弄びながら夕凪に訊いた。


「なあ、今の話、もしかして矩って魔力を持つ者なの?」

「そうですよ。昨日刃璃はり様が仰っていた、この世界で魔力を持つ稀な存在です」


 まさかの稀な存在がこんなすぐ近くにいたとは。


「ちなみに言っておくと、刃璃様と朝凪あさなぎもそうですね」


 まだいた。というよりこの世界で知り合った半分以上のやつらが『魔力を持つ者』だった。


「……どこが稀な存在だよ」

「あはは。確かに露草の周りには魔力を持っている方が多いですね」

「矩がそうってことは樹氷も?」

「いえ、樹氷は違います。ご両親は共にそうでしたけど」


 違うのか。露草をこちらの世界に連れて来られたのは樹氷にも魔力があって、それを使った術か何かだと思っていた。

(樹氷じゃないなら刃璃や朝凪の魔力が絡んでるのかな)

 朝凪といえば夕凪の双子の兄であったことを思い出した。


「あれ? じゃあ夕凪は? 朝凪と双子だったよな?」

「私も違います」


 夕凪はあっさり言って首を横に振った。


「血縁は特に関係ないようです。ただ統治者とその周りの者については、その世代ごとに必ず魔力を持った者が生まれるらしいですが」

「へえ」


 両親と妹が持って、樹氷が持たないように。

 朝凪が持って、夕凪が持たないように。

 親子、兄弟といった血縁は本当に関係ないランダム選出のようだ。それこそ選ばれし者のように感じる。


「なあ、オレ魔力とかいまいちよく分かってないんだけど、それってつまり魔法が使えるってこと?」


 空想の世界によく見る、杖を振って物を出したり動かしたり、変身したりするイメージが浮かぶ。


「まあそうですね。でもこの世界では違う方面で重宝されてますけど……」


 夕凪は少し考えこむように顎に手を遣って目を伏せた。


「夕凪?」

「先程の話に戻りますが、『魔力調整検査』とは魔力を持つ者がその力をきちんと制御できているかを検査するためのものです」

「制御?」

「ええ。魔力とは力の制御が難しいのだそうです。制御しきれない者は、その力に飲み込まれてしまうこともあり得ます。そのために幼い頃から制御の訓練を行い、体力や忍耐力をつける努力が求められます」


 魔力とは、そうそう便利なものというわけでもないらしい。その苦労がどれほどのものか露草には見当もつかないが、夕凪の話を聞く限りでは恐らく命も危険にさらされているのではないだろうか。

 夕凪が彼の手元にある木刀を一撫でして、ゆっくりと家の方に足を向けた。矩が消えて行った扉に目を向けて、彼は呟くように言う。


「なかでも矩は、並の者よりも魔力が強いのです。小さい頃からあの華奢な体つきで、必死に耐えるのを見て来ました」


 あの矩が。平気で気を失っている露草の頬を引っ叩いて、ぐいぐい腕を引っ張っていく彼女が。


「矩のあの男勝りの性格はその名残かもしれません」


 そう言って微笑む夕凪は眉をハノ字にして、少し悲しそうに見えた。


「……ってことは矩も魔法が使えるんだよな?」


 改めて沸いた疑問を口にしつつ、露草は木刀を振る矩を思い返していた。矩が毎朝木刀を振っているのは、ただの鍛錬のようなものなのだろうか。

 夕凪が小さく息を吐いた。


「いえ、矩は魔術を使いません。――使えないのです」

「え?」


 彼が言った意味が分からなくて訊き返そうと思った時、家の方から矩の呼ぶ声が聞こえた。


「二人ともー! ごーはーんー!」

「はい、今行きます。――露草も行きましょう」

「あ、うん」


 話の続きが気になったが、露草は質問を飲み込んで夕凪とともに矩の待つ家へと向かった。

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