第4話 双子と笛と桜の木

「ほら、城の門が見えてきましたよ」


 夕凪ゆうなぎが前方を指さした。道は先程から少し傾斜していて、その坂の先に金色に光る立派な門が見えた。その奥に聳え立つのは、城だ。

 白い壁面、青い屋根の西洋建築の城。

(城下町っていうからてっきり和風の城のイメージだったんだけど)

 今さらだが、この世界は和と洋がごちゃごちゃと入り混じっているようだ。城下町は思いきり昭和感漂う町並みだったのに、今目の前にある景色は途端にどこか西洋の国のようだ。

 門の両端にはそれぞれ門番が立っていた。


刃璃はり様にかねが来たと伝えろ」


 矩が右端の者に言うと、門番は門を開けて横に退いた。


「あなたが来たらここを通すよう言われています。どうぞ」

「……やっぱり計算の内か」


 矩が小さく舌打ちしたのが聞こえた。

 門をくぐり、建物まで続く石畳の道を歩く。噴水まである広い庭には手入れが行き届いているが、周りに人影はなかった。


「おお、すっげー。絵本の中のお城みたい」


 物珍しさに周りをきょろきょろと見渡す露草つゆくさを見て、隣を歩く夕凪がどこか楽しそうに小さく笑っている。

 城の入り口の扉が見えた時、前を歩いていた矩がふいに立ち止って夕凪を振り返った。


「――夕凪」


 矩の視線の先を見た夕凪が苦笑して頷き、彼女を追い抜いて先を行く。そして、扉の側の太い柱の陰にいた人影に声をかけた。


「久しぶり、朝凪あさなぎ

「……お前も元気そうだな」


 影から出て露草たちの前に立った人物は、黒いコートを着た青年だった。その顔を見て、露草は目を見開いた。


「夕凪が二人……?」


 そう、青年の顔は夕凪と瓜二つであった。こちらは背中まであるストレートの髪も夕凪と同じ灰色だった。

 呆然と二人を見比べる露草に、隣に並んだ矩が教えてくれた。


「こいつは朝凪。夕凪の双子の兄だ」

「双子……」


 さらにまじまじと見つめる露草に、夕凪は微笑み、朝凪は少し眉を寄せる。

 朝凪は矩の方を見て、無表情のまま言った。


「お待ちしていました」

「やっぱりお前たち絡みか」


 矩がこれみよがしにため息を吐く。どうやら彼女には見当がついていたらしい。


「さて、あなたにお会いするのは少しぶりですね」


 朝凪という夕凪の双子の兄が露草に向き直った。


「え、どこかで会ったか?」


 露草には覚えがなかった。むしろ会っていたら、夕凪を見た時に既視感を得たはずだ。


「正確に言うと、私が一方的にあなたを覚えているだけですが」

「は?」


 少し冷めた声と微笑みが、不思議と露草の頭の片隅を刺激する。その刺激はだんだんと痛みに変わり、露草は帽子の上から頭を押さえ付けた。痛い。金槌か何かで何度も叩かれているような感じだ。


「統治者にお会いになる前に一つ」


 朝凪はコートの内ポケットから細くて小さな竹笛を取り出した。


 ピ―――― ヒュルルルル ピ――――


 高く、澄んだ音が鳴り響く。


「あ……」

 頭の奥のキーンとする痛みが薄らいでいく。

 ふと、頭の中に桜の花びらが一枚ひらりと散った。昨日、寝る前の時のように。

「桜……」

 朝凪はまだ笛を吹き続けている。

 

ピ―――― ヒュルルルル ピ――――

 

 音が上がった。


「う……」

 また、頭の奥がキーンとする。何なんだろう、あの竹笛は。朝凪は何をしようとしている? 露草は視界がぼやけて目を瞬かせた。

 あまりの頭痛に立っていられなくなり、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「露草!」

 夕凪の声が聞こえて、肩を抱かれる感覚が伝わる。


「朝凪! 止めろ!」

 矩が怒鳴る声が聞こえた。しかし、朝凪は笛を吹き続けている。


ピ―――― ヒュルルルル ピ――――


 今度は一気に音階が下がった。低音過ぎてよく聞こえない。

 頭痛が一層ひどくなった。歯を噛みしめる。

(頭が潰れる!)

 本気でそう思った時だった。


「……ここは」


 気が付くと、桜並木のよく見慣れた道に立っていた。

 そう、全てはここから始まった。ここで喋る桜の木にナンパされて、見知らぬ世界に飛ばされてしまったのだ。

(――そうだ、あの朝凪ってやつの声は霧の中で会話した人影の声に似てた……)

 あの霧の中で露草を出迎えたのは、朝凪だったのだろうか。


『無事に雲世界に着いたようだな』


 突然心の中に声が響いて来た。若い男の声だ。力強いが、まだどこか幼さも含む声――忘れるわけがない。

 露草は目の前の、一際目立つ大きな桜の木を見た。


「お前か。オレをあんな世界に飛ばしたのは」

『如何にも』


 桜の木の声は穏やかだった。


「何でオレをあの世界に飛ばした」

『それは後で統治者に聞くと言い』


 どうやらこの桜の木はあの世界と、そして統治者と繋がりがあるらしい。

 露草は改めて、桜の木を根元から幹、枝葉へと順に見上げた。


「なあ、お前、本当にただの桜の木か?」


 桜の木はふっと笑ったような気がした。


『なぜそんなことを聞く? 見ての通り桜の木だが』


 露草は桜の木の幹に右手をついた。

 この桜の木から、何か大きくて、強いものを感じる。

 右手を通して伝わって来るのは、人の持つ温もりみたいなものだった。


『お主には負ける……』


 桜の木はふと黙り込んだ。露草は幹を優しく、ゆっくりと撫でながら彼が喋りだすのを待った。太い幹は年輪を刻み、でこぼことしていた。


『私――いや、俺は樹氷じゅひょうだ』


 露草は幹を撫でる手を止めて、まさかと思った。


「ひょっとして……矩の兄貴? 初めまして、ではないか」

『こちらこそ。で、お前の名は?』


 今度は逆に訊き返され、露草は一瞬驚く。


「オレのことはもう知ってんじゃねーの?」

『俺は名乗った。次はお前だ』


 口調が今までの桜の木とは違う。恐らくこちらが、樹氷本来の口調なのだろう。

 露草は幹から手を離し、背筋をピンと伸ばして桜の木を見上げた。


「オレは露草だ。紀伊露草」

『露草か。変わった名だな』


 樹氷は笑ったのだろうか、風も無いのに桜の花びらが舞う。


「樹氷さんに言われたくけど」

『あはは。俺のことは呼び捨てで構わない。いいか露草、よく聞け』

「?」

『これからは、お前が俺で、俺がお前だ』

「は?」


 樹氷の言う意味が全く分からずポカンとする。

(オレが樹氷で、樹氷がオレ? 何言ってんだ。オレはオレだろ)

 言葉を考えれば考える程、こんがらがっておかしくなりそうだ。


『俺の身体は今貸出中だから、こうして桜の木に宿らせてもらっている』

「はあ?」


 ますますわけが分からない。身体なんてどうやって貸出しできるのだ。

 もしかして、と露草は唾をごくりと呑み込んだ。


「樹氷、死んでるの?」

『まあ、そう思ってくれても構わない。現に矩や夕凪や他の者はそう思っている』


 否定して欲しかったのに、樹氷はあまりにもあっけらかんと言う。露草は余計頭が混乱するのと、どう返せばいいか分からず唇をかんだ。

(でも……そうか)

 一つだけ納得したのは、樹氷のことを話す時の矩と夕凪の顔が曇った理由だった。樹氷の言った通りに思っているのだとしたら、当然の反応だった。

(あれ? でもそう思ってくれても構わないってことは……)


「ちょっと待って樹氷、それって結局、お前は死んではいないってことじゃあ……」



ピ―――― ヒュルルルル ピ――――


 また、朝凪の笛の音が鳴り響いた。


『そろそろお別れのようだな、お前を呼んでいる』

「え、ちょっと待って」


 急に足がふらついて、露草はぐっと力を入れて踏ん張った。しかし足だけでなく、全身から力が抜けていくような感覚に陥る。

 それでも幹に両手をついて、地面を踏みしめた。


『露草。お前は俺が絶対に守ってやる。絶対に』


 樹氷の声が少し遠くに聞こえる。


『だから、矩と夕凪を頼む』


 限界が来た。露草は桜の根元にくずおれた。

 意識がどんどんと遠のいて行くのを感じた。




「ん……」

 目を開けると、一番に夕凪の顔が見えた。


「露草、大丈夫ですか?」


 露草が頷くと、夕凪はほっとしたように微笑んだ。その笑みに露草の方も安心してしまった。


「露草、どこも痛くないか?」


 矩が横にしゃがんで露草の顔を覗き込んだ。


「もう、大丈夫。それよりあの桜の樹が……」


 樹氷のことを口に出そうとして、ふいに口を噤んだ。彼女たちに樹氷のことをどう伝えれば良いのか分からなくなる。

微かに眉を顰めた矩の向こう側で、朝凪が城の入り口の扉に手を掛けるのが見えた。


「刃璃様がお待ちです。どうぞ」


彼は装飾された立派な扉を開き、露草たちを中へ促した。

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